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題名なんてつけたらいいのかわかんない

 どうも~~~魚木まるです。

 長文記事ちゃんと書かなきゃと思いつつもいつも呟きばかりになってしまいやした。書きたいことはたくさんあるんだけど、その多さゆえに頭と心の整理がつかなくてまだいいやと思っていたら何を書きたかったのか忘れました。(大馬鹿)

 春休み中ほとんど脳みそを使わなかったせいか、少し考え事をするだけで頭が痛いです。こりゃひどい。

 人生において最も偉大で最も困難なことは継続なんですよ知ってましたか?続けると物事は洗練されていくし容易になるのだけれど、その「継続」ってぇやつが億劫でして、ああ~~~ついつい目先の楽なほうへ流れてしまうんですよね。思考をし続けろ!!!!!



 なんかここまで書いてみて、今回のブログは非常にまとまりに欠けるものとなりそうなのでここで謝っときますね。文章の構成を考えるのすら面倒くさい。許せ。


 私は一度考えだすと深みに嵌ってドツボに嵌ってマントルまで突き刺さってしまいにはウルグアイから1000キロ離れた大西洋上に出没しますので…(ブラジルじゃないらしい。豆知識)

 ね、なんなんでしょうこれはね。1年生の時はこんなことなかったのに。多分新しい生活がウキウキ過ぎて落ち込んでる場合じゃなかったんでしょうね。なんでだろうね。何をうだうだ悩むことがあるというのだろうね…。わかんないね…

 あ、逆か(?)私の人生において最も悩みが少なかった平穏な一年を経て、甘やかされたところに元の日常が戻ってきただけなのかも。冷静に考えて、小中のころよりはましな日常でしょうが。え~ん昔はこんなにひ弱な人間じゃなかったんですよう信じてくださいよう。


 まあ一つ成長したのが、「すべてをぶん投げて逃げ出さなくなった」というところです。今までは嫌なことに耐えて耐えて耐えて、あ、もう無理、となった瞬間にすべてをブッチして引きこもる迷惑系でしたので。学校も行かねえ、遊びの予定も全キャンセル、親とも口きかねえじゃこの厳しい社会では通用しません。いや、正確に言うと通用しますが、後々のリカバリーがめんどくさいのでそこら辺のバランスをとる必要があります。中学時代、テスト期間にそれをやってしまってすべて追試になりました。
 今は、あれ?なんか、ちょっと元気ないかも…?という段階で気づけるようになりました。その時点で対処するか、だましだましやり過ごすという方法を実績解除することに成功。おかげで人としての尊厳を保っています。どんなにしんどくても、人との約束は守ります。あ、たまに守れてないこともあるけど…。


 でも私は器用じゃないので、対処できたと思ってもできてないし、自分をうまいこと騙せたと思っても詰めが甘いのであっという間にぼろが出ます。

 もう何を改善すべきなのか、手放すべきなのか、何に対して不満を持っているのか、そもそも何をしたいのか全部が分かんねえ。これからどうしましょうと思っても、頭がうまく働かねえよちくしょ~~~~~~靄がかかってて、あるのは分かるのに輪郭をなぞれない感じがなんとももどかしい。めっちゃ頭いい人の脳みそを借りて一気に解決したい所存。多分自分じゃどうにもならないので。

 あれだなきっと、不規則な生活、睡眠不足はすべてを台無しにするんだよな。お姉さん知ってるんだ。でも、規則的な生活を必要とする場面に限って、生活を回すだけの体力、気力がないのは世界のバグってことでいいのかな?ご飯もりもり食べるのだって風呂入るのだって、22時には布団に入って自然に眠りにつくのだってそれなりに体力がいるんだよ。HP0の時は地べたに座りながらインターネットしかできないのがこのわたくし。バグは早急にIFで隠蔽すべき。人生にも、IF、ありますよね?????(震え声)


 ここ最近はこんな感じでクソみてえな思考回路を永遠とたどるだけbotと化しているのですが、それなりにお外に出て、いろいろ触れる機会がありまして。

 ついこないだ、角川武蔵野ミュージアムというところで開催されている中島みゆき展に行ってきたのですが、ま~~~~~~感動したよね。みゆきさんは詩人ですね。現実を見つめる冷静な目と、その上でどうしようもないところも愛そうじゃないかという慈愛。みゆきさんがスナックやってたら大盛況ですな。


 私は、「地上の星ええな~~~銀の龍の背に乗ってはカラオケで歌うの楽しすぎるし、旅の終わりにヘッドライト・テールライト流すのって、これエモですよね?ね?」ぐらいのテンションでいたのですが、この展示を見て、この人はなんて偉大なんだろうと思ったよ。

 まず衝撃を受けたのが「エレーン」 その歌詞は、聴いている人、一人一人の心の奥底に語り掛けてくるようだ。
「エレーン 生きていてもいいですかと誰も問いたい
 エレーンその答を誰もが知っているから 誰も問えない」

 恐ろしい歌詞だ…。何が恐ろしいって、聴く人によっては暖かなエールにもなりえるし、冷たく突き放す鉄壁にもなりえるから。

 この曲だったか忘れたけど、ある業界人のエッセイ本の中で、「ガチ鬱の時に中島みゆきの暗めな曲を真剣に聞くと、ほら、死んじゃえよ、死んじまえよ、それがいいよ、死んじゃえばいいんだよ…みたいに言われてる気持ちになる」(超意訳)と書いてあって、ああ~~~~わかる~~~~ってなってしまった。

 もし、「答」がはい、の場合。そんなもん口に出すまでもねえから言ってないだけだよ。だからつべこべ言わずに生きろよ!!!!な!!!!と言われていると取れなくもない。

 ただ、私はいいえ、なんじゃないかと、その説の方が濃厚なんでねえかと思ってしまうんだわな。うん、皆さんもエレーンの歌詞を読んでみるとええよ。
中島みゆき エレーン 歌詞 - 歌ネット (uta-net.com)

 どうだい、背後にひしめく、なんともいえぬほの暗さと、湿ったような悲しみがあるだろう…?だって「淋しさ」だけが真実なんだもの…。

 生きていてもいいですか、というのは、人の不安や苦しみを煮詰めて濾しとったときに最後に残る悲痛な叫びだと思う。普段の生活の悩みは浅くて見えないけれど、深い深い問題に向き合った時、その底にあるのは、「生きていていいですか」という、つまり自分の生を無条件に肯定してほしいという願望なんじゃないかと。

 でも、自分の深い部分をさらけ出すのは勇気がいるし、ああ、あの人はきっと私が望む言葉をかけてはくれないのだろうなとか、そもそも他人に頼り切ってしまおうという我儘な自分が許せなくて、真実の姿すべてを打ち明けることはできない、と思う。

 そうだからこそ叫びたい、生きていてもいいですかと。だって答えてくれなきゃわかんないんだもん。分からないことは恐ろしいでしょう。

 でもさ、心のどこかでは、どうせ自分なんかいなくても、って否定するもう一人の自分がいて、そしてその自分を、目の前のあの人に重ねてしまうのだろうよ。結局は自分で自分を否定し続けてしまうんじゃないか…?

 そう考えると、答えは、いいえ…??

 あ、答えなんてないのかもなあ。答えがないから永遠に問いを繰り返してる。永久ほど苦しいものはない。

 とにかく、この歌詞は、みゆきさんの恐ろしいまでの洞察力を表していると思った。でも、やはりその目線はやさしいな、とも思う。彼女だけが、エレーンの悲しみを理解していたのだから。

 この歌には実際のエピソードがある。同じアパートの住人であった外国人娼婦が、ある朝殺害され、裸のままゴミ捨て場に捨てられていたという。人生とは何のためにあるのか、と思ってしまう、こんな最期をみたら。


 私事ですが、祖母が先日亡くなりまして、改めてこの歌詞を読んで、ああ人生って難しい、と考えてしまって。強制的に終わりが来るわけでしょう。最後は必ず来るということが分かり切っているうえで、「生きていていいですか」という問いは、あまりにも、こう、叫びのようなものだと思っちゃうんだよね。生きるってすべての根底にあるのだけれど、「生きている」ということは、何かをして、何かしら得なければ実感しにくいじゃないっすか。生きているから生活があるのか、生活のために生きているのか、どちらなんでしょう。わかんない。生きているという実感を得るために生きているのならそれは滑稽なようでいて、泥沼のような息苦しさがあるなっていう。


 もう一つ印象に残った曲が、「泣きたい夜に」

「一人で泣くとなんだか自分だけいけなく見えすぎる
 冗談じゃないわ世の中誰も皆同じくらい悪い」

 こう言い切ってくれるところに愛を感じた。誰が悪いとかいいとかじゃなく、全員悪い!! とても潔い。でも、泣きたい夜は、確かにこれぐらいの潔さが必要なのかもしれない。


 ここんとこ夜に悶々と考えてあほらしくなって涙が出てきて疲れて寝るという傍からみたら馬鹿げた、でも私からしたら結構深刻な状況に陥ることがありまして、でもこの言葉に救われた。そうよね過剰に自分を卑下するのは良くないんだよ。みんな自分を大事にしたいのに、できないのはなぜだろう。



 人のかなしみに触れたら、それだけ自分も悲しくはならないのだろうか。なんか吉本ばななさんの本にそういうのあった気がする。題名何だっけ。

みゆきさんは強いんだと思う。痛みを受け入れて、それを「わかるわかる、人間ってそういうところがあるもんね~」と歌にできる懐の広さがあるんだろうな~~


 優しい歌っていいよね。頑張れって背中を押されて、腕を引っ張られるより、そーかいそーかいと隣でわらってくれる歌が必要な夜もあるんじゃよ。

 米津玄師さんの「さよーならまたいつか!」もとても優しい曲。真っ赤お下げピースに気を取られがちだが、この曲も懐がマリアナ海溝。

 生きろ!でも死ぬな!でもなく、「100年先のあなたに会いたい」これほどまでほんわりとあったかい歌詞が今までにあっただろうか?いや、ない(反語)

 あ~~なんか生きているうちに、またどっかで会えたらいいっすよね~~ほんと、って感じの柔らかさが好き。歌詞全体としては、「虎に翼」の主題歌ということもあってかわずかに硬いというか端正な言葉が並ぶのだが、それと比較した時の「さよーならまたいつか!」の軽やかさよ。どこまでも飛んでゆけそうですね。

 虎に翼、最新話になかなか追いつけないけど、人物の描き方がええな~~って思う。等身大だよね。悪いとこも良いとこも、ちゃんと描きますよっていう。でもそこには愛がある。精一杯生きる人々へのまなざしなのだろう。



 てな感じでね、どういう話をしたかったのか忘れちゃった。思い付いた順にわちゃ~~と書いていったので、特にこれと言った主張はないです。若干考えが整理された気がする。どうしようもない時こそ、せっせと文字を編むのが吉、らしい。


 前の呟きでも書いたんだけど、本当に、全員がしあわせな走馬灯を見れたらいいね~~~って思ってます。人生の評価って自分しかつけらんないよねきっと。


 それでは、この辺で、さようなら。

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