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残念石のある道は―静浦口野逍遥

 先の宝泉寺の写真はどうやら裏門らしくて、本道に至る門は下の集落から階段を登っていく側だろう。階段の脇の斜面は墓地になっているが航空写真から読み取れず、地形図にも描かれていない。
 さて行き戻って口野の奥の農地を歩いた。入り組んだ谷戸の奥で道幅は狭く曲がりくねっているから少々危険な道で、それでもみかん山として栽培している所もあり、木には熟す前の緑色のみかんが見える。その奥まった先には養鶏場跡が残りそのための電灯線が引かれていた。私費で引くはずだから経営が巧く行かなければ損害は大きかっただろう。この上は十字路のある所で、もちろんここから上には行かれない。
 それにしても舗装されているのにも関わらず道の状態は良くない。
 そうして突き当った先は金櫻山の麓のだいたい真っ直ぐな道である。
 この道はみかん栽培のためにあるようだが今でも栽培している農家よりやめた農家の方が多いようで廃屋と化した納屋がけっこうある。中には家畜舎と思える建物が2棟ある。
 納屋の傍らに割りかけの残念石がある。どうやらだいたい直線の道は元もと石降ろしのための道であったようだ。金櫻神社の脇を抜けると携帯電話の電波塔があり、比較的大きな三角屋根の建物がある。これは静浦中学校跡からも見えるが、使用してない模様。やや見晴しの好いところを経て三の浦の集落に降りた。静浦の三の浦の意味だろうか内浦の三の浦と紛らわしい。二つの三の浦は距離にして4km。今でこそ海沿いに道があるけど昔は四十八谷登り降りの山道しかなかったそうだ。私が口野口から歩いてここまで来るより大変だったようである。
 しかし「だいたい真っ直ぐな道」って良いですね。型にはまったわけでなく、ブレまくってるわけでなく…近代化の過程で否定された中世の面影がそこにある。

舗装されているが狭い道
埋もれる道のこの先は?
この(↖)には十字路がある
左は通行止め、右はだいたいまっすぐな道
割りかけ


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