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ストⅡ対戦台の発祥は?

ゲームメディア4Gamer.netにて連載されている、黒川文雄氏の『ビデオゲームの語り部たち』という記事がある。

老舗オペレーター池袋ロサ会館のオーナー、バーチャファイターのディレクションを行こなった開発のメインメンバーであり、ほとんどメディアにバーチャファイターのことを語ったことのなかった、石井精一氏のインタビューと黒川氏のコネクションと取材力で、ビデオゲーム史を後世に残す連載記事だ。

その第三弾が本日公開、その内容は新宿カーニバルの元スタッフで90年代の特に対戦格闘ゲームブームを現場で体験された林田貴光氏の証言からその時代の様子を記事にされていた。

その中で、『ストリートファイターⅡ』ブームのきっかけを作った対戦台についての発祥に言及する以下の証言が掲載されていたのだ。

「僕が初めて見たストII対戦専用台は,熊本の『ゲームプラザ白山』というお店にあったものです。これは2台の筐体をつなげた『通信対戦台』ではなく,1台に1Pと2Pそれぞれのレバーとボタンがついているものでしたが,基板の設定を「2Pスタートボタンが押された場合,1クレジットにつき1対戦」としたうえで,1P側のスタートボタンを物理的になくしてしまい,対戦プレイしかできないようにしたものでした」
 「その後,福岡市内の『モンキーハウス』で,現在みられるようなキャビネット筐体2台を利用した通信対戦台が作られました。あれはもともとゲーセン発祥で,その後メーカーが正式に採用したものなんです」
福岡だと1991年の初夏ぐらいにはストIIの通信対戦台が広く普及していましたが,都内では僕が上京した1992年春の段階でもまだ『対戦者求ム』の札を掲げて対戦する店舗がほとんどでした。

引用元:http://www.4gamer.net/games/999/G999905/20180124091/

私が知りうる情報では、対戦台に必要な対戦ハーネスは、東京の下井草、『ヒノーズ』(現在閉店)で生まれ、そこが対戦台の発祥の可能性が高い。という情報を、イケダミノロックのそんなカンジでおねがいします(仮)第1回で、ビートライブカップ主催の山岸 勇氏が証言しいる(21:08あたり)ことがインターネット上にある証言で、

その他だと、どこで見聞きしたのか失念したのだが、福岡の『モンキーハウス』が対戦台の発祥とも聞き記憶していたので、九州発祥であるとぼんやり覚えていたところに、林田氏の証言である。

熊本の『ゲームプラザ白山』については、熊本BAMBOO勢からその名を聞いていたこともあり、熊本では馴染みがなかった予約コイン文化もこの『ストⅡ』ブーム時に始まったという話もその際に聞いた。

時期についても私は、91年に上京し都内のゲームセンターでゲームをプレイしていたのだが対戦台に出会うのは少なくとも91年の後半以降であったことは間違いない。当時ゲームセンターで『ストⅡ』をプレイした時は対戦台ではなく、1台の筐体で横並びで対戦していたことを記憶しているからだ。

この情報は、対戦台の起源について非常に貴重な証言であり、こういう証言が今出てくることに驚いた。そしてその件についてツイートすると、当時を知る方々や、林田氏ご本人から証言が集まりだす(以下ツイート引用)。

とまぁ、外に情報を出したり、疑問を投げかけると真偽は不明だが関連情報が集まってくるこれぞ集合知! 対面台の前に1台で対戦専用に設定された対戦台や2台横並びの対戦台などなど…。

『ストリートファイターⅡ』はビデオゲーム史に残る金字塔であることは間違いないのだが、そのブームの裏側では、現場であるゲームセンターのオペレーターが、対人対戦こそこのゲームの本質と見抜き、それを対戦台、対戦ハーネスの発明とよりゲーセンに来るお客さんが抵抗感なく対人対戦を行える仕組みを作ったことが大きなきっかけであることは間違いない。

このメーカー主導ではなく、現場主導で発明された対戦台。どこの誰が開発したものなのか? 謎の解明にはまだ至らないが、今回の記事など情報が表にでることによりその謎に近づくのってなんだか良いな。と思ったのだった。

というわけで、対面対戦台の起源について有力な情報をお持ちの方いらっしゃいましたら、Twitterででもつぶやいてください。知ったから何かするってわけでなく、ただ私が謎解明してスッキリしたいだけなんだけど(笑)。

#ビデオゲーム #格ゲー #ゲーム史 #ゲーセン

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