すばらしきかな

 最近2次創作が楽しい。

 己の欲望に向き合い、それを形にし、運が良ければ他人からの評価を得ることができる。それが二次創作。

 2次創作との出会いは、小学3年生ごろであったと記憶している。当時ハマりにハマりまくっていたアニメ「クラシカロイド」を、学校のpcで検索した。その時から、全てが始まっていたのだ…。

 インターネットは海。未知という海原に、好奇心という船で漕ぎいでよ。そこでは壮大な冒険が日夜繰り広げられている。今まで内ばかりを見つめていた少女は、望遠鏡を覗きかなたの水平線に恋焦がれるようになった。今まで何かを「創造」する者たちを、天上の存在と考えていた。しかし望遠鏡に映るのは、私たちと同じ地球に生き、暮らす隣人だったのだ。

 2次元を好きなものならば、徐々に画像検索という手段を覚え始めるだろう。それは、pixivというオタクたちの港へつながる航路となる。
 pixivは港であり、自分好みの画像や文章を、大海原から探し出すための羅針盤。pixivの発見により、大航海時代が幕を開ける…!

 しかしpixivには、タイタニックばりの豪華客船がすでに何百隻と場所を占領しており、手漕ぎボートで乗り出した少女には、ただその光景を見て感嘆の声を漏らすしかできないのであった…。

 中学3年ともなると受験という現実の問題が迫っていたり、普通に学校が嫌すぎてメンタルが死を迎えていたので、2次創作どころではなくなってしまった…。

 そこから時が過ぎることはや5年。かつてタイタニックたちを小さな船上から眺め、その胸を希望で熱く燃え滾らせていた少女は大学生。いまだ風が吹けば煽られ、氷山にぶつからなくても普通に沈没しそうな貧弱な船しか持ち合わせていなかったが、おのれの腕力だけを信じ、航海の旅に出ることを決意したのであった。








 な~~~んて書くとものすごい覚悟をもって小説書いているみたいですが、実際は自分でWordに打ち込みながら「うひゃ~~~~さいこ~~~~~」とか言ってるだけですハイ


 でもね、2次創作っていいよ。精神衛生上とても。

 やっぱり人間、死後も残り続ける「作品」を生み出したいと思うもんなんすよ、形に差はあれど…。

 もし私が死んで、この世界で私を知る者が一人もいなくなったとしても、作品はXやpixiv上には残り続けるんだなあ…と思うと、ロマンを感じる。読んでくれる人がいなくても、この世のどこかには「ある」って思うだけでうっとりしちゃうのは私だけでしょうか…

 まあ、一時期は離れてた時もあったけど…。2次創作って結局は「2次」でしょ??本物オリジナルには勝てねえ…勝てねえ試合って意味あんのかよ…????それに偽物作り出してなんの意味があるんだ…と。



 でも、もう一度よく考えてみよう。想像することの何が悪い?人間は想像力により、これまで様々な文明の利器を作り出してきた。

 それに、趣味の世界に勝ち負けもない。他人に迷惑をかけなければ、やっていて楽しいことをするに越したことはない。

 私がまだ女児だったころ、プラスチックでできた宝石のペンダントを持っていた。つけている間は、本物のプリンセスになれた。偽物イミテーションは時に人を感動させる力がある。重要なのは、本物か、偽物かじゃない。それが人を喜ばすかどうかなのである…!


 ありがたいことに、Xやpixiv上の私の作品にいいねやブックマークを付けてくださる方々がいる。もちろん創作は個人がやっていて楽しければそれでよい。しかし、承認欲求を満たすために、創意工夫を重ねるのも、それはそれで悪くない。


 なんだか最近は、将来に対して漠然とした不安を抱くことが多く、今後の人生…まあ要するに就活で語れるような立派なことをしなくては…と頭の片隅で考えて、何もしていないのに疲れる、という最悪な状況に陥っていたが、そうじゃない。人生は死ぬまでの暇つぶし。暇つぶしなのだから、何をやってもいい。できるなら心躍ることをしよう。

 時には損得勘定を抜きに、好きなことをしよう。それがどんなに不毛なものに見えても、楽しいなら続けるべきだ。だって趣味に義務とか発生したらつまらないじゃん…?


 以上、楽しい春休みを送る大学生の戯言でした。



 それでは、この辺で、さようなら。

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