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Jリーグ30周年 審判とこれからの10年

1993年に開幕したJリーグが30周年を迎えました。

当時、社会現象となった盛り上がりを知るわたしとしては、非常に感慨深い思いがあります。最近では30周年を振り返るスーパープレー動画がSNSにアップされ、盛り上がっていますね。
そういった盛り上がりの一方で、昨今毎週のように取り上げられているのが審判による誤審問題です。

Jリーグがスタートして30年、日本サッカーは革新的なスピードで進化してきました。
人工芝・天然芝のグランドが増えるなど競技環境の向上し、サッカー協会の指針のもと、カテゴリー毎のリーグ戦が実施されるなど様々な試行錯誤の取り組みの中で、多くのカテゴリーで30年前と比べ、競技レベルは飛躍的に向上してきました。

その中で、審判もルール改正など様々な事象に対応してきた30年でした。

しかし、昨今の飛躍的な競技レベルの向上に対して、審判個人の能力で対応できる範疇に限界がみえてきました。
世界的にもそうした論調があり、ゴールラインテクノロジーの導入、VARによる判定の実施、インカムを使用した相互コミュニケーションの実施など、様々なテクノロジーを駆使するようになりました。

そういったテクノロジーが登場する前の時代にも、審判による誤審や判断ミスはあり、大きく取り上げられる事例もありました。

有名なのはマラドーナによる”神の手”事件でしょうか。
また“中東の笛”と呼ばれる中東での試合特有のジャッジもよく話題に上がりましたね。
こういった事例について、当時は選手もサポーターも、大きくいえばサッカー界もどこかそういった状況に寛容だったし、サッカーの一部として受け入れていたように思います。

”サッカーってそういうもんだよね”
”そういった部分も含めてサッカーの面白いところだよね”

そうった認識を持ってサッカー観ている人も多かったのではないでしょうか。
わたしも幼い頃に、”中東の笛”にドキドキしながらワールドカップ予選を観ていた記憶があります。

時代の変化の中で、スマートフォンの普及・発展に伴い、鮮明な映像や画像がリアルタイムでSNSによって拡散され、不特定多数の人がいつでも観ることができる環境になり、一部の顔の見えない意見者たちの発言が圧倒的に正しい意見とみなされ、間違いや失敗が許されない世の中になってきました。

そうした風潮の中で、SNS上の”絶対的な正義”が、誤審や間違ったプレーを強く非難するようになりました。過去の失敗や間違いが、SNS上で消されることなく残り、検索すればいつでも目にすることができる状況となっています。
こうした状況が審判に強いストレスを与えていることは容易に考えられます。ただし、目を疑うような誤審が多くみられる現状について、このままで良いとも言いがたい状況ですので、難しい問題です。

世の中が完璧な審判を求めるのであれば、将来的にヒトが審判を行うのは難しいのかもしれません。そういった考えの行きつく先、AI技術を投入したオールテクノロジーによるジャッジシステムなんてものが将来登場するかもしれません。

なぜヒトが審判を行うのか。

ヒトが審判を行う意義を改めて考える必要があるのではないでしょうか。

Jリーグが開幕してから30年を経て、これからの10年はヒトが審判を行う意義を見つめ直し、選手・サポーターみんなで理解を深めていく10年となるのではないでしょうか。











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