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カラオケで思考してしまった話。

※ BANANA FISHネタバレ注意



 初めてのヒトカラに行きました。思う存分、歌うことができるって最高ですね。下手でも、途中で曲を止めても、一人だし。
 sorrowsという、king gnuの曲をご存じだろうか。疾走感のあるサウンド、切ない歌詞。実はこの曲、BANANA FISHのために書かれたといわれています。もともと、この曲をopにするつもりでしたが、edを担当することになり、あの名曲prayer Xが生まれたのだとか。
 どっちも大好きなんですがねえ、sorrowsがまた、いいんですよ・・・。
 prayer Xが、英二と出会う前のアッシュの苦しみや絶望を表しているとしたら、sorrowsは、英二がアッシュを思う気持ちが表現されていると思います。アッシュは、頭も良くて、強くて、英二はとても彼には届かないと思っている。でも、自分と同じように孤独だ、いや、それ以上にもっと孤独だ、と思っている。英二は日本では優秀な棒高跳びの選手でした。だからこその、孤独があったと思う。私と比べるのもなんですが、習い事のエレクトーンで割と優秀な成績を残してたんですよ。でも、コンクールで勝ち上がれば勝ち上がるほど、自分と向き合い孤独になるシーンが増えてくる。英二にも、きっとそのような孤独があったに違いない。

 そんな英二が、アメリカに来て、自分と同じように孤独な少年に出会う。しかも、その少年はひどく傷ついて、弱っている。同じ時を過ごすうちに、彼のやさしさ、脆さに気づく。だから英二は、「痛み」や「悲しみ」「喜び」「苦しみ」そして、「世界」をアッシュと分かち合いたいと思った。でも、別れが訪れて、そんな些細な願いもかなわなくなってしまった。

 歌っているとき、ガチで泣きそうになりました。アニメを見た時は、アッシュ、なんてかわいそうなんだ・・・。と思っていましたが、実はそうではないんじゃないかと。アッシュは、幸せだったと思う。自分のことを心から思ってくれる相手のぬくもりの中で、この世の苦しみから解放されたから。もし仮に、ゴルツィネの手から逃れ、自由を手にしていたとしても、英二に出会っていなければ、人としての幸福を知らないまま、彼は苦しんだかもしれない。生きながらえたとて、争いの世界を生き続けなければならない。決して、生きていることだけが、しあわせなのではない。残念だけど。

 対して、英二や、シンや、残された仲間たちは、傷を負うことになる。それは、BANANA FISHを見た私たちも同じだと思う。決して、見る前の世界には戻れない。

 人が、自らの命を絶つことにある種の嫌悪感を抱くのは、このせいなんじゃないかと思っている。死んだ人がかわいそうなんじゃなくて、残された人がかわいそうだから。でもこれは、生者のエゴであり、すでに命のないものを責めることは誰もできない。

 だからこそ、今生きている人々は、できるだけ幸せなほうへ、歩いていかなければならない。

 ヒトカラ楽しかったよ、ってことを言いたかっただけなんだけどな。

 それでは、この辺で、さようなら。

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