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募金は経済的な痛み。どう向き合うのか

 ひとつ前にミャンマーの募金についての記事を投稿をしました。

https://note.com/lucky_impala600/n/ne450f278734d

 そこで以下のように書きました。募金を拡散する内容の投稿をしておいてなんですが、個人の判断が大事で、その行為を手放しで宣伝したり押し付けたりしてはいけないと思っています。

募金は人それぞれの考え方なので、募金した人が必ずしも正義というわけでもなければ、しない人が冷たいとか無関心とかではないという考えの立場です。
https://note.com/lucky_impala600/n/ne450f278734d

 募金は出費であるので、経済的に痛みがあります。

 自分の生活が大変な人はまず自分の生活を守るべきです。貯金だって当然したい。苦労して働いて得たお金を自分の人生を充実させるために使いたいし、直接は縁遠いところへの出費は避けたい。それもそう。人のお財布事情、金銭の価値観は人それぞれ。

 また、世の中には困っている人は多く、災害支援、難民支援、紛争地域の子供への教育支援、難病支援、ひとり家族の子供支援、貧困支援、福祉施設への支援……など、ひとつひとつが心傷める事案ですが、さりとて、すべてに寄付をしていたら身がもちません。

 私自身、かつては一切のことに「募金をしない」と割り切っていました。世の中の不幸なことすべてに関わっては自分が破産してしまう。できる範囲で選定するというなら「これは募金する」「これは募金しない」と主観的なエゴが絡み、不平等で気持ち悪いと感じていたのです。

 だから、平等でいるために、いっそ募金はしない。なるべく、世の中の不幸に無感動でいること。そうやって、駅前などで募金活動に声を上げている人がいても見ないふりをしていました。振り返ると、ややこじつけがましいですね。

 今は、少し考え方が変わってきました。他人事じゃないという感覚が大きいです。

 世界情勢が不安定で、自分自身や親しい人もいつ窮地に立たされるかもしれない。その時に少しでも助け合いの精神をもてる社会であったほうが、最終的に得をするのではないか。そんな願掛けのような思いで、募金などにも可能な範囲で協力したいと思えるようになりました。

 ですがやはり、裕福な立場でもない身にとって、募金は身につまされる出費です。この行為とどう向き合っていくか。募金した分赤字になっては困ります。

 自分なりに考えた結果、募金した分、節約すればいいのでは、と。逆にいうと、節約の範囲で補える分しか募金はしない。

 例えば、これは、と心を傷める事案があって募金をした場合、その分がチャラになるよう調整する。平日の昼をふだんは買っていたところ家でおにぎりを作っていく。欲しかったアクセサリー、化粧品を検討しなおす。つきあいの食事会を断る。など。

 自分の感覚でいうと、節約で捻出したお金だったら、どう使っても損した気分になりません。

 額は少額でいいと思うのです。100円とか500円とかでも。自分のできる範囲で、社会貢献活動の窓を開けていることが大事なのかと。

 最後になります。えらそうに書いてしまいましたが、もっと事前活動に身を尽くしている立派な方はいらっしゃいますよね。また節約をしつくしている方もいらっしゃると思います。頭が上がりません。自分の都合を優先できて、さらに工夫次第で節約の余地がある人は、裕福なのかもしれません。多くの人の心が裕福になる方へいくことを願うばかり。

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