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祝「RE_PRAY」完走 愛され過ぎている羽生結弦を感じた四カ月と私たちちゃんと生きれているか考えたこと

(はじめに)
今回も羽生結弦さんの敬称を略させていただいていますこと、ご了承ください。

アイスストーリー「RE_PRAY」は羽生結弦物語第十二章

 いったいこの人はいくつのドラマを織りなすのだろう。アイスストーリー「RE_PRAY」は羽生自らが紡いだものだ。そして私はもうずーっと羽生結弦という物語を見ている、心に留めている。彼そのものがストーリーなのだ。現在も心の中にて第十二章を執筆中だ。

第一章 ソチオリンピック
第二章 生誕
第三章 四歳
第四章 九歳
第五章 震災
第六章 平昌オリンピック
第七章 北京オリンピック
第八章 プロフィギュアスケーター誕生
第九章 プロローグ
第十章 GIFT
第十一章 個としての選択
第十二章 RE_PRAY

 各章をいくつもの小見出しで埋めていけるファンはもとより、このRE_PRAYからはゲーム界を始め様々なジャンルより現れた新たなファンを増やし味方につけて動き出した。Xの#羽生結弦 を埋める声は熱くて大きくて温かい。
 横浜公演の楽日の会場アンコールに上がったバナー溢れる光景は羽生本人じゃなくとも胸が熱くなった。これまでもこれからもずーっと応援し続ける意思を代表で表わしてくれているようでありがたかった。いろんなことがあり過ぎた日々を思い、羽生の守られている感に泣ける。皆羽生への愛が深すぎる。他界隈のファンがどうあるのか知らないけれど、こんなに愛される羽生結弦が誇らしくてたまらない。ファンでいる自分まで誇らしくなってくる。

腰の低いアスリートの強さと弱さ

 いつも言うがけして順風満帆に生きてきたわけじゃない人だ。だけど身に降り掛かった災難を糧により強くなっていく術に長けている。それが努力の天才と言われる所以なのだと思う。
 揶揄する輩もいるほど鋼のメンタルと外からは見えるだろう。確かに肉体と共に鍛え上げられた精神力は凡人には真似できないものがある。しかし羽生は言う。豆腐のような、なめくじのようなメンタルだと。どっこも自信もなくて、自分のこと好きでもなくて、ありんこみたいな(正確には→みてぃな)超小っちゃい自分だと。
 なら私たちはミジンコだと返している声をXで見た。上手いな。私もプランクトンぐらいでどうだろうか。とにかくファンには羽生はでっかい存在で、努力の上に築き上げた自分を信じて最大の成果を発揮する自信に満ち溢れたスケートをする人で、そんな羽生が大好きなのだ。
 でも終幕いっきに幼く見えてしまう泣きそうな顔で、早口で吐き出して去ろうとする人を見ていたら、謙遜なんかじゃないだろうと思った。落ち込んで私たちが自分を卑下してしまうことがあるように、羽生もまたそんな自分に苛まれてきたのだろう。自分の無力さが突き刺さってしまったことがあるのだろう。
 それでも羽生はやっぱり強い。そしてその強さを支える根底にあるものに丁寧に最大の感謝を述べる。今回もそうだった。自分を滑らせてくれた会場へ、会場を提供してくれたぴあアリーナMMへ、氷のステージを作り上げてくれたパティネさんへ、自分が綴ったものを形に仕上げてくれたMIKIKO先生、映像、演出、運営、照明各チームへと。
 使わせてもらった楽曲に関わる全ての人への敬意も伝えた。プログラムの必要上切り刻んでしまうことになる曲本来の持味を損なわないように、自分のスケート曲として完成させた羽生ならではだなと思った。こんな敬意が皆あたりまえなら漫画界でおきた悲劇も無かっただろうにとふと思った。
 エンドロールに名を連ねる人の数に羽生の重責を思う。転けることのできない唯一の演者。身体と心を支えているのは家族と親友。
最後にファンへの感謝が延々と続くアンコール、唯一無二の羽生結弦というプロフィギュアスケーターを支える一端を担っているとしたらこれほどうれしいことはなく、ファン冥利に尽きるのだ。
 羽生は何度も何度も頭を下げる。いつからだろう。知った時にはもうそうだった。当時若さと腰の低さのアンバランスさが新鮮に見えた。お辞儀一つも美しく、いつまでも奢ることのない羽生がいる。

揺れ動く思いと固まる思い

 書き終えた感がある前置きになってしまったが、横浜ぴあアリーナMM 2月19日公演をもってRE_PRAYが完結した。と思ったが、2月25日ディレイビューイングを持って完となる。RE_PRAYのステージが氷の上から消えゆく前に羽生の姿がいつものように感謝の言葉を伝えてくれた。この日を待って伝えてくれた。
 羽生結弦のファンとしてまずは自分のために書き残しておきたい。様々な思いが募った4カ月だった。もし一緒に辿ってくださる方があればうれしい。

 2023年盛夏に入る前にはRE_PRAYの準備に入っていたことだろう。その頃から羽生の居る環境は少しだけ変った。それに合わせるようにファンも少し入れ替わっていったかもしれないが、人はいつしか変化にも順応していくものだ。秋になり新しいアイスストーリーへの期待だけに満ちていた。
 そして11月アイスストーリー RE_PRAYは埼玉を皮切りに幕を開けた。私が知らないゲームの世界がそこにはあった。ビット絵のキャラクターが羽生の過去プロの主役たちだから、彼の来し方に思いを馳せた。
 羽生から注釈がついたのは初めてかもしれない。映像の羽生が演じたのはゲーマーでありゲームの主人公だ。その時はまだその他大勢のキャラクターをモブということさえ知らなかった。私はただ初めてのゲームを傍観していたのだろう。

「これは僕の物語ではない」

ゲームの中のキャラクターを動かしているのはあなたたちだ、YESorNO決めてきたのはあなたたちだ、その選択で未来は変わる。その結果を招いた決断に間違いは無かったか、満足しているか。

 羽生の意図を受け取って軌道修正どころか振り出しに戻ってしまったのは私だけではなかったはずだ。

 羽生は問いを投げかける。私たちは知っている。羽生が伝えたいモノはゲームの中のことにとどまるはずも無いことを。羽生が問うてくるものは間違いなく、実世界を生きることへの、今日と言う時間、未来と過去との間にいる将にその瞬間をどう生きるかを、やり直しのきくゲームをプレイすることと対比させて問うてきたのだと思った。RE_PRAYが投げかけたものその答えを見つけなければ。RE_PRAYがスタートしたばかりのその時の私は、ある意味まだのほほんと構えていた。

 たぶんこの後に起こることがRE_PRAY埼玉公演を見守った者100人中100人が想像すらしていなかったはずだ。生きている内には予想だにしないことが起こりうる。でも今じゃないだろうと思って生きてしまう。
 まず羽生に起こったこと、そしてその後起こってしまった能登地方の地震、間違いのない選択をしたつもりで生きてきたって抗えない運命が待ち伏せていた。なんて小さな自分、なんて小さな命。ゲームの中のモブのように弄ばれてしまったような現実が恐ろしい。
自然の威力になす術もなく、邪悪な人間の心が作るモノに翻弄され、もっと生きたかった命があったことを、平凡な幸せがあったはずだったことを、今は無いものに思いを致す。
 ゲームならリセットしていつか勝者に辿り着くかもしれないし、ハッピーエンドに終わるかもしれない。ただ現実は何度リセットしても通過できない場所と時間が存在しているような気がしてならない。

 それでも人は立ち上がる。羽生はそうやって生きてきた。そうやって生きてきた人を見てきた。悲しいほど人は強いことを知っている。抗えない運命に負けちゃいないから、私がわたしを創るのだから、私の生き方が私のルール、いつか終るその時まで精一杯生きよう。
 新旧混じり合った羽生を支えたい力は、羽生一人でも放ち続ける正のパワーを援護し負の出来事をも包みこんで、1月SAGAアリーナに降り立った。

 この時みんかぶ記事で日野百草氏が、佐賀公演の後穏やかな気持ちになったと書かれていた。喜怒哀楽の感情の起伏を繰り返してきた者として同じ気持ちだった。安堵した。


ゲームを嗜んでおけばよかった

 ゲームのことは相変わらず分からない。それでもゲームを嗜む(羽生の言葉を借りてみる)人々が、分からない者へレクチャーしてくれる、必死に食いついていこうと頑張る。ゲームタイトルとそのキャラクターとその曲と、そのシーンと、羽生のスケートを結びつける作業に、いつもの新プロを解釈する倍以上の時間を要した。ゲームで涙したことのない私に究極の理解まで辿り着けるのだろうかと憂慮した。
 そうかこの場面を羽生はこう表現するのかという理解を、嗜む人と同じ感性で感じ取ることができたら、また違うものが見えて来たのかもしれない。その感情は、他言語に出会った時にああ聞き取れたらな、話せたらなと思うもどかしさと似ている。通訳の力を頼らざるを得ない自分の力不足を嘆くのだ。

 現地観戦埼玉公演、ライブビューイング佐賀公演を経て、横浜公演楽日は現地観戦できる幸運をいただいたのだから、少しだけ増えた知識ともう一度まっさらな気持ちを携えて自分の全ての感性を研ぎ澄まし、心で受け取ろうと決めた。一期一会のこのステージの羽生結弦を少したりとも見逃すものかと響き渡る歓声をBGMに独りの世界に入って行った。

 圧巻だった。「破滅への使者」
こみ上げるこの気持はまさしく現役時代の試合を祈るように見つめた時のもの。最後のジャンプ、よし!耐えたと口にしそうになった場面は平昌のフリー「SEIMEI」のあの最後のジャンプを思い出した。この感動を日本国中に届けてくれた人だったと。あのときのように全国の地上波に乗せて生中継で届けたい。「どうだ、これが羽生結弦だ!変わらぬ羽生がここにいる。より深化を果たした羽生結弦がここにいる!」実況中継アナさながらに叫びたかった。何度も息をしていない自分に気付きながら。

 以前筋トレはあまりしないと言っていた羽生が毎日6時間の筋トレをしたと言う。持久力が不可欠とはいえ課題があったのではなかったか。筋肉の分重くなる体と瞬発力、優美さを共存させるのは賭けではなかったか。それとも計算され尽くしていたのだろうか。ああほんとうに羽生は奇跡だ。羽生を見続けることほど楽しいことはない。

新プロと新たな意味を持った過去プロ

 一つ一つのプログラムのことは、それは多くの方が発信されていて自分には上手く書けないので、ありがたくて見せていただいている。

1 いつか終わる夢 -orijinal-
2  鶏と蛇と豚 
3 阿修羅ちゃん
  (ホープ&レガシー) 
4  Megalovania
5 破滅への使者 
6  いつか終わる夢 Re 
7  天と地のレクイエム 
8 あの夏へ 
9 春よ来い 

☆アンコール
10 Let me Entertain you
11   SEIMEI
12  序奏とロンド・カプリチオーソ

自分用の一言解釈。

「いつか終わる夢original」が夢の終わりなら「いつか終わる夢Re」は夢の始まり。夢は醒めなきゃ、そして夢はまた見れる。

直線的なスケートへのチャレンジだった「鶏と蛇と豚」欲望への風刺。般若心経から阿修羅へ続くのがおもしろい。その「阿修羅ちゃん」はいつも会場をどよめかせる。内容はなかなかな風刺曲。

スピンで構成された「メガロヴァニア」

オリンピックの上を行ったと思った「破滅への使者」

精霊流し思い浮べた鎮魂「レクイエム」の天井の灯。

神に遣わされた天上の人にしか見えなかった祈り舞う「あの夏ヘ」

桜咲く日を心待ちにし、舞い散る桜を見送って齢を重ねていく日本に生きる民。儚さであり希望であり、祈り「春よ、来い」

新型コロナ禍にSPに選んだ「Let me Entertain you」飛び切り明るくと、本来の羽生はこうなのかもしれないと思っている。

「SEIMEI」この楽曲の選択が必然で奇跡だといつも思う。

輪舞曲。ただ漢字のイメージから勝手に中島みゆきの「時代」を思い浮かべている。巡り巡ってまたいつかどこかで会えるかもしれない。「序奏とロンド・カプリチオーソ」そして現在のプロ羽生へ辿り着くきっかけを作った運命のSPだと思っている。北京のあの日祈り見たプログラム。

 羽生の紡ぐストーリーと過去プロが繋がってゆく。単純な印象を書き上げてみたら、以前語っていたように過去プロたちに新たな意味を持たせるとはこういうことだったのかと思った。

RE_PRAYが終わった

 映像の羽生を取り囲んでいた数多の光はFFに描かれた幻光虫なのだろうか。そして枯れ行く水は消える命、満ちてきた水は生まれる命、水は命を繋ぐものとして描かれたのだろうか。羽生の人生哲学が垣間見えるストーリーにゲームの世界観にもまた影響を受けてきたのだろうと思う。
 また一つ私にも新たな影響を与えてくれた羽生。今からゲームデビューしそうな勢いの自分に待ったをかけているところだ。

 RE_PRAYが終わった。羽生が寂しいと言ったように私たちファンも寂しい。でもTELASA配信の置き土産がある。1年の時を経てGIFTも録画に残せた。魂の滑りは胸に刻んできた。寂しくはない。きっと羽生もすっからかんといいながら次への構想を練り始めているに違いないと思っている。その前に震災メモリアルアイスショー「羽生結弦 notte stellata」 が迫っている。お互いの健康を祈ろう。自分を労わって、ちょっとだけでも自分に優しくなれるような日々を送ろう。羽生がかけてくれた言葉をそのまま羽生結弦に送りたいと思う。そして必ず幸せであってほしいと願う。


私たちちゃんと生きれているか

 終幕後のメディアインタビューで羽生は言った。
「たった一つの今のこの人生をちゃんと生きてほしいと祈りを込めた」

1月末、note記事で直木賞作品の読後感を書いた。
その中で「ちゃんと生きる」を考えた。
自分はちゃんと生きれているか考えた。
若い人にちゃんと生きてほしいと伝わればいいと思った。
ちゃんと生きるってどういうことだろう。
ちゃんとに含まれることは案外多くて、下手に言い換えると誤解されそうだなと思った。
その中で樹木希林さんのちゃんと生きるを見つけた。

「ちゃんと生きるということは何でもないことをやるしかない」

なんだかくだらない日々に繋がった気がした。
羽生結弦 notte stellata に繋がった気がした。

2023年3月12日 notte stellata


(正源の娘のひとり言)

前提として羽生さんを愛し応援する気持ちは皆同じなのです。
よい事ばかりを楽しく発信していこうという考え方と、不条理なことに対して言うべきことは発信した方がよいという姿勢と、二つに分かれているのを感じています。
両方あったっていいじゃないかとは思います。
今も正解がわかりません。
今回のRE_PRAYのMCで羽生さんが物騒な言葉をぶちこみました。その言葉が引っかかった私のポストにたくさんの♡が付きました。ちょっと驚きでした。
妄想と想像は違います。
妄想は根拠が無くて非現実的な状況を思い描くことです。想像は現実的なデータや情報がある中で考えることです。
冗談交じりのように流されましたが普通あれは(文字に起こしませんが)言わないかなと思いました。皆同等の危険を抱えている現代だとしたら日本国恐ろし過ぎますから。(恐ろしいことが起きてしまうのも事実で今日もニュースが伝えているけれど確率的には低いです。)
日々の思いがあって人は自然と言葉を口にします。だからあんな物騒なことを考えなければいけない状況に置かれた人なのではないかと疑りました。
過激な記事に踊らされた思考が羽生さんを傷つけることがないようにと祈りたいのです。


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