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おんぼろアパートの汚部屋育ちだった私

「おい、お前、俺が帰るまでにこの豚小屋なんとかしろよ!!」
父がブチ切れながら出かけて行った。
よくある光景。

父  「なんで、ここにあるくクシがないんだ。
    なんでいつも同じ場所に
    ないんだ!!!」
母  「そんなん知らないわよ、あなたが片付ければいいでしょ」

これもよくある光景。

父は家事育児を一切しない男なのですが、母は片付けられない女なのです。
父も全てを母に押し付けて、たいがいにしろや!と思う気持ちもありますが、今日は片付けられない母について書いていきたいと思います。

母はとにかく片付けが苦手でした。
私は物心ついた頃から、2Kのおんぼろアパート住まいだったのですが、
狭くても古くても工夫して暮らしてる人はたくさんいると思う。
昔は同じような間取りに住む友達もたくさんいた。

母はとにかく家の広さを考えずに物を買ったり、貰ったりするので、
荷物が多いのだ。なのに捨てられないからどんどん狭くなった。

洗濯は好きだったようで、服はいつも洗ってあった。おしゃれな人だったので、見た目は清潔にしてもらっていたのがせめてもの救い。
でも食器洗いは苦手で、シンクはいつも山盛りになっていた。
何かを拭いたり掃除したりする姿もほとんど見たことはなかった。

テーブルの上も山積み、私たちの勉強机の上も取り込んだ
洗濯物で山積み。
全てがうまく機能してないのは子供の目から見ても明らかだった。

母が発狂する年に一度のイベント。
それは家庭訪問だった。
今はせいぜい各家庭の玄関前まで先生が回って家の場所を
確認することが多くなってきたみたいだけど、
私が子供の時は家庭訪問だった。
3人兄弟だったので、3回。
あんなおんぼろの汚部屋を先生に見られるのが苦痛だった。

家庭訪問の時期になると日程が決まる前から母はソワソワする。
「家を片付けないと」呪文のようにそればっかり言っていた。
日程が決まっても、そもそも捨てられないので減らないのだ。

私から見たら全部ゴミなのだけれど、母は
「使うから」「高かったから」「痩せたら着るから」
でも、使うからと取っておいてもどこに置いたか分からないから、
使う時に出てきことはなかったし、痩せたら着るは痩せたことがないから
信用度ゼロでした。
散々手伝わされた挙げ句、
「家庭訪問なんてあるのがいけないんだ」と
八つ当たりされた。
前日に「いいこと思いついた!」と邪魔な物をぜーーーーーんぶ
お風呂場にぶち込んで、終了。
めちゃくちゃ片付いたように見えるけど、出せば即元通り。
母はこのまま暮らしたいとご満悦だったけど、
お風呂に入れない問題が出てくる。

しかも、兄弟で同じ日に面談なら一瞬の夢で終わるけど、
次の日だったりすると、また部屋に出してお風呂に入ってまた
朝お風呂にぶち込むっていう作業を強いられるのが苦痛でした。
片付けられない母を持つと苦労します。

「なんで、こんなに片付けられないの?」と聞いたことがあったけど、
「廊下でダッシュが出来るくらい広い家で育ったから、片付ける必要がなかった」と全く悪びれる様子もなく答えていました。

私は大人になるまで、食事の前後はテーブルを拭くことも知らなかったし、シンクに食器が山積みなのもそういうものだと思ってた。
コンロは触りたくないくらいベタついてるのが普通だったし、お魚を焼いたグリルは洗わないので、受け皿の水は臭うものだと思っていた。
フライパンは油でギトギトで餃子の皮が剥がれなくなっても、
まだ使えるからと言って絶対捨てなかった。
ねぎを切った包丁でオレンジを切ったりも平気でしてしまう人なのだ。
でも私はそれが全部嫌だったのだ。
綺麗なうちに住みたかったし、片付いた部屋が良かった。でも子供は与えられた環境でしか暮らせない。

結婚して、私もそうなるかと思ったけど、
手本がないので、どうやったらいいかもわからなかったけど、
なんとか出来るようになった。

主婦歴20年を超えた今はシンクに何も残さない状態で、
一日を終えられるようになった。
やっぱり私は、綺麗な家に住みたかった。
我が家が一番と思える家に辿り着けて良かった。

今日も最後まで読んでいただきありがとうございました。





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