海の底に眠る16

「あんた会社で泣くなんて勿体無いわよ、やめな」

 玉野さんは鼻をすするまりもを横目に、お弁当を次々と口に放り込んでいる。

「ふ、ふみまふぇん」

 ああ悔しい。まりもはまた胸がシクシクする。

「でもさ、とにかく事態は進んでるんだから、そう悲観しないことよ」

 生殺しよりマシよぉ。玉野さんはワハハと笑いながら水筒のお茶を飲む。食堂にも自動給茶器があるのだけれど、「あんなのお茶って言わない。出がらしか粉っぽくて薄いかどっちかなんだもん。飲めない」と顔をしかめる。

「トドメ刺されたんですよね、私」

「んー、案外真相は意外なところにあるかもよ」

 下手なウィンクをする玉野さんはほっぺたが盛り上がってふくふくしい。


“一度会いませんか”

 また人が変わったようなメッセージが来たのはその日の午後10時。保くんは風呂上がりにソファに寝転び、大好きな女優が主演しているドラマに夢中。

 はい、会いましょう。望むところよ。


 もしかして若い女から「あんたみたいなおばさん、もう香坂さんは好きじゃないってさ」なんて宣戦布告されるのかもしれない。そうしたら。

 まりもは半分濡れ髪の保くんの後頭部を見つめる。自分の現実はとてもとても狭い世界に押し込められてしまうことになる。ただ、本当はここだけだったのだ。自分の世界で、意のままに操っていると思っていたサイドストーリーは実はいつ終わってもおかしくない、とっくに死んだコンテンツだった。それだけのことだ。

「ねぇ、保くん」

 後頭部に話しかけるけれど、ドラマが佳境の保くんは返事すらしてくれない。別に愛してくれなくてもいいから、私の現実だけは壊さないで。なんて、ムシのいい話だ。

 土曜日の午後、「ちょっと友達と買い物」と行って出て来たまりもの目の前に現れたのは。何とまぁ、まだ子供と言えるだろう若い男の子だった。

「えっと、初めまして。香坂つぐむです」

 ドキリ。まだ十代でこんなにも肌がツヤツヤしていると言うのに、声は香坂さんそのものだった。

「・・・香坂、さん?」


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