神秘性について
tiktokで山口一郎さんが新しい学校のリーダーズのsuzukaについて語っている動画を見た。
一郎さんはこう言っていた。
「冗談抜きであの子はヤバい。
久々に光ってる人見た。
直感でこの子凄いってきた。
こう言う世界に来たるべくして来た。
且つ繊細で新しいバランスの人。
頭も良くて、長く活動できる子だと思った。」
全くもってその通りである。
一郎さん程の慧眼をもってすれば気づくに決まっている。
一郎さん大丈夫かな?
suzukaが眩しすぎて失明してないかな?
多分私だったらしてる。
もし彼女を拝む時が来たならば、サングラスは必携であろう。
まあそんな事はどうでもいい。
と思ったけど、失明したら大変だからどうでも良くはなかった。
そう、ここで私が書きたいのはtiktokの民度の低さだ。
私はtiktokがリリースされた直後から「あれはゴミだ」と、
「塵芥にも満たない終わってるクソおもんないコンテンツだ」と主張してきた。
そして私のこの主張は、間違っていなかった。
さっきの一郎さんの動画、公式じゃないにしてもコメント欄がひどすぎる。
「顔ぱんぱんになってて草」だの「一瞬加藤純一に見えた」だの「誰か知らんけど、見る目あるやん」だの「ヒアルロン酸とか入れた?」だの「太った?」だの「バズってる奴には誰でも媚びていくスタイル」だの「何様だよ」だの「お前よりかすごいから上から偉そうに言うな」だの、
こんなコメントがずらっと並んでいた。
いやー、まさか一郎さんともあろう者がここまでの言れようだとは思わなんだ。
ちなみに私は8歳くらいの頃からサカナクションを聴き、サカナクションひいては山口一郎を心から尊敬してきた。
私は一郎さんを生粋のアーティストだと思っているのだが、そんな人がこんな事になるとは全く予想してなかった。
一郎さんといえば、youtubeでもよく配信で視聴者と話しているけれど、そこでも私は強い違和感を感じる。
配信で視聴者やファンと交流するのは良い。
良いんだけど、スパチャをもらって「〜、誕生日おめでとーうぅ!!」とか言うのは違うと思うんだ。
なんかそれじゃあvtuberとやってる事一緒だし、う〜ん。
世俗的になり過ぎた気がするんだ。
勿論私は一郎さんにユーモラスで明るい部分なあるのは知っていたし、そこも人間的な魅力があると思うけど、それを全面的に出しすぎるのは如何なものかと思う。
私はサカナクションを知ってすぐの頃、なんて陰鬱なバンドがいるんだと思った。
いや実際アーティスト写真とかもスゲー暗かったんだから。
音楽自体も自分の弱い部分だったり孤独を歌うもので、私はそこに惹かれたし、こういう人が音楽家なんだなとも思った。
特に「DocumentaLy」の制作が終わった後に撮影された動画で、痩せこけて全てを音楽に使い果たしたような一郎さんを見た時には、「自分もこんな音楽家になりたい」と思ったものだ。
一郎さんの配信でこんなコメントがあった。
「ゲーム実況の人かと思ってました」
確か一郎さんも取り上げて、アルバム「sakanaction」をお勧めしていたと思うが、私はやはり愕然とした。
長年の間アーティストとして尊敬していた人物が、今世間では「おもしろおじさん」として認知されているという事実に。
ただ一郎さんが今こういった活動している理由も推察できる。
突発性難聴やメンタルの不調だったりで、もうアーティストとしている事に疲れてしまったんだと思う。
思えば、サカナクションというバンドはもう十年以上音楽の最前線に立ち活躍してきたバンドだ。
それを維持するためには相当の心労があったのだと思うし、音楽を作り続けるのも簡単な事じゃない。
それは音楽に人一倍真剣な一郎さんであれば尚の事だ。
私は寛大な精神で今の一郎さんの活動を容認し(それこそ何様だよ)、またサカナクションの音楽が聴ける時を心待ちにしておこうと思う。
話は変わって?戻って?
またまたsuzukaの話をしようと思う。
さっき散々tiktokを扱き下ろしたのだが、新しい学校のリーダーズがtiktokを媒介にして世に出てきたのは厳然たる事実である。
しかし新しい学校のリーダーズ程の存在ならば、tiktokなんぞがなくても人気を博したのは容易に想像できる。
つまりは前時代と同じで、今はネットがあるからチャンスが増えたーとか言うけど、本当に実力がある人間というのは別に無くてもちゃんと有名になると私は思う。
よくバズりたいなんて言葉を聞くけど、実力のない奴がバズったってなんの意味もないぞ。
新しい学校のリーダーズは十二分に実力があった上でバズったから今の状況があるわけだけど、なんの努力もしてない奴が運よくバズったところで悲惨な結果しか生まれない事は容易に想像がつく。
結局私はこの「バズる」っていう言葉が大っっっっっっ嫌いなんだ。
ここにも数字信仰が表れているというか、再生数さえ多ければ内容はどうでも良いみたいな精神が現れていると思う。
これはちょっち話しが違うかも知れないけど、PPAPが流行った時なんかもPPAPを面白いと思う奴なんて誰一人いなかった筈なのにジャスティンビーバーが取り上げた途端に挙ってPPAPを見出した。
馬鹿みたい。
自分で評価しろよ。
流行ってるから良いものなんて、そんな理論どこにもありゃしねえんだよ。
なんの才能もないカスみたいな一般人が「バズりたい」みたいな事言ってるのを見るとぶっ殺したくなるよね。
名声というのは才能を持ち、努力をし続けた人間だけが得られる正当な権利であるべきだ。
この数字信仰から脱却しない限り、ネットの世界では下らないものしか生まれないんじゃないの?
Youtuberとかもさあ、登録者が多ければ多いほど偉いとか、面白いとか、そんな事ねえから。
クソおもんないゴミみたいな一般人が称揚されて、一郎さんが扱き下ろされれてんだから歪な世界だよなあ!?
後、「下らないもの」と「おもんないもの」は全然違う。
下らなくても面白いものはいくらでもある。
だがtiktokの連中は下らない以前におもんない。
そして薄っぺらい。
面白さをミルフィーユに例えると、一番上のペラッペラな層一枚食わされてるような感覚。(ミルクレープで例えた方が良かったかも)
あ、やべ、suzukaさんの事なんにも書いてなかった。
キリストは「私は世の光である」と言ったらしい。
あれ、おかしいな。
私は聖書を読んだところで私の心は何も変わらなかった。
でもsuzukaを見たら、私の心は光り輝いたのだ。
高慢なる救世主よ、私にとって光とはあなたではなく、suzukaだ。
さながら太陽神のような光を放っているsuzukaでありますが、仮に彼女が岩戸隠れをしたのなら、私はその岩戸に入りたい。
出したくない。
はあ、なんという浅ましい嫉妬でしょう。
これ以上人気になってしまったら、更に別次元の存在になってしまう。
一郎さんはsuzukaさんの事を「繊細」だと言っていたけど、私もそこは感じていて、suzukaさんの所作には非常に日本的な奥ゆかしさが感じられる。
体の動き一つ一つが、指の先まで洗練されていて美しい。
もはや彼女の体の周りを取り囲む空気さえ美しく思えてくる。
とすると、彼女はさながら「人間空気清浄機」と言えよう。
あとは言葉、話し方ですね。
幼き頃のsuzukaは闊達で、落ち着きのないような(いや勿論若い人というのは皆そうである)感じだったが、今はもう本当に落ち着いていて、気品の漂う話し方となっていますね。
ここまで美しい関西弁を使う人間が、未だ嘗ていただろうか?
一般にはいるかも知れないけど、やはり大阪の芸人さんは少しガサツな印象がございますから、芸能界にはいなかったでしょううね。
ここで、suzukaさんの魅力を「50の質問」という動画から再考してみよう。
まず私が良いなと思ったのは、好きな男の子のタイプは?という質問の答え。
A 目が魅力的な人。
いやー素晴らしい。
普通だったらね、優しいとか、一途とか、明るいとかそんな月並みな事を言うんですよ。
だがそんな中「目が魅力的な人」。
いいね!
もう、この好きな男の子のタイプからして自分を持ってる。
ちなみに、私は自分顔のパーツで一番好きな部分が目だ。
これはsuzukaに合わせたんじゃなくて、結構ずっと好き。
無論、私の好きな女の子のタイプはsuzuka。(キャッ//)
次に行こう。
自分らしく生きるためには?という問いについてsuzukaの回答。
A 自分の中にある彩りをよく覗くこと。
なんて素晴らしい回答なんでしょう。
これを18歳の女の子が言えるかね?
やっぱこういうとこなんだよね。
ほんとに芯が強いね。
ここまで個性的で、凛とした女性は現代にはいません!
断言します!
才能のある人物というのは、神様が欲しがるから早く亡くなってしまうという話を、確か不可思議wonderboyのコメント欄で見た覚えがある。
私は意外とこの話を信じていて、私が今一番心配なのは、suzuka程の存在を、有史以来最も魅力的で、或いは蠱惑的で美しい存在を、強欲なる神は放っておくのかという問題がある。
私が神だったら、何を引き換えにしても欲しい。
人間の今でさえも欲しい。
まあもし神がこの世界からsuzukaを奪おうとするのなら、神と全面戦争するしかあるまい。
その時の為に、神殺しの剣でも作っておくか〜。
今動画見てるけど、なんか書く事多すぎてめんどくさくなってきた。
でも一つだけ書きたかった事がある。
suzukaの好きなところについて、suzuka自身が放った答え。
A まだ自分の中身を分かれてない未知数なところ。
結局のところ、これこそがsuzukaをして特別たらしめている理由なんだと思う。
私達はそこに底知れぬ才能を感じるし、謎や神秘性、それ故の美しさを感じるのだ。
私は女性には神秘性が必要だと考える。
たかが知れた存在であれば惚れる事はない。
男が女に惚れると言う事は、ある種の神秘性に惚れていると言っても過言ではない。
まあ世に跋扈する俗物どもはそんな事意に介さないのだろうが、、
今思ったのだが、マッチングアプリ上での恋愛というのは完全に人を情報化した状態で進められるので、神秘性など皆無であろう。
だから嫌いなのかもしれないわ。
私は人間が情報として扱われる事自体強い抵抗感を覚える人間であり、それが恋愛上の話となればもってのほかだ。
ここら辺の話はまた今度できたらなと思う。
じゃあ今日はここぐらいにしときます。
…足りぬ、足りぬ、足りぬ
こんなものでは、神を殺せぬ
こんなものでは、神を殺せぬ!
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