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残念坂…至高の道 Half done

 浅間下交差点自体は幹線街路どうしの普通の四辻の交差点だが、三ツ沢へ向かって50mほど行くと左へ分かれる道がある。街路の太さが違うので気付かないが、典型的なY字路である。分かれる道は三ツ沢へ行く道の半分よりやや広い位の対面交通路だ。しばらく行くと宮谷小学校前に出る。若干古めかしい意匠の校舎だが最近建て替えられたもの。しかし学校の校庭に隣り合わせて宮ヶ谷公園があるので、関東地震後の復興事業で整備された小学校だ。古い意匠なのはその経緯を継承する意図があったのだろう。その先でこの道は終わり、その半分に満たない幅の区画街路が2本続いている。まるで対面交通路を二つに裂いた印象だが、真っ直ぐの道は谷戸入りに続き、右に裂けたような道は谷戸の縁を登って市民病院と三ツ沢公園陸上競技場の方へ行く。途中に個人墓地があることからそれなりに古い道であることが判る。
 それにしても不自然な道で、将来的に拡幅の予定があるのだろうか。
 現行の都市計画図を見る限り法定的な計画は定まっていないようである。
 しかし震災復興後に策定された都市計画街路網図には、この道がここで終わらず、古鎌谷戸を谷戸入りに登りつめて尾根に達し向かい合う谷戸を今度は下って今日の三ツ沢公園入口交差点へ向かう計画とされていた。
 おそらく尾根下を短いトンネルで抜ける予定だったのだろう。
 つづら折りに登る幹線街路は都市計画道路山下長津田線という計画名称があるが、これとは別に神奈川県道13号横浜生田線という名前もある。そしてそれが本来は宮谷小学校前を通る谷戸入り谷戸出の緩やかな坂道であった。
 ではどうして道は変更されたのか。
 昭和4年7月に横浜市土木局によって測量された地図を見ると、浅間下交差点は今とは形がまるで違い、fの字を左右反転した形のいびつな交差点で、平沼橋へ向かう道と新道から旧東海道が分かれる道との交差点だった。つづら折りの登り坂は全く形が異なっていて細い道で向う方向が東よりである。宮谷小学校前の道は細い。その奥の谷戸はまだ家が少なく谷戸の形がはっきりわかる。谷戸には古鎌谷戸という地名があるが標高40mの高さまで緩やかに登りその向い側にある谷戸の同じく標高40mの所へ通せばトンネルは短くできる。今日の三ツ沢公園前交差点は標高51mくらいだから道は10mほど低く出来たか。それでいて大きく湾曲しているのでかなり緩やかな道となっただろう。
 それが頓挫して、横浜羽沢駅に向かう海上コンテナトレーラはつづら折りの道を登ることになった。
 ざんねんなことだ。もちろんこの頃に東海道新貨物線の計画がある筈もないのでトレーラの登攀問題は考慮のしようがなかっただろうが。

昭和38年の浅間下交差点と宮ヶ谷小学校付近
横浜市都市計画局HPより

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