カルバノグのふきだまり(後編)(みかん🍊)

はい。後編です。地獄の始まりです。はい。やります。矛盾点あったら(ry

最終編 第一章

カヤの小物化とFox小隊の火事場泥棒について

はい、個人的に屈指のグロシーンです。キャラ評価をゲロカスにし、敵としての格もゲロカスにし、カルバノグの期待度もゼロにしたゴミみたいな場面です。何も良いところがありません。はい。害しか生んでません

色彩の襲来でキヴォトス滅亡の危機に直面するなか、生徒たちは必死に戦い、rabbit小隊は拉致された先生の救出を行い、シャーレ奪還で大活躍を果たしました。

一方そのころ、Fox小隊のみなさんは

みんなが頑張ってる中に火事場泥棒をして!!!!!!!!!!!!

カイザーの雑魚狩りをして裏方で後輩のこと評価してイキって!!!!!!

そのままフェードアウト、出番これで終わりです。

😊「え?」

はい、これで出番終わりです。

ぶっちゃけ不遇ですよこれ、敵としての強さもない、ヘイト行為しかしない、それなのに頑張ってる後輩に対して変にイキるし、は~キッツイ。こりゃヘイト溜まるでしょ、何してくれとんねんライター。後輩に見せるツラがねぇよマジで・・・・。

最終編の実際の敵はプレ先なので、私も別に「Foxカヤを強大な敵として書け!!」は言わないけどさあ、せめて「シロ&クロ戦の時に苦戦してたrabbit小隊を助ける形で共闘して、そのあとに去る」とか、「シャーレ奪還作戦の時に先生に協力するフリをしてそのままシャーレに潜入、そしてアイテムを盗み出す」とか、そういう書き方の方がFox小隊の敵としての格を保ったままヘイト行為をさせることができるし、カルバノグへの期待度も保たせることができるのでは?

これらは所詮は私の願望にすぎないとは思いますが、ブルアカのシナリオは不定期更新だし、下手に数か月から一年は更新を待つことになるのに、推しキャラの評価や格がガタガタのまま続編を気長に待つのって、まあ控えめに言っても精神的にかなりきついっす。だからやっぱり、本来敵対者であるチンピラやカイテンジャーにすら花を持たせるなら、Fox小隊にもしてあげてもいいだろって、叫びたくなりますね、はい。シナリオも大事だけど、キャラも大事よ?

カヤについては、まあ、最初でジェネラルに出し抜かれて気絶されて、そのあとFox小隊に救出されるまでは、まだ大丈夫だろう、とは感じていました(まあこの時点で小物扱いされていましたが)。何故なら、大人に裏切られたカヤが一章の格の高い敵ムーブでカイザーを出し抜いてカイザーを配下に加えるだろう、と期待していたからです。

そうした期待を胸にエピローグを見ました。

ジェネラルとまた仲良くしてました、はい。

はあ????????????

はあ????????????????????????

いや、裏切られたのに、なんでまた対等なビジネス関係を結んでるのこの子!?カイザーが自分の計画の為に必要なのはわかるけど、一度舐められたらやりかえして相手を懐柔させなきゃ、次もまた裏切られるでしょ!?弱みなりなんなり握って優位に立てなきゃ大人には勝てんよ!?流石に間抜けでしょこれは。これで「超人ですから(キリッ)」されてもすげえしょーもなく見えますよ、ガチで。

こんな感じで、カヤFox周りはとことん敵として見てもしょぼいムーブだけさせてるので、全然続編に期待できなくなってるというわけですね。はい。一年待ってようやっと出てきたと思ったらこれですよ。キツイですね、流石に。カルバノグというお話が今後も続くということを読者に伝えるためにキャラを舞台装置化して格を下げるんじゃそりゃ本末転倒だし書き方としてもド三流でしょ。

(まあ、あからさまな舞台装置にされてヘイト買わされたキャラを馬鹿正直の叩けるユーザー側もかなりアレだったな、と今になっては思ってたりもします)

しかし、幸か不幸か、最終編でのカルバノグ周りのお話はこれだけで終わったので、もう語ることが特にないです。

カルバノグ二章

はい。地獄がやってまいりました。かなり酷いお話だと思います。一章の伏線や設定を雑に終わらせる、又は無かったことにするという点で連続する肩透かしを食らったこと、テーマの割にキャラの大義や心情を掘り下げもせず、ワクワク感のあるような展開もない、そして後編は特にギャグとシリアスの緩急が酷いせいでシリアス側が大分ダメージを食らっている事もあり、キャラ周りはそれなりに良かった(カヤを除く)ので、お話としては残念なところが大きいです。

シャーレ廃絶って結局どうなったの?

カルバノグ二章作中で殆ど語られることもなく、作中で実際に行われることもなかったシャーレ廃絶ですが、案の定、「設定変更で無くなったのでは?」と思う人がかなり多くいる気がします。

一応、読み返してみたのですが、この話に近しい事を述べたセリフとして、ユキノの「D-dayを控えた今、シャーレの先生と敵対する必要はない」がありますね。まぁ、考えてみれば、確かに「敵対する必要はない(シャーレを廃絶する必要も無くなった)」となるので、「無くなったわけではない」とはなります。他にも、シャーレの活動を連邦生徒会名義にしようと提案した、というカヤの行動を見れば、実質的にはシャーレ廃絶を企てた、とも考えられますが・・・

どちらにせよ肩透かしなんじゃい!!!

そもそも、カルバノグ一章のラストでユキノが呟いた「シャーレ廃絶」はカルバノグの今後のお話としてもかなり期待されていた伏線の一つだったはずなんですよ。シャーレという正体不明の組織、または先生自体の是非が問われるような展開になると思っていたのにも関わらず、それをユキノの「必要ない」というセリフやカヤの提案した改善案だけで済ますのは余りにも雑では?期待させるような書き方をしておいて、それをしれっと畳むのは、予想外もクソもなくただただ期待外れだし、予想を下回ってるんですよね。

これは二章を見て以降ずっと思っていたことなのですが、シャーレ廃絶がここまで雑に消化されたのは、最終編の影響もあるのでは?と邪推してしまいます。普通に考えれば、色彩の危機からキヴォトスを救ったシャーレ対して、「復活させたいSRTと役職がかぶる」と、「個人的な嫉妬(自分を認めてほしい)」という私情とを理由にクーデターを起こすのはあまりにも名目がなさ過ぎて馬鹿げているし、またカヤとFoxに対するヘイトがとんでもないことになるからです(後述するオトクルニコの闇堕ちを解消したのもこれが原因なのでは?とも考えています)

カルバノグ一章のTo be continuedの壊れた子うさぎ公園スチルは?

こちらは言い逃れが出来ないであろう変更点だと思います。作中で一切出てこなかったスチルですし、展開としても子うさぎ公園が破壊されるシーンはありません。なんで無くなったんですか?教えてくださいよisakusan。

まぁ、これもどうせ気にしない人は気にしないんでしょうけど、ストーリー随所を適当にしてると、シナリオの質への信頼がどんどん失われてきますよ。私はrabbit小隊が敗れて、結果、子うさぎ公園がめちゃくちゃにされてしまうのでは?なんて思ってましたが、まぁ、バカを見ましたね。はい。

4.5th PVで肩透かしだったスチル、未回収だったスチルについて

最終編のカスムーブでゲロりまくってた私のメンタルを完全回復するほどの期待度を持たせてくれた4.5th PVですが、いくつか雑に使われるまたはそもそも使われてないスチルがあります。個人的にかなり残念だったものに言及します。

具体的には3つあって、ユキノの目アップのスチル、ミヤコとユキノが会話を交わすスチル、ユキノが自分の学生手帳を眺めるスチルです。

1つ目は、ユキノの目が写っているスチルで、目からはハイライトが消えており、何かを見つめているように見えます。4.5th PVではこのスチルの次に学生手帳のスチルがあったので、それを眺めているのでは?とも考えられました。

が、実際はユキノがただ起きるだけに使われました。なんかこう、うん、なんだろうなあ、これもミスリードなんですか?あの起きるシーンは時間帯が夜だったし、なんだかスチルのビジュと合っている気がしないと言うか・・・。意味ありげだったのに、ただ起きるだけのシーンに使われるのは凄いもったいなかった気がします。

2つ目は、会話を交わすスチルですが、ユキノがミヤコに対して何かを告げていて、ミヤコは少し悲しそうな表情を浮かべています。何か衝撃的なことを言われているが、ミヤコ自身は大きな衝撃を受けたわけではなく、言われていることを理解しつつも心の奥底からは納得できずにいる、というように見えます。

しかし実際はユキノがミヤコに対して座標位置をスマホに送信したことを告げるだけであり、スチルシーン自体にはあまり大きな意味がないです。寧ろその前にあった



急に良心が芽生えてるオトクルニコ

まあ、キャラが可愛いこと、いい子であることはもちろん良いですよ。大前提としてブルアカはキャラゲーの側面を持ち合わせていますし、キャラを売る以上、良い印象を持ってもらうようにキャラを魅力的に書くのは当然です。私もオトクルニコは可愛いと思います。

ただ、気になる点があります。カルバノグ一章でニコはアルバイトに偽装して先生と接近して会話をした際、かなり意味深な発言をしました。「rabbit小隊の正義は所詮は花が温室の中で見る淡い夢に過ぎない、そしてそれを応援する大人はさぞ大変だろう」、要約すると大体こんなことを言っていたと思います。

更に、カルバノグ一章ラスト、カヤがrabbit小隊のヴァルキューレ本館侵入の快挙を見て、「戦力としてはちょうどいいから、自身のクーデター計画に参加させよう」、という話になったときは「後輩たちの手は汚したくなかったけど、仕方ないかな?」と言っています(このセリフが「最初の先生との会話で言った「温室育ちの─」のセリフが単なるユキノの思想の引用ではない」、という証左になると思います、彼女の本心に見えます)。

発言からキャラ性を考えると、「理想や希望を捨て、現実に諦観を覚える闇堕ちエリート」、というような印象を抱きます。rabbit小隊、とりわけミヤコの掲げる正義を淡い夢と言い捨て、理想論を語る大人である先生を試すような事を言い(そして先生の返答には驚く)、クーデターにrabbit小隊を参加させることを悪いと思いつつも、SRT復活を優先する冷酷な雰囲気も感じさせます。「悪いことをしてる自覚がある」と見えますね。オトクルも、セリフはわずかお互い一つだけですが、どちらも闇堕ちした雰囲気を感じさせます。

この印象を持ったまま、カルバノグ二章を見ると、序盤で違和感を持ちます。

二章序盤は、インフラを破壊してD.U内で混乱を与え、リンに対する政治的失態をでっち上げる工作をやっているシーンで、クルミとニコは自分たちの行いに罪悪を覚え、ユキノの命令に疑問を抱いています。オトギも、セリフには出してませんが、計画に心配を抱くような雰囲気があります。ニコに関しては「これは正義じゃない気がするよ」とすら言っています。

はい。なぜか急に良心が芽生えてますね。一章、最終編では闇堕ちエリートで命令に淡々と従うイメージが合ったのに、どこかで心情変化とかありましたかね。いきなり変わってしまうのはやはり違和感を持ちますよ。想像でも補完出来ないほどに難しいくらい根拠が少ないし、矛盾してますからね。

一章ニコは、ブルアカ敵生徒が抱える、敵としての大義や哲学のようなものを語っていたのにもかかわらず、二章では急にいい子にされたので、シャーレ廃絶と言い、個人的に肩透かしな部分でした。可愛くていい子なのはもちろん良いんですけどね、うん。

最終編で盗んだアイテムが一切使われなかった

最終編でFox小隊がシャーレ地下から盗み出したアイテムですが、カルバノグ二章で出ることは一切ありませんでした。

いやまあ、どのタイミングで出すか出さないかなんて、ライターやisakusanの判断によるだけなので、それは向こうの自由なんですけど、我々が期待してしまう以上、そのワクワクを冷めさせないための工夫はやはり必要な気がするんですよね。更新が遅いからなおさらです。それこそ、エデン三章ラストでベアトリーチェの存在を示唆するとか、エデン四章で色彩の襲来を示唆するとか、「なんだか今後も面白くなりそうだな」と思えるようなワクワクや期待感があると、お話としては今後も楽しめるわけです。しかし、カルバノグには全くと言っていいほどそれがない。登場人物がちょろっと匂わせ発言をするシーンはしつこいくらいにはありましたけど、ガツンと来るものではなかったと思います。

カルバノグは、盗んだアイテムはもちろん、ユキノがやさぐれ狐に至った過去(Fox小隊自体の過去もそう)やSRTの復活、カヤの「恐怖」発言や手紙の存在といい、まだ未回収の要素はエデンレベルであるわけですし、お話としては完全に終わりとは言えないはずです。それなのに、そういった要素をあまり気にさせるような書き方はなく「ハッピーエンド、ちゃんちゃん。」で終わらせてるような感じが強いです。

例えば、「カヤとFox小隊が捕まってしまったため、アイテムは正体不明の第三者の手に・・・」とか、スチルを活かしてアイテムの外観を見せてからend・・・とか、ソレ以前のブルアカのメインシナリオではあったような演出や魅せ方をしたほうが、カルバノグや今後のお話に期待できるのではないかなあ?、と思います。得しかないのにそれをやらない理由が分からないですね。

シナリオ都合で弱くされるFox小隊

rabbit小隊の一人も撃破すること無く、しかも先生の指揮なしで負けるのは、流石にFox小隊が弱すぎる気がします。rabbit小隊を強く書いてるんじゃなくて、Fox小隊を弱く書いている、そう感じます。

これは単に「Fox小隊の強さ」という一章からの期待の一つが裏切られたことだけではなく、ラストの兎対狐の信念バトルもなんだがしょぼくなっている気がします。「Fox小隊には迷いがあったから負けた」という意見を言う人をたまに見かけますが、そもそも、最後で四人は決意を固めたはずです。

ラストで、ユキノに合流したオトクルニコは、親友であるユキノの一人自爆を見逃せず、そして未来のSRTを背負うという責任を後輩に押し付けるべきではないと考え、四人でrabbit小隊を追い返した後で心中することを決めました。

つまり、最初は闇堕ちのユキノにも、自分たちの良心にも、どっちともつかずでいたオトクルニコが、最後の最後で親友の過ちを認め、その上で最後まで親友についていくことを決心する、非常に美しいシーンなのですが(個人的にはカル二章で最も評価の高い部分です)、そうして決心を固めたのにもかかわらず、rabbit小隊にあっさりと負けてしまうのは、彼女らの決意を矮小化してしまっている気がします。

もちろん、ブルアカのストーリーである以上、Fox小隊四人の心中が起きてはならない訳ですけど、だからといって無理に負かす必要はなかったはずです。実際、戦いの整合性や設定として見ても色々と無理がありますしね。「rabbit小隊側が大きな損害を受けながらも最後で辛勝する」とか、「苦戦が続くがミヤコや先生の説得でユキノが折れて降伏する」とかのほうが、彼女らの強さや信念を下げずに穏便に終わらせることが出来たと思います。

カヤ小物化、ギャグ化の弊害

「カヤを小物化、ギャグ化する」という一つの方向性を出すのは良いですし、後述するユキノのキャラのブレの酷さを見ると、一貫している分、私としてはマシには見えます。

しかし、小物化するにしても違和感を感じる点があります。「キヴォトスの治安を知らない」というところです。

カヤの役職は防衛室長で、一章では実働部隊のカンナをパワハラで脅し、汚れ仕事を押し付けていたので、確かに、実際の犯罪現場の様子を知らない、ということは考えられるでしょう。ですが、「キヴォトスでは毎度のこと列車のハイジャックが起きている事を知らない」、つまり「キヴォトスの治安の実態を知らない」はあまりにもおかしいでしょう。現場に赴く人間ではないにせよ、防衛室長ならキヴォトスの治安や犯罪などについて把握しているはずなのでは?

そうでなくとも、本来は権力なしでは動かせないFox小隊を利用して連邦生徒会にクーデターを起こしたり、悪名高い企業のカイザーと手を組んでいたりと、ダーティな行為にすら手を染めています。もはや社会の闇に片足を突っ込んですらいるような人間が、あそこまでの世間知らずだとは思えません。

加えて、一年半も待たせ、4.5th PVでもかっこいいスチルを見せて期待させた挙げ句、あの取ってつけたようなキャラ性で終わるのはあまりに期待外れだ、詐欺だ、というのも前提としてそうですが、それ以上にカヤの小物化は悪影響があります。関係者の格すらも下げている事です。この場合、カヤの命令を実行しているユキノと、一章でカヤからのパワハラで汚職に手を染めていたカンナがそれに当たります。

ユキノの場合、彼女はカヤを責任者として選んだわけですが、当のカヤは、カンナに仕事を押し付ける、自分のミスを部下のせいにする、自身の状況が詰んだら相手に這いつくばって必死に情けなく謝るなど、他責思考かつ無責任の性格の持ち主で、さらに言えば、代行になったのにも関わらず、キヴォトスで電車のハイジャックがあったことを知らなかったので、とことん世間を知らない箱入り娘であったことも伺えます。

このようなカヤの小物的な性格や無能さがユキノの敵としての思想をズタズタにしています。ここで踏まえておくべきユキノの思想は、「判断をするのは責任を負えるものがすること」と、「正義(二年前の過去の栄光)は温室の中で見た甘い悪夢」の二つです。

どちらの思想にも、あまりにもユキノが「目が節穴の大バカ」にしか見えなくなるようなメタ的なダメージを与えています。無責任で、ミスを人のせいにし、なんと責任の負い方すらもマトモに知らない人を上司に選んだうえで、カッコつけて「判断をするのは責任を負える者がすることだ(キリッ)」なんて言われてもとことんチープに見えます。さらに言えば、カヤ当人はキヴォトスの治安も代行としての業務もマトモに知らないような「温室育ち」という、温室育ちの理想論(正義)を嫌うユキノの思想からは真逆の人物です。

Fox小隊側もギャグ化したのならまだ良かったのですが、結局、ユキノは最後までヘイト役かつシリアス枠に徹していました。カルバノグ二章で「上司選びを180度間違えた」というのを見せたかったのなら、カヤをより格の高い恐ろしい敵にしても良かったはずです。せっかくのユキノの敵としての大義をしょうもなくしてしまっています。

余談ですが、そもそも考えれば「なんでユキノはコイツを上司として選んだんだよ」という話にもなります。ユキノはデフォルトでポンコツというキャラ属性があるわけでもなく、かなり真面目な人物です。実際、rabbit小隊からはそう評価されていますし、言動からもその雰囲気が伺えます。なのにも関わらず、あそこまで地獄レベルの選択ミスをするとは考えられません。やさぐれてた時にカヤに付け込まれて甘言に乗せられた、くらいしか理由が考えられないです。「ユキノ自身が選んだ」とは思えません。

次にカンナですが、彼女は一章ではカヤからパワハラを受けて汚職に手を染めていた人です。そのせいで一章以降では悪に手を染めていた自分に苦悩し、自身を「三流悪党」と自虐します(正直、最終編から続いてずっと活躍しているのにここまで自虐させるのもやりすぎな気がします)。

カンナの場合、本人が汚職に手を染める事を自分で選んでやった、という事もあるでしょう。何かを為し得るために理想と現実とに折り合いをつけていましたしね。しかしそこには「カヤに脅されてやるしかなかった」という部分も少なからずあるわけです。これが違和感です。カヤは、二章最後では自身の状況が危うくなった際には対立していた先生に縋りついてひたすら謝るような情けない人物です。ぶっちゃけ、カンナならあんな奴に逆らってぶっ飛ばすなりしても良かったのでは?理想の正義を知っていたし、正義の為なら自分の立場すら顧みないし、なんなら強いです(ここ大事)。それなのにも関わらず、カヤのパワハラにビクビクして苦悩していたのがよく分かりません。ベアトリーチェとアリスクのように、「けして逆らうことができない構図」が成り立っているからこそ、従っている人間の苦悩や葛藤には泊が付くのであって、武でも知でも弱そうなやつにビクビク付き従ってるのはダサいだけです。




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