愛される声

 彼は昭和という時代を駆け抜けたスターだった。はじめてのアイドルと呼ばれた人だった。

 彼は父親を早くに亡くし、母親が小学校の先生をしていたため、ほとんど祖母に育てられた。祖母は彼が小学生の時に友人が遊びに来るといももちというお菓子を作ってくれた。お餅とさつまいもを茹でて混ぜ合わせて、砂糖ときな粉をまぶしたものだった。

 それが食べたくて彼の家に遊びに来る友人もいたぐらいだった。祖父はもう亡くなっていた。戦死したのだった。彼の祖母は24歳の時に夫を亡くしていた。だから、祖父のことをおじいちゃんとは言わなかった。あの人と呼んだ。彼の祖父は28歳で亡くなったという紙切れが郵便で配達されただけだったので、若者のまま祖母の記憶に残っており、確かに彼のおじいちゃんではあったが、おじいちゃんと呼ぶには気の毒だった。

 彼の祖母は彼が東京に行って歌手になりたいと言った時、親戚中が全員反対するか、バカにして笑っているにも関わらず、一人だけ、絶対大丈夫と言ってくれた。あなたの声は愛される声だと。

 彼は愛される声というのがどういうものなのかいつも考えながら仕事をした。綺麗な声ではなく、愛される声にならなければならないと必死だった。それが功を奏したのか、彼はスターになった。そして平成、令和と過ぎ、現在、その祖母も亡くなってしまった今、それでも彼は愛される声を求めている。

 歳をとりキーを下げて歌ったらどうですか?という人もいたが、ファンの愛する声は昭和のアイドルの時の彼の声だと思い、レッスンを欠かさず昭和と同じキーで歌った。

 それは祖母が作るいももちが目当てで遊びにきた友人が彼のことも愛してくれるように、彼の声帯が奏でる声というものが彼を離れて人々の心を鷲掴みにしているのだった。

 ある時はレコードで、ある時はカセットテープで、ある時はラジオで、ある時はMDで、そして今はスマホで。彼はファンの人々から愛されてはいたが、ファンは彼の声を愛しているのであり、彼の家のいももちと同じだった。彼はそれでいいと思っていた。むしろ本望だと思った。

 僕の声はいももちなんだと思えば、どんな辛いことにも耐えられた。

 桜は毎年春に咲く。そして散ってしまう。花見客にとって花びらは祖母のいももちかもしれないが、彼は令和の今、桜の幹となっていた。人々は花しか見ていないかもしれないけれど、本当に愛されているのは幹である彼や彼の祖母かもしれない。

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