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「座馬」のルーツは岐阜県加茂郡上古井村

ファミリーヒストリーを辿る旅が続いている。
父が氏を「座馬」から「浅香保」に改名した理由は、依然、分からない。60年前のことなので裁判記録は残っておらず(裁判所は今、どんな凶悪事件でも裁判記録を10年間しか保管しない)、経緯を知る人物も今のところ見つかっていない。
なので、そこは一旦横に置いて、父のルーツを遡ってみることにした。

戸籍を父の代から遡っていくと、祖父と曽祖父の代で、東京・浅草に本籍を置いていることが分かった。
明治23年のこと。
戸主は「座馬宮松」となっており、僕の曽祖父にあたる。
慶應元年生まれ、明治維新前夜のこと。もはや歴史の領域やね。
この戸籍以前のものは、東京大空襲で焼けた、ということになっている。かつての浅草区、現在の東京都台東区役所からはそういう回答。
戦争末期のどさくさで焼けたか焼いたか紛失したか、ということだろう。とにかく、焼失したということになっている。

なので、そこまでかと思っていたのだが、戸籍欄中に「岐阜県加茂郡上古井村より分家」との記載があったので(むっちゃがんばって解読した)、試しに、加茂郡(現在の美濃加茂市)に問い合わせてみた。
美濃加茂あたりなら、残っている可能性もあるだろう。
すると、ドンピシャ。
戸主:座馬三郎
本籍地:岐阜県加茂郡上古井村 定籍
市役所が丁寧に調べてくれて、3日かけて、戸籍が出てきた。

戸主の「座馬三郎」は、「宮松」の父なので、僕の曽々祖父ということになる。
本籍地の「定籍」とは、ここに戸籍を置く、というほどの意味。
さらに前戸主の欄を見ると、「養父 座馬源三郎」とあるので、僕の曽々祖父は座馬家に養子に来たということだ。この時代ならよくある話だろう。「源三郎」が曽々々祖父となるから、僕の五代前の人物。
曽々祖父の「三郎」の生まれが天保8年。調べてみると、なんと、大塩平八郎の乱が起こった年。ペリーの黒船が来航する15年も前のことだ。黒船来航以前の岐阜・加茂の情景など、リアルにイメージできない。難易度が高いな。

岐阜県加茂郡上古井村は、現在の、岐阜県美濃加茂市本郷町にあたる。
南を木曽川、東を飛騨川が流れ、上古井村と下古井村があり、「座馬」は上古井村にルーツがあるようだ。
益田街道筋にある。ちなみに上古井村は「かみこび」村と呼ぶ。絶対に読めない。僕はつくづく難読文字に囲まれているなぁ。アイヌの言葉説が諸説のうちのひとつに挙げられていたが、ホンマカイナ。
江戸末期は尾張藩の領地だった。
僕の人生に岐阜が出てきたことはなく、まさかルーツが岐阜にあるとは、聞いたことも想像したこともなかった。なかなかの驚きというか、新鮮ですな。へー、岐阜か。たぶん、岐阜県に降り立ったことはないような気がする。

幕末、水戸天狗党が討伐軍に追われる道中、上古井村の百姓2人を連行している。その後、天狗党353人は越前で投降、斬首されるのだが、その、敗走・投降・斬首までの天狗党を内側から見た記録が、上古井村から連行された百姓2人の証言により得られている。
歴史の舞台に上古井村が登場したのは、それくらいのようだ。木曽川と飛騨川の合流地点だから要衝のような気もするが、歴史の年表からは穏やかな時間が流れていた場所のように読める。

市役所に問い合わせると、「座馬」姓は、今も美濃加茂市に一定数いるとのこと。
むかしは戸籍が手書きだったため、「座」にいろんなバリエーションがあった。座馬宮松や三郎、源三郎の戸籍には「座」の左の「人」が「口」になっている。他、左の「人」が「一」になったもの、「木」になったものなど、いろんなバリエーションがあるようだ。
しかしこれらは基本的にはすべて誤字で、活字になった段階で「座」に収斂されたそうだ。旧字体という扱いになっておらず、すべて誤字とするのは少し乱暴な気もするが、とにかくそういうことだ。
そういえば、宮松の「松」の字が、東京の戸籍では「松」だが、岐阜の戸籍では俗字である「枩」が使われている。戸籍は最重要な公文書だと思うが、案外と、字は適当に使われているのだ。

「座馬」姓は、現在は美濃加茂市に約120人、全国でも約170人しかいない。天然記念物かと言いたくなるが、「浅香保」姓は僕と母の2人しかいない。瀕死の重体ですな。
「ざま」と読む以外に、「ざんま」「ざうま」と読むケースがあるとか。「ざんま」さんと読む方は何人かいらっしゃると、市役所の方が教えてくれた。

父の改名についてほとんど何も知らされていない母の乏しい話では、父は、いじめられるのを嫌って改名を申し立てたということらしいが、31歳のいい大人がいじめられるという理由で改名を申し立てて、裁判所が許可するとも思えない。
生まれてくる子ども(僕)がいじめられるから? まだ生まれてもいない子どものために裁判所が許可したかもしれないというのは、いくらなんでも無理筋な話だろう。
しかし、裁判を申し立てから、正月を挟んで1ヶ月足らずで審判が下されている。よほど合理性の高い理由があったのではないかと思われる。
が、改名の理由は、杳として知れない。
そんな理由で「座馬」姓を改名したケースはあるか?と市役所に聞いてみたが、少なくとも知る範囲では聞いたことがない、と。そりゃそうだろう。

郷土資料には、「座馬金太郎」さんが患者に尽くした名医として紹介されている。
ほか、国家褒章まで受章している「座馬井邨(せいそん)」という書道家が、上古井村の座馬一族から輩出されている。
現在も、座馬の名前を冠した企業や事務所が美濃加茂市には何社かある。
「座馬」の名前は立派に流通しているのだ。父はなぜ、改名したかったのだ

ろう?

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