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その蛙の置物は夢をみる 第三話

 「ようやくこの部屋に移れたけど…桜は散ってしまったのね。」
高本梓が退院した日の午後に3階病棟305号室の新住人となった女性は残念そうに言った。女性の肩まで伸びた白髪が西日にあたってキラキラと輝いている。その人は小柄で痩せており、ちょこんと車椅子に座っていた。その車椅子をゆっくり押しながら入ってきた看護師の島田は「ごめんなさいね。キヨさん。順番なのよー。」と申し訳なさそうなトーンで答えた。
「そうよね。人気の部屋なんだもの。移れただけでも感謝しないといけないわね。」キヨさんは満足そうに部屋の中を見渡した。
 そして私を見つけた。
「あら。この蛙の置物まだ置いてあるのね。305号室の守り蛙でしょ?」
「そうそう。キヨさんいつ頃見たの?長く働いているスタッフもいつからあったか知ってる人いないのよ。」島田が軽快に尋ねた。
「いつだったかしら。」キヨさんは考え込んだ。
 島田は車椅子をベッドに横付けしてキヨさんをゆっくりベッドに移した。
「この蛙がいるなら入院生活も安心ね。今回もきっと家に帰れるわ。」キヨさんはにっこり笑った。

 305号室の床頭台に居続けなければならない私にとってありがたい事にキヨさんはテレビが好きだった。消灯時間とトイレとリハビリ以外の時間はずっとテレビを見てくれたので、私は退屈する事がなかった。
 キヨさんは話好きだったので看護師や理学療法士との会話から、少しずつキヨさんという人がどういう人なのか知る事ができた。今まで何回か三階病棟に入院している事、今回はキヨさんの誕生日を祝う会で集合写真を撮った際にキヨさんが尻餅をついて圧迫骨折となった事で入院したという事もわかった。
「あったはずの場所に椅子が無かったのよ。」
この話になる度にキヨさんは不思議そうに言う。
「だから何回も椅子があるか確認してしまうの。ごめんなさいね。」
キヨさんは椅子の肘をしきりに触りながら申し訳なさそうに言うのだった。

 キヨさんの人柄がそうさせるのか、キヨさんの家系がそうなのかわからないが、現代においては珍しく親戚付き合いが密接な家系のようだった。息子や娘やその子供達、キヨさんの兄弟姉妹やその子供達が代わる代わる305号室を訪れた。
 特に同居している息子夫婦の娘であるサヤカとマヒロは毎日のように来ていたのでキヨさんは愛されているのだな、と私は思った。
 果たして私が入院していた時にこんなに見舞客が来てくれる事はあっただろうか?なんて事が頭に浮かんだので、私は今は蛙の置物であるが入院していた事があったのかもしれないとうっすら思った。何故だかそんな気がした。
 キヨさんは私を見た事があると言ったが私はキヨさんに見覚えが無かった。いつから蛙の置物として305号室にいたのかさえ、私はわからなかった。
 気がついたらこの場所にいて入退院する患者たちを見ていた。看護師の島田が今より若くて古賀が新人でビクビクしていた事しか覚えていなかった。

 「こんにちはー。」流行りの服に身を包んだサヤカとマヒロが元気よく入ってきた。キヨさんはベッドで休みながらテレビを見ていた
「今日はカナコ叔母ちゃんとエリが来るって言ってたんだけど、まだ来てないのね。」マヒロが残念そうに言った。
「私すっごいプロジェクトを考えたから言いたかったのに。」
 サヤカが「何?何?」と興味を示した。
「2人が来てから発表しようと思ったけど、先に言っちゃおうかな。……やっぱり知ってる人は少ない方がいいからおばあちゃんとお姉ちゃんだけに言っちゃおう。3人だけの秘密だよ。」
 マヒロとサヤカがキヨさんにぐっと近付いた。マヒロは声をひそめた。
「誰かがおばあちゃんの椅子を引いたんじゃないかって噂が流れてるんだって。私やお姉ちゃんが近くにいたから私達がやったんじゃないかって疑っている人もいるらしくてさ。真相を突き止めようと思ってるの。」
 私はサヤカの顔が引きつったのを見た。一瞬だったのでマヒロやキヨさんは見えなかったようだ。
「おばあちゃんの誕生会に居た人達に話を聞こうと思ってるの。事情聴取ってやつ。協力してくれる?」
 キヨさんは床頭台に飾ってある写真立てを手に取った。キヨさんを囲んで親戚一同が写った写真だ。皆笑顔だ。立ち上がったキヨさんの傍にはマヒロとサヤカが寄り添って笑顔で写っている。私は幸せな一瞬を切り取った写真だと思った。
「誰かがわざとやったとか考えたくないねぇ。」キヨさんは悲しそうに言った。
「だから調べるんだよ。それに、おばあちゃんが言ったんだよ?あると思った場所に椅子が無かったって。それでみんな疑心暗鬼になってるの。調べた結果、誰もやってないってわかれば安心できるでしょ。お姉ちゃんもそう思うでしょ?」
 サヤカは「う、うん。」と再び引きつった顔で答えた。
 キヨさんも「そうだねぇ。私が余計な事言わなければよかったねぇ。」と悲しそうに言った。
 マヒロは腕まくりしてバッグからメモ帳とペンを取り出して言った。
「それでは、事情聴取を始めます。おばあちゃんは椅子に座ってたけど写真を撮る時だけ立ち上がりました。座る時に椅子が後ろにずれていて尻餅をついてしまいました。そうですね?」
 キヨさんは頷いた。
「その前後で何か気になった事や感じた違和感はありますか?」
 キヨさんは考えこんだ。
「特にないねぇ。」
「特に無い、との事。違和感も無かった。」マヒロはメモしながら言った。
「何か思い出したらいつでも言ってください。じゃあ、次お姉ちゃん。」
 サヤカはギクリとした。その時扉が開いてキヨさんの娘のカナコとその娘のエリが入ってきた。
「こんにちはー。お母さん調子はどう?あれ、サヤカとマヒロ!もう来てたの?」カナコの一声で一気に部屋の中が明るくなった。
「サヤカちゃん、マヒロちゃん。売店に新製品出てたよ!」エリが言った。
 サヤカはホッとしたような表情になると「見に行こうよ。マヒロ。」と誘った。マヒロもエリに事情聴取する良い機会と考えたのか了承すると3人で部屋を出ていった。

「調子は良い方だよ。今歩く練習してる。」キヨさんは言った。
「それは良かった。歩けなくなっちゃうんじゃないかって心配したのよー。」カナコは笑った。そして声をひそめて言った。
「サヤカとマヒロ。毎日来てるのね。」
「そうだね。私は嬉しいけど。」
「そうよね。私もそう思うんだけど……何か変な事言ってなかった?」
「さあ?なんで?」キヨさんはとぼけた。
カナコは更に声を落として言った。
「カズオ伯父さんがサヤカとマヒロがお母さんの椅子を動かしたんじゃないかって言ってるの。毎日来てるのは皆を見張るためだってうるさいのよ。」
「サヤカとマヒロがそんな事するわけないでしょ?」
「そうよね。」カナコは納得したようだった。

 その後はサヤカとマヒロとエリが戻ってきて他愛ない会話で時間が過ぎていった。マヒロが何かを言いかけるとサヤカとキヨさんが違う話題を切り出して話をそらすということが何回も行われた。
 最後にキヨさんはマヒロを呼び止めて言った。
「プロジェクトはやめなさい。おばあちゃんの勘違いだったのよ。」
 マヒロは「でも!」と声をあげて不服そうにキヨさんを凝視していたが、不思議そうにカナコとエリが振り返ったので「わかった。」と言って話を終わらせた。私にはマヒロの後ろにいたサヤカがホッとしたような顔になったように見えた。これはキヨさんにも見えたのではないか、と私は思った。

 その夜キヨさんはテレビを見ずにずっと考え込んでいた。あーでもない、こうでもないと言いながら自分の誕生日会の写真を見たりノートに何かを書き込んだりしていた。そして引き出しから一昔前の携帯を小さくしたような機械を出して小さなバッグに入れた。
「あそこまでだったら行けるかしら。」
つかまり立ちをしながら移動して、そのバッグをカーテンのふさ掛けにかけた。それは来客が来た時に座る事になる椅子のすぐ側にあった。

「こんな事本当はしたくないんだけどねぇ。」キヨさんは寂しそうに言った。

 その夜、私は夢を見た。キヨさんを囲んで親戚一同笑顔で写っている写真がバラバラに砕け散ってグルグルと回っていた。それぞれの顔には大きくマルが書かれていた。キヨさんの両脇で寄り添っていたサヤカとマヒロには何も書かれていなかった。サヤカとマヒロはグルグル回りながらどんどん大きくなっていった。
 おーん、おーんと反響するような音が聞こえていたが、どうやらサヤカが泣いている声のようだった。
 キヨさんは真ん中で立ち尽くしていた。周囲を小さな蛙達が取り囲んで口々に叫んでいた。
「さあ、どっちを選ぶ?」

 なんとなくだが、私はキヨさんが悲しんでいる姿を見たくないと思った。こんな夢は実現しないでくれ、と私は強く願った。

 周囲がどんどん白くなるのが見えた。眩しいような強い光に包まれて私の意識は薄れていった。


 


 


 

 


 

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