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優しくなりたい

 こんにちは魚木まるです。ブログ毎日更新したいとか言っときながらだいぶ日が開いてしまいました。これだから意志弱人間は…。


 4月に入りましたね。新しい季節だ。何かが始まるということは何かが終わるということ。

 ブギウギ、終わってしまいましたなあ…(遅い)長い旅路でした。半年のはずなのに、それよりずっと長い月日が流れていたようで、終わってしまったのがすごく寂しかったです。

 潔く歌手をやめる、という決意は、歌手として全力で生きてきたからこそだと思います。寝ても覚めても、考えるのは歌のこと。何があってもステージに立ち続けた。その覚悟と根性があったからこそ、すっぱりとやめられたんだろうな。もう心残りはない!という段階まで物事を極められるなんて常人にはできないもんなあ…。

 そして最後まで貫かれた「義理と人情」。最後に家にいたメンバーを見れば、スズ子さんがどれだけ人情に溢れていたか分かりますね。さすがに未遂とはいえ誘拐犯を家で雇うのはなかなかだと思いますが笑 でも、人の本質を見抜き、困っている人には手を差し伸べる愛情は、お母さん譲りですね。

 そうそう、お母さんと言えば、スズ子さんが愛子ちゃんをつれて、産みの親に会いに行ったシーンも好きです。「あの人がおばあちゃんやで~」と愛子ちゃんに教えているときの、お母さんの顔と言ったら…。スズ子さんは本当に心が広い人だなあと思う。自分がつらい目にあっても、決して相手を責めたりしない。

 自分がどんなに悲しくても、たとえそれが自分のせいじゃないとしても、ひとにはひとの事情があるのです…。竹宮恵子さんの名作「風と木の詩」の中にも、「他人様には他人様の事情があるのよ」というセリフがあって、それが妙に頭に残っています笑 たしか通りすがりのモブキャラが言ったセリフですが、なぜか印象に残ったんだよな…。ちなみに主要キャラで好きなセリフは、「憎しみで人が殺せたら!」と「鳥になりたい…」です。

 あら、話が逸れました。昔はともかく、今は「義理と人情」なんて任侠ものぐらいでしか聞かないなあと…。おせっかいって思われたくないし、今は困ったことがあってもスマホで解決できちゃうし、正直私は人情に厚いほうではないですハイ

 それについては母に小言を言われたことがあって…。
 母がスマホの使い方が分からないというので、初めはちゃんと教えるのですが、似たようなことを質問されるとだんだん面倒くさくなって「検索したら?」って言っちゃう。すると、「薄情者!」って罵られます笑

 母曰く、今の人たちは何でも検索しちゃうから、人に頼るということを知らないのだそうです。確かに、私は意識したことなかったけど、分からなかったらすぐスマホだもんな。逆にそうしなきゃいけないみたいな風潮ある気がする…

 人に迷惑かけちゃいけない…と思うあまり、自分の首も他人の首も締めちゃってるのかな。もうそういう社会になっちゃってるんだよね。自分のことは自分で何とかする。だからあんたも自分で何とかして!みたいな…。

 でも、ブギウギでもあった通り、自分でできないことは、他人に頼るしかない。その代わり、自分ができることをして他人に恩返しする。いつでも助けを呼べる社会というのが今こそ必要だと思う。だから私は、誰かに頼られたらできるだけ寄り添いたいと思うし、自分でSOSを発することのできる人になりたいな…。


 「不適切にもほどがある!」でも、他者とのかかわりについて描かれていたよね。(このドラマも面白かったから終わっちゃって寂しい涙)

 助け合える社会にするためには、「寛容」が大切ですよね。相手を許すことは自分を許すこと。すべてを完璧にこなせる人なんていないんだから、ちょっとのすれ違いや間違いが起こるのは当たり前のことだよな。

 どこかで、「他人に対する態度や言動は、自分に返ってくる」というのを読んだことがある。これはスピリチュアル的なものではなくて、人間の脳は主語を理解することができず、例えば同僚に対して「あいつは馬鹿で仕事ができないダメ人間だ」と思っていると、脳内では「馬鹿で仕事ができないダメ人間」という部分だけが抽出されてしまい、それを自分に当てはめて蓄積してしまうそうです。なんと恐ろしい。だから、他人に対して寛容の心を持つことは、自分が楽に生きるために必要なことだと思います。私もなるべく他者に対して寛容でいたいと思っています。というか、自分自身がぐ~たら人間なので、人の駄目さを許さないと自分の存在を肯定できなくなっちゃう…。自分に甘く他人に厳しいタイプにはなりたくない、おこがましすぎるし…。他人に甘く、自分にもちょっと甘いくらいがちょうどいいんじゃないかと思っております(逃げの姿勢)


 そしてこのドラマは、いい意味でも悪い意味でも私が考える昭和のイメージをぶち壊してくれました。昭和は確かにハラスメント地獄で、そこら中タバコの煙でいっぱいで、まだまだ男女平等とはいえなかったけど、人間関係に対する熱意が今とは比べ物にならないほどあったと思う。今は、現実の関係がうまくいかなかったらネットでつながればいいやと思っちゃうけど、昭和の世界は「現実」しかなかった。私の中学時代はそれこそネットに逃げまくってたけど、もし昭和の時代に生まれてたら、どうなってたんだろう。頑張って外に行こうとしたのかな。それともあきらめて殻に閉じこもっちゃうのかな…。

 でも今は、人間に生まれたからには、それなりに他人と関わって生きていたいなとは思う。いろいろ大変なこともあるけど、関わることでしか見えてこない世界があるし、私はそれが知りたい。

 レイモンドチャンドラーの名言に、「タフでなければ生きていけない。優しくなければ生きている資格がない」というのがある。自分の人生は自分で生きなければならない。困難を乗り越えるのは自分自身。でも、そればっかりで他人を気遣えないのなら、人間である意味がないのだと思う。もしかしたら、自分以外には一切目を向けず、目指すべき場所に向かって一直線に進んでいくのが人生の最短ルートなのかもしれない。でも、人間だから、機械じゃないから、必ずどこかで躓く。立ち上がるヒントをくれるのはいつも他者なのだ。そして、自分もまた、誰かの救いになれるかもしれない。人間を人間たらしめているのは、効率を度外視した優しさに違いない。


 今まで人から受けた優しさを、今度は返していけたらなと思います。

 それでは、この辺で、さようなら。
 

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