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その蛙の置物は夢をみる 最終話

 3階病棟305号室の守り蛙。
少し不思議な力を使う事が出来る蛙の置物。
それが私だ。
不思議な力が誰かの役に立つ時もあれば、全く役に立たない時もある。
 つい最近まで305号室に入院していたキヨさんの時は夢を見るばかりで何の役にも立てなかった事が悔しかった。
 キヨさんは孫娘のマヒロから告げられた真実を傷つきながらも受け止めた。そして親戚の一人一人に説明した。尻餅をついて骨折したのは自分が原因だった事がわかったので、すぐ側にいた孫娘のサヤカとマヒロを責めないでほしいと頭を下げた。また、自分を思ってくれるのはありがたいが、何かある度に同居している息子家族を責める事はやめてほしいと伝えた。最後の1人に伝え終わった日の夜、キヨさんは興奮している様子で話し始めた。
 「初めてなのよ。あんなにハッキリと自分の気持ちを伝えたのは!カズオ兄さんの顔が怖かったけどなんとか頑張ったわ。今までは私の為にしてくれている事だから感謝しなきゃいけないと思って黙っていたけれど、そうじゃないよね。言わなければいけない時もあるのよね。」
 そして思い出したようにフフフと笑った。
「私がこの部屋で会話を録音していたと伝えた時のカズマサの顔面白かったわ。青くなったり赤くなったりしてたわね。」
 それは私も見ていた。普段は余裕綽々なカズマサが明らかに動揺して慌てふためいていた。私はサヤカとマヒロがこの場にいたらどんな顔をしただろうかと考えていた。
 それから、キヨさんはポツリと言った。
「マヒロはあれから1回も来なかったね。」
 俯いたキヨさんの横顔は寂しそうに見えた。キヨさんは自分の選択を後悔しているのだろうか。私はキヨさんをじっと見つめたが、それ以上の何かを読み取る事は出来なかった。
 
 キヨさんはリハビリ病院への転院が決まり305号室を去っていった。
退院の日の朝キヨさんは私に言った。
「蛙さん。話せなかったのは残念だけど辛い時に話を聞いてもらえて助かったわ。おかげで自分に向き合う事が出来たと思う。」
「短い間だったけどありがとう。再びここに戻って来る事がないように頑張るわ。」
 私は心の中でエールを送った。

 キヨさんの次の住人は305号室にベッドごと移動してきた。看護師の島田と澤井がベッドの前後を持って連携しながらゆっくり室内に入ってきた。
 島田が「泉川さん。新しいお部屋に着きましたよ。」と言った。泉川さんは50代位の男性でベッドに横たわって目を閉じていた。島田の問いかけにかすかに目を開けて頷いた。
 点滴や尿の管、色々なものが泉川さんにつながっているのが見えた。
 島田と澤井はテキパキ動いて色々なものを設置していった。
「泉川さん、引っ越しも無事に終わりました。何かあったらナースコール押してください。また後で来ますね。」
 島田と澤井は部屋を出ていった。
 私は305号室の新しい住人を見つめた。泉川さんは背が高く大柄だったので病院のベッドが小さく見えた。髪は短く彫りの深い顔立ち、若い頃はモテたんじゃないかな、と私は思った。泉川さんは天井を見ていたが、首を動かして私の方を見た。何かを観察するかのように私をじっと見つめるので、私は落ち着かない気持ちになった。しばらくしてから、泉川さんはフーと息を吐いた。そのため息には失望が混じっているような気がしたのは気のせいだろうか。泉川さんは目を閉じて眠ってしまった。
 私は段々薄暗くなっていく窓の外の気配を感じながら不思議な感覚に陥っていた。
 何故か、この光景を知っていると思った。開け放たれたカーテンと段々薄暗くなっていく窓の外の世界。廊下は見舞客や働いている看護師の声で騒がしいのに、時計の音しか聞こえない病室。自分にまとわりつくコードやチューブ。ベッドの手すりに結び付けられたナースコール。天井の色や模様。消えない痛みと思うように動かない体。
 今までこの場所で何十回も夕焼けに染まる病室を見てきたが、それに特別な思いを抱く事はなかった。夕焼けは夕焼けであり、それ以上でもそれ以下でも無い。それなのに、今は1日が終わってしまう事が悲しいと思っている。明日目覚める事が出来るのだろうか、という不安を感じている。1人きりで死に立ち向かわなければいけない事が怖いと考えている。こんな事は初めてだった。

 その時、白い光が雷のように閃いて私を貫いた。

 どうして忘れていたんだろう。私もここの住人だったのに。泉川さんと同じようにベッドに横たわり、沢山の管につながれ、いつ訪れるかわからない死に怯えながら天井を見ていた。あの日、305号室で蛙の置物に声をかけられるまでの私は泉川さんと同じ状況にあったのだ。
 「代わってやろうか?」
それは突然の事だった。305号室の床頭台のテレビの横にちょこんと佇んでいた蛙の置物から声が聞こえた。
「え?」と私は聞き返した。テレビを消し忘れたか、スマホのアプリが起動したか、それともどこかにスピーカーがあるのだろうか?確認してみたがどれも違った。私がキョロキョロしていると再び蛙の置物から声が聞こえてきた。
「俺はナラハシ。305号室の守り蛙だよ。お前死ぬのが怖いんだろ?俺が代わってやってもいいぞ。」軽いトーンで話し始めた蛙はとんでもない事をさらっと切り出した。
「俺もお前と同じだった。死にたくねーってこの部屋で毎日言ってたら蛙の中にいた奴が代わってくれたんだ。蛙になったら痛くねーし苦しくねーし死なねーしで最高の気分だったよ。この部屋に来る奴と話したり、ちょっと助けたりなんかしてさ、満足してたんだけどな。不思議な事にさ、そんな生活も飽きる時が来るんだよ。この生活が永遠に続いていく事が苦痛になっちゃったの。」
 ナラハシは一言ずつ強調して言った。
「俺は」「お前と」「交代して」「人生を」「終わりたくなったの。」
「誰でもいいわけじゃ無いからな。お前が時々言うくだらないダジャレが結構気に入ってたから、お前の代わりならいいと思ったんだよ。」
 私は愕然とした。
「ダジャレなんて言ったつもり無いけど。」
 蛙は身震いした。
「あれを大真面目に言ってたのかよ。恐ろしい奴だな。」

 私は入れ替わるかどうかの返答は一先ず保留にし、どうやって入れ替わるのかをナラハシに聞いた。ものすごく痛いとか苦しいとかだったら嫌だな、と思ったからだ。
「いくつか条件があるんだ。
 一つ目の条件は蛙が話せるようになっている
 二つ目の条件は入れ替わる人間が呪文を覚えて唱える事が出来る
 三つ目の条件は夕方
これが満たされれば入れ替わりが完成する。」
 そこまでハードルが高くなさそうな方法で私はホッとした。
「なんで蛙が話せるようにならないと入れ替われないんだ?」
「前の蛙から聞いた話だと、話せないと道が繋がってねーから蛙の置物から魂が出る事が出来ないらしいぜ。あとは、入れ替わりにはエネルギーを大量に使うから入れ替わり後に体は死ぬからな。やっぱり戻ります、とかは出来ねーから。」
 私は言葉を失った。これは、よく考えなければいけないと思った。
「まあ、急には決められねーよな。全部聞いて断るやつも何人かいたぜ。とりあえず呪文だけ教えとくから入れ替わりたくなったら言えよ。」
 呪文を教えてくれたあとで、ナラハシは真剣な声で私に言った。
「お前の意識が有る内に決めろよ。」

 医師から癌と診断されてから数年。手術を受けて抗がん剤治療も耐えたが癌は広がっていった。日常生活を送る事に支障が出るようになって入院。気付いたら歩く事も出来なくなってベッド上で過ごす日々が始まった。
 親兄弟なし。親戚とは疎遠。数年前に妻と離婚。子供もいない。長年信頼関係を築き上げて親交を深めた同僚や友人も居たはずだが、この状況になってまで会いに来て支えてくれるほどの関係性を築く事は出来なかったようだ。
 医師から余命宣告をされた時に死ぬ事は受け入れた。ただ、1人で死ぬという事がたまらなく怖かった。他の人には当たり前に来る明日が、自分にだけ来ないかもしれないという事が辛かった。
 そんな私にとってナラハシの申し出はありがたかった。家族でも友人でもない赤の他人が自分の代わりに死んでくれると言うのだから。
 数日後、私はナラハシと入れ替わりの儀式を行った。窓の外は薄暗く空は赤かった。私はナラハシから教わった呪文を唱え始めた。どこからともなく小さな蛙が集まってきて私の周りをくるくる回り始めた。最初はバラバラだった鳴き声が少しずつ合わさっていって私が唱えている呪文と重なり始めた時、周囲が白い光に包まれた。
 その時、ナラハシが「思いっきり息を吸え。」と言ったので私はその通りにした。ヒュッという音とともに蛙の置物から白い光の塊が出てきて私の中に入ってきた。それと同時に私は弾き出されて蛙の置物に吸い込まれた。
 ナラハシの魂が入ってきた時に一瞬目があった気がした。「ありがとな。」と言うかすかな声が後ろから聞こえた。そして蛙の置物になった私の目の前で私の体は呼吸を止めた。看護師が駆け込んで来たのはその数秒後だった。

 なぜナラハシは死から解放されていたのに人生を終わりたくなったのか?
 なぜナラハシは最後に「ありがとな。」と言ったのか?
 それは、ナラハシと同じ蛙の置物になって全ての記憶が戻った今の私でも解く事の出来ない大きな謎だった。

 泉川さんの1日は静かにゆっくり過ぎていった。時々医師や看護師が現れて話したり処置をして去っていく。朝が来てカーテンが開いて夜になってカーテンが閉まる。泉川さんは苦しそうに顔をしかめたり天井を見たり眠ったりする。時々何かを訴えるように私をじっと見るが、私にはその理由がわからなかった。見舞いにくる者もいなかったので私と同じ孤独な身の上なのだと思っていた。
 そんな日々が続く中で泉川さんは日に日に悪くなっていった。苦しそうにしている事が増えて看護師が現れる頻度も増えていった。
 そんな中その人は305号室に現れた。
 昼下がりの病室にバタンという音が響き渡った。305号室の扉を勢いよく開けて入ってきたのは明るい色のスーツを着た女性だった。無造作にまとめた髪、華やかな顔立ち、左手にはバッグ、右手にはスマホを持って誰かと話しているようだった。その人は電話をしながらベッドに寝ている泉川さんをチラリと見た。
「はい。あと数日と言われて……夫が入院している病院に着きました。急に休みをとってしまってすみません。……今のところ生きています。」
 泉川さんには妻がいたのか。何故今まで見舞いに来なかったのだろう?状況がわからない私は泉川さんとその妻を見つめた。
「葬儀会社には連絡を入れました。その時がくれば病院に引き取りに来てもらえるそうです。死亡診断書が必要になるので……。」
 私は呆気に取られた。この人は淡々とした口調で何を言っているんだろうか?入院している夫の目の前で夫が死んだ後の手続きの話をしている。
 近づいて来る死を目前にして必死に恐怖や苦しみと戦っている人間の前で何故そんな事が出来るのだろう。無神経にも程がある。意識が無いから聞こえていないとでも思っているのだろうか?
 泉川さんの眉がかすかに曇るのが見えた。指先が震えながら何かを探すように動いている。泉川さんの姿と過去の私が重なって見えた。離婚した元妻に私が言われているような気がした。
 その瞬間、私の中に怒りが生まれた。抑えきれないほどの怒りが荒れ狂い口からほとばしり、それは言葉となって室内に響き渡った。
「もう、やめてくれ。」
 妻は驚きもせずに電話を切って応戦してきた。
「なんだ。聞こえてたの。どんなに大きな声を出しても怖くもなんともないわ。今まで散々好き勝手してくれたよね。ちょっとした事でキレて怒鳴って殴って蹴って。私は何回骨折したのかしら?あんたの外面がいいから誰も信じてくれなくて大変だったわ。必死に逃げ出した私の事を頭がおかしくなったって言いふらしたよね。」
 泉川さんの妻は勝ち誇ったように言い放った。
「私はずっとこの日を待っていたの。あんたは居なくなって私は解放される。今日は最後の挨拶に来たのよ。」
 泉川さんの妻はひらひらと左手を泉川さんの目の前にかざした。左の薬指に指輪が見えた。
「職場の同僚に落ち着いたら結婚しようと言われたの。私幸せになるから。」
 余程の恨みが募っていたのだろう。言いたい放題言って泉川さんの妻は病室を出ていった。扉がバタンと音を立てて閉まった。
 静かになった部屋に取り残された私は何も言えなくなってしまった。あれだけ燃え盛っていた怒りもきれいさっぱり消えてしまった。
 拍子抜けしたような気分。それが今の私の気持ちだった。結局どっちもどっちだったという事なのだろう。やってた人がやり返されたのだ。
 状況が同じだったから勝手に重ね合わせて私と同じ気持ちを抱いているのだろうと思いこんでいたが、私は泉川さんという人がどういう人なのか全く知らなかったという事に気付いた。
 窓の外が薄暗くなってきた。夕暮れが迫ってきている。ザワザワするような落ち着かない気持ちになった。またあの悲しい気持ちになるんだろうか。
 ベッドの柵越しに泉川さんと目があった。泉川さんは私の後ろにある窓の外の景色を見ていた。その目は暗く澱んでいたが怪しい光を放っていた。息遣いは苦しそうだった。私はなんで泉川さんは外を見ているんだろう、と思った。
 空の色が赤くなり始めた頃、私は泉川さんの唇がかすかに動いているのが見えた。初めは呼吸が苦しいからだろうと思っていたが、違うようだ。繰り返し何かの言葉を呟いている。
 なんだろう?と耳をそばだてた時、小さな蛙達が泉川さんの周りに集まってくるのが見えた。蛙達がくるくる回りだし、白い光に包まれた時に何が始まっていたのか気付いたが、対抗する手段は残されていなかった。
 泉川さんは息を荒げながら言った。
「お前話せたんだな。おかげで計画通りだ。」
 泉川さんはゴホゴホと咳き込みながら息を吸い続けた。
 私は何かに引っ張られるような気がした。それに合わせるように私と蛙の置物をつないでいるものがペリペリと剥がれていく。
 
 嫌だ。
 死にたくない。
 まだ何もしていない。
 せめてナラハシのように自分が代わりたいと思った人の代わりに死にたい。
 泉川さんじゃ嫌だ!こんな人の代わりには死にたくない!!

 私は必死に抵抗した。剥がれかけていく魂を必死に繋ぎ止めようとした。
 入れ替わりの条件は蛙の置物にとって不平等なものだ。入れ替わる人間は条件を知っていれば蛙の置物の意思を無視して入れ替わる事が可能だ。死から解放されて蛙の置物になっても条件を知っている人間がいる限り安泰ではない。いつその権利を奪われるかわからないのだ。
 だからナラハシはあの時「ありがとな。」と言ったのだろうか。自分の納得いく終わり方が出来たよ、ありがとう、と。

 「お前不器用だろう?力をうまく使えてねーもんな。」
身動きする事も辛い弱りきった体のどこに、そんな力が残っていたのだろう。泉川さんはニヤニヤしながら再び息を吸った。白い光がどんどん強まっていく。蛙達の声が響きわたって反響し続けるので耳が潰れそうだった。
 ヒュっと力が抜けた。私は白い光とともに泉川さんの体に飛び込んだ。その途端に泉川さんの魂が切り離されて蛙の置物に吸い込まれていくのが見えた。私は痛みと苦しさの渦に巻き込まれた。必死に呼吸しようとするが息苦しさは消えず、もがきながら私は沈んでいった。
 ぼやけていく意識の中で最後に見えたのは蛙の置物だった。蛙の置物になった泉川さんは満足そうに死にゆく私を見つめていた。

 305号室に入院中の患者が急変したため看護師の島田らは対応に追われた。その後医師により死亡宣告。患者の妻に連絡したがつながらず。数時間後、夫の見舞いにいった帰りに事故にあって救急搬送されたと妻の親族から連絡があった。妻の足には小さな手でつかまれたような跡が無数についており、目撃者の話では信号が変わったのに動けずパニックになっているように見えたとの事だった。

 今も3階病棟の305号室には蛙の置物が存在している。その中に泉川が入っているのか違う誰かが入っているのか、その部屋に入院した者しか知る事の出来ない秘密だ。


 

 


 

 

 
 
 

 
 

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