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旅行2日目は鉄の街、北九州市から小倉を経て下関まで

今回も拙い文章にお立ち寄りいただき、ありがとうございます

旅行初日
7日早朝にフェリーで新門司に着き、佐賀県吉野ヶ里遺跡と唐津城を巡り、そのあと福岡県糸島まで戻り宿泊しました

詳しくはこちらを


続いて旅行2日目
お天気は晴れ、でも空気は冷たく感じます

この日3月8日(木)は相方つんの誕生日でした

「つんの思い出の地 北九州市」

今回の船旅と行き先を九州と山口に決めたのも、日頃から何かとストレスを与えてる罪滅ぼしとして相方つんを喜ばす為でした

北九州市八幡東区(枝光)で生まれ育ったつん、お父さんも旧八幡製鐵所(新日鐵)に研究員として勤務していたとの話し

小学四年生の時に両親が離婚

それから母親の祖母が暮らしていた今の山口県下関市豊浦へ移り住み、おばあちゃんと姉妹三人(姉、つん、妹)が暮らす事になりました

それからも下関(美容学校)と博多(看護学校)で勉強しながら働いていました

前々から父親が働いていた1️⃣八幡製鐵所の施設や、2️⃣2歳の頃にお母さんに抱かれニコッと微笑んでる写真に写っている真っ赤な若戸大橋、そして3️⃣小学四年生まで学んだ枝光小学校と歩いて1分程の所にあった生まれ育った家がいま現在どうなっているか見たいと言っていたのです

この3つが今回の旅行の本来の目的地です


当日、糸島から北九州市へ


国道3号線を北東方向にゆっくり進んでいきます

朝の通勤時間帯…
海沿いをノロノロ運転…ま、仕方ありません

姪浜   松林がありました

香椎   松本清張の「点と線」の舞台

海の中道 立ち寄りたかったなあ

大濠公園 石垣があるよって、つんが言いました…と言う事は福岡城址?

宗像  宗像神社のあるとこ 此処も今回は通過するのみ

「懐かしい名前ばかりやわ」と横でつんが言います

遠賀川を通過

ここでスマホのナビを官営八幡製鐵所にセット

八幡西区に入りました

「もうすぐやわ、ドキドキする」つん


「官営八幡製鐵所」は世界遺産なのですよ


1901年に操業を開始した日本国内で2番目(初めての製鉄所は釜石)の製鉄所で、日本の近代化を支えた国内有数の企業で国内の鉄鋼生産量の過半を製造しました

現在は後身企業の日本製鉄九州製鉄所として稼働しています

2007年に「近代化産業遺産」と認定され、2015年に旧日本事務所や修繕工場等4つの施設が「明治日本の産業革命遺産 製鉄、製鋼、造船、石炭産業」の構成資産として世界遺産に登録されました


八幡東区の表示がありました

遠くに製鉄所の建物や高炉等が見えます

ナビでセットした場所に着きましたが…
なんか違うなあ??

「わたしが見たいのは赤煉瓦の建物やで
何処にあるん?」

つんが行きたかったと言うのが
官営八幡製鐵所日本事務所

稼働中の工場内にある為、通常は非公開
なので残念ながら行けません

「いゃあ…スマホのナビは此処やと言うてるけど…💦」

寒空の中、外に出て歩きましたが…
「よう分からへん」わたし

「もお〜💢 寒いし歩くん嫌やから次に進も」つん

「ごめんな 枝光に向かうわ」

「ここからすぐ近くやからね」

走りはじめて数分
先にある信号横に「枝光駅」の文字が突然現れました、やば!

「あっ、ここ枝光駅やで」

「えっ、うそ 青い三角屋根のちっさい駅やったのに 」と言うてる間に通り過ぎました💦

現在の枝光駅

止めるところがありません

「先に若戸大橋に行って、もう一度戻ってこよ  その時に枝光小学校の位置確認するわ」

なかなか今日はうまくいかん💦

「若戸大橋」

洞海湾を挟み戸畑区と若松区をつなぐ
若戸大橋


この若戸大橋は1962年に完成し、2車線と歩道を兼ね備えた橋でした

当初はエレベーターで上に上がれ、また橋の両端にはバス停もあったとか

その時に撮った写真の事を何度も聞かされたものです
「自分で言うのも烏滸がましいけど、ホンマ可愛かってんから」とその時の事を言います

今は渋滞緩和の為に歩道はなくなり片側2車線づつ、また若戸トンネルも新たに造られました

「写真では真っ赤で綺麗な橋やったのに…すっかり色褪せてるなあ…歩道もなくなってるし」と戸畑区から若松区に渡った時にしんみりと話してました

長い年月を感じます

Uターンしてもう一度枝光駅方面に戻りました

駐車場がないのでコンビニへ

「調べとくから煙草吸っといで」わたし

「うん、ありがと」とつんは喫煙場所に

年配のおじさんが先客で喫煙場所にいたはりました

スマホを操作しながらふと前を見ると、おじさんとつんが話してます

あとで聞くと車の「なにわ」ナンバーを見て「なにわって何処から来られたとですか?」から始まり、つんがむかしここに住んでたと言い話しが弾んだそう(笑)

その間に枝光小学校までの道筋を確認

コンビニから2分?
直ぐにいけそうだったのですが…


県道50号から山手へ

急な坂道を登って行きましたよ

途中から道幅が狭くなります💦

二又の道が目前に
ナビは左方向を示してますがより一層狭い下り道、道なりの右方向は広めの登り道

仕方なく広めの右方向へ

「あかん!左手に校庭のフェンスが見えるわ
離れていくで」わたし

「でも、あの左手の道に入っていくの怖すぎるから仕方ないやん」つん

どんどん登り道が続いていくけど停車やUターンする場所がありません

何とか止めれる所があり一旦停車

そこからの眺め

枝光小学校やつんが住んでいた場所から2分ほど上にあがったところ、何処やここは?
あとで調べてみると「枝光公園」のそばにいました

つんの話しでは、家からでも八幡製鐵所の高炉の燃える炎が見えたそうです

「だいぶ上まできたね…それにしても小学校までの道、こんなに狭かったかなあ
もっと広かったと思ったけど…」つん

「ホンマやわ…とにかく道幅狭すぎやし、対向車きたらすれ違い苦労しそうやで」

下まで戻る事にしましたが

下り道を探しながら走っていてもなかなか適当な道がありません

あっても急な下り勾配で
「この道は怖いからやめて! 他の道探して」つん

登った場所からかなり離れたところに、広めの下る道路を見つけなんとか県道まで辿り着きました

「目的とした場所 1️⃣官営八幡製鐵所2️⃣若戸大橋3️⃣枝光小学校と実家 残念な結果ばかり」となりました、ごめんな🙏


「でも、ここまで連れて来てくれてありがと」と言われましたが二人して心残りが…

お互い無口になりながらこのあと小倉へ向かいました

「小倉城」へ行きました

小倉城のゆるキャラ とらっちゃ🐯
あちこちに虎の絵があります
小倉城 天守閣

1602年から細川忠興によって築城が始まり、7年の月日を経て天守閣等造られ完成しました

細川氏が熊本へ移封されたのちは小笠原家が幕末まで居城しました

小倉城を後にしたのが午後4時半、関門橋を経由して北九州に別れを告げ本州山口県に向かいました

下関駅前のビジホに予定どおりの時間にチェックイン
すぐ横にある居酒屋にてビールで乾杯🍻
炙り鯖、餃子、茄子のチーズ乗せ、ちゃんぽんをシェアしていただき、この日は少し早めに就寝

2日目は思った様に目的を果たせなくて残念

この日の走行距離は約142kmでした

大阪に帰ったのちも「枝光駅付近に車を停め歩いて家を見たかったなあ」と言ってます

また都合をつけて枝光に行かねばなりません

ダラダラとした文章で2日目の記録が終わってしまいました

お付き合いしていただいた方には申し訳ございません

3日目、4日目は大阪に戻りながらのお話し(広島と岡山)となります

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