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マウントを取られたら取り返しに行け

私は、障がい者という言葉がいやです。

なぜ障がい者と呼ばれないといけないのか意味が分かりません。

それは、私にとってネガティブな言葉だからです。

人と話す時も、私は障がい者という言葉は使わないようにしています。私がいやなので、「障がい者と言われる人たち」という言葉を使っているのです。

障がい者ではない人は、何と呼ばれているのでしょうか。この世界では「健常者」と呼ばれています。

このふたつの言葉の力を考えてみましょう。

私の主観がここからは入ってくるのをご了承ください。

健常者>障がい者

と不等号で表されるように、私の目には映ってしまうのです。この図式は、健常者は障がい者よりも優れているとも取れる訳で、「正常な人と異常な人」と言われているようにも取れるんです。

この不等号を=にするにはどうしたらよいでしょうか。

私は健常者じゃない方がいいと考えます。

趣味なんかなくしてしまえ

ここからは、異端論とも言われるかもしれませんが、私の考えを書いていきます。たとえば、映画を見ることを楽しみにしているAさん、映画に依存して生きていると捉えることもできないでしょうか。

それならば、障がい者雇用と一般雇用に分類されているこの世界ですが、一般雇用を依存症雇用にしてしまうとかです。

こうすることで、=にはならなくても≒くらいにはすることができるのでは?と考える訳です。

私は、障がい者と呼ばれること自体を拒絶する傾向にあるので、障がい者と呼ばれるとマウントを取られているように感じる訳です。

障がい者と呼ばれなければならない人たちの苦手なことや、得意なことを表現する時に「障がい特性」などという言葉が使われたりします。なぜでしょうか。

それならば、依存特性があってもよくないですか?となる訳です。趣味なんて、何かに依存してる訳ですから、依存症雇用でも全然いいのではないかと思う訳ですがいかがでしょうか。

たとえばの話で一例をお話したに過ぎないのですが、これによって「障がい者の癖に」と言われたら「依存症の癖に」と言い返すことができる訳です。

 フラットな社会を目指したい

差別的な言葉で分類するのは、やはり危険が伴います。多様性を重視する考え方に移行してきているとも言われている現代にあって、健常者の定義を一旦考えてみてはいかがでしょう?生まれながらにしてフラットな社会を目指すことで、その人の能力を改めて重視することのできる社会になっていけばいいなと思う訳です。

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