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自分を救えるのは自分だけ

【 自己紹介 】

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このブログでは、2019年7月にうつ病を発症し、それをきっかけに同年12月からブログを始めて、それ以降、900日以上毎日ブログ更新してきた、しがないサラリーマン弁護士である僕が、日々考えていることを綴っています。

毎日ご覧くださってありがとうございます。本当に励みになっています。

【 今日のトピック:自分を救う 】

僕は、橘玲フリークで、橘玲さんの思想がほぼほぼトレースされているんですが、橘玲さんの本やブログをしこたま読んでいると、「知識社会」というキーワードが浮き出てきます。

現代は「知識社会」です。つまり、学力や知能を持ち合わせた人に富が集中するという構造になっています。で、この「知識社会」が発展すると(つまり、「知識社会化」が進むと)、「ふつうに仕事をする」の「ふつう」のレベルがどんどん上っていきます。

今の時代は、パソコンでWordファイルを開いて文章を打てるというスキルは、当然の前提になっているでしょう。

「パソコン」とか「Wordファイル」なんていう言葉を知っているのも当たり前です。

「ブラウザ」とか「OS」とか「ハード」とか「端末」とか、こういった、つい20年前までは専門用語でしかなかった言葉も、知っていることが当たり前になっています。

というか、こういったことが「当たり前」と捉えることができている人は、知識社会化についていけています。

こういった言葉についていけない人たちもたくさんいます。

例えば、今の50代で、あんまり勉強が得意でなかったり、友だちが多くなかったりする人たちを考えてみましょう。

この人たちは、20代のうちは、当然、パソコンやスマホを仕事で使っていなかったのに、30代に突入してから、パソコンが出てきて、40代に突入した頃からは、「スマホ」なるものが登場してきます。

「ついていくのが当たり前」と思っている人たちは、自分に、ついていける「才能があっただけ」という残酷な真実に目を向けてみたほうがいいと僕は思います。

パソコンやスマホを当たり前に使いこなし、その操作に必要となる専門用語がスッと頭に入ってくるのは、当たり前ではありません。

あなたが「当たり前」と(運良く)思えている横で、どうしてもついていけない人たちが山のようにいるのです。

そこを見落とすべきではありません。

知識社会についていけない人が、間違いなくいます。

僕が、1kmを3分で走れないのと同じように、つまり、僕に長距離走の才能がないのと同じように、パソコンやスマホについていけず、その結果、「ふつうの仕事」すらままならない人が存在するのです。

僕は、1kmを3分で走ることはできなくても日常生活に問題はありませんが、「ふつうの仕事」ができないと、日常生活に大きな問題が生じます。

働き口はなく、「ふつうの生活」すら営めません。

ふつうの仕事ができないなら、異性からモテることもないでしょう。友だちにマウントとることもできません。どんどん、劣等感の塊になっていきます。

「ふつうの仕事」のレベルが上昇しまくった結果、「ふつうの仕事」ができない人たちがたくさん発生しています(おそらく、「ふつうの仕事」ができるのは、人口の3割くらいです)。

その象徴が、アメリカでトランプ大統領が誕生したことです。アメリカでも、「ふつうの仕事」についていけない人たちがあふれています。

日本でいうと、「ネトウヨ」です。

日本でもアメリカでも、「ふつうの仕事」についていけず、劣等感が凝縮し、その結果、「アメリカ人であること」「日本人であること」以外にアイデンティティを保てなくなり、異様に排他的な思想を持つようになる人たちがたくさん発生しました。

とまあ、ここまで書いてきましたが、じゃあ、その人たちに手を差し伸べればいいかというと、僕は違うと思います。

僕は、その人たちに手を差し伸べて救えるかというと、救えないと思っています。

手を差し伸べて救うためには、手を差し伸べる側が人生を賭ける必要があります。人生をかけて、その人に関わり、何度拒絶されても諦めずに話を続ければ、変わる可能性も出てきます。

ただ、そこまでできる人って、基本的にいないでしょう。

だとすると、少し手を差し伸べるのは逆効果です。同情されると過敏に反応し、よりいっそう心を閉ざすのがオチです。

結局、自分で自分を救うしかありません。もう、それしかありません。

結局、「救い方は自分で考えろ」です。

「ふつうの仕事ができなかった」という思いは、あまりにもショックが大きいです。僕もそうでした。

僕としては、「ふつうに仕事していた」だけでした。夜中まで仕事をすることもありましたが、弁護士の業界では、夜中まで仕事するのも別に不思議なことではありません。

仕事が終わらないから労働時間を伸ばしていただけなのに、僕の身体は限界を突破してしまいました。

自分にとって「ふつう」でしかなかったのに、それができなかったという現実は、あまりにもショッキングで、毎晩毎晩泣きました。

毎晩毎晩、悔しくて悔しくて泣いていました。

そこからなんとか、今の状態まで回復しましたが、僕の場合、自分を救う方法は、身体を休めることでした。

自分の身体に、お金と時間(整体に行く費用と時間、バランスの良い食事を短時間で効率よく摂取する費用、寝具にお金をかけるなど)をかけて、身体を少しずつ回復させました。

その上で、短時間しか働かないようにしました。

そうやって、短時間しか働かないと決めた上で働きつつ、仕事で少しずつ結果が出てきて、プライドを取り戻すことができました。

こんな感じで、自分を「救う」ことができたと思います。

この方法は、誰かから教えられたものではなく、自分でたくさん本を読んで、試行錯誤しながら作り上げたものです。

だから、結局、「自分で自分を救う」しかないんです。それ以外にない。

せめて、「自分で自分を救えるよ」というところにだけは気づいてほしいです(そこに気づいてもらうのも、本当に難しいですが。)

意識高い系もいいんですが、「頑張れない人もいるんだよ」と今日思ったので、こんなことを書いてみました。

それではまた明日!・・・↓

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