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タイムマシーンでカフェブーム時代へトリップしよう

先日、個人が経営する本屋たちあげの顛末を語ったエッセイを読んだら、

伝説と言われたカフェの立ち上げから閉店までを書いたこの本を思い出した。

「カフェをはじめたくなる本、カフェをやめたくなる本」

何度かの断捨離をくぐり抜け、今なお私の家の本棚にある。

発行日を見ると2002年となっている。ひとたび開けば、嫌でもその頃に引き戻される。そう、カフェブーム最高潮だったあの頃。
伝説のガールズ雑誌「Olive」では、

何度も「カフェグランプリ」という特集が組まれ、そこで上位に入ったカフェは一気に、休日ともなれば行列必至の人気店に押し上げられた(※↑は古本を販売している方のネットショップ。たまたま検索していたらヒットしたのでどんな雑誌なのかを知るのにちょうど良さそうとリンクした。Oliveは惜しまれながら休刊したのち現在では新しい形で復刊しているが、こちらの年齢もあるのか残念ながらトキメキを感じない)

当時も今も地方に住んでいる私だけれど、そんな私ですらカフェ特集の雑誌は常にチェックし、いつ行くともわからない東京に想いを馳せて、お腹がガバガバになろうともお目当てのカフェを回ろうと意気込んでいたものだ。

そんな、カフェブーム真っ只中に大人の青春時代を過ごした私の「暑苦しいカフェ話」にしばしお付き合いいただきたい。

伝説のカフェ「デザカン」

空前のカフェブームの中、伝説的なカフェとして憧れの象徴だったのが「デザートカンパニー」略して「デザカン」だった。
まさに「カフェをはじめたくなる本、カフェをやめたくなる本」の舞台となったお店である。

立地も表参道のメイン通りから少し入った場所、通りすがりというよりはちょっと足を伸ばさないと行けない、そして建物の二階という決して恵まれてはいなかったことが「隠れ家」というムードを醸し出して、カフェ好き魂を揺さぶった。

こんな風に語っているけれど、結論から言えば私はデザカンには行っていない。結局行けずじまいだった。

雑誌でも取り上げられ、超人気店になった「デザカン」。実際店前までは行ったのだけれど、すでに外まで伸びる待ち人の列・・・地方から出てきた限りある時間の中、ウェイティングまでは計算に入っていなかった。

「また今度にしよう」そう思っているうちに閉店(本によると1998年開店、2001年に閉店)。行きたい時に行ける時に行かねばならない、今となっては悔やまれるばかり。

この本の内容に戻ると、友達同士集まれるような気楽な場所をというノリで始まったカフェが、予想外に集客に苦労し、そこから抜け出したら抜け出したで今度は超人気店に押し上げられ、そこから新たに生まれる葛藤と苦悩の日々が正直に描かれている。そこから「カフェ」というフワッとしたブームに潜んでいた光と闇がよくわかる。

最初はまとまったお金もなく、友人の友人、知り合いの知り合いというツテを辿って手作りで店を改装し、直前にはほぼ徹夜でオープンに漕ぎつけた。ところが本人たちの期待とは裏腹に、オープン直後は作ったデザートをほとんど廃棄する日々が続く。立ち上げメンバー数人は、不遇の時は団結力も強く、絆も深かったけれど、店が繁盛し、賃料値上げなどの現実が突きつけられるうちに、シビアな経営戦略と立ち上げから守ってきた理想の板挟みになるオーナー塚本サイコさんの心のうちがリアルすぎるほどによくわかる一冊となっている。

カフェのコンセプトは、塚本さんが好きな美味しいけれどヘルシーなアジアンデザートの店。今でこそどこにでもあるイメージだけれど、オープン当初は東京にすらほとんど食べられる店がなかったと言う。タピオカミルクティーを始めたのもこの店、と書かれていた。今では2回目とも言えるブームがやってきていて(もう下火だろうか)再読した心に沁みた。仕掛け人の感度はいつも凡人の上の上を行っているのだな、とつくづく感じる。

カジュアルで身近、フランチャイズでも個性が光った「newsDELI」

「デザカン」にこそ行けなかったけれど、私が東京に行くたびに訪れていたカフェは「newsDELI」だった。雑誌で一目惚れした「はちみつバタートースト」が一番のお目当て。

小ぶりのトースト一本を真っ二つに割り、中の白い部分に賽の目の切り込みを入れたらこんがり焼き目をつける。そこに蜂蜜をたっぷりかけてバターを乗せ、アイスクリームを乗せたら出来上がり。トースト側面には店のロゴマークが焼印してあり今で言うところの「映える」見た目だった。
結構なボリュームの食事寄りのデザートだったけれど、これはトータルいくつ食べたのか思い出せないほど、よく食べた。若かった。
このはちみつ(ハニー)バタートーストは割といろんなカフェで見かけるようになっていったけれど、やっぱり私はこちらの店のものが一番好きだった。特に一番最初に食べたものは深く記憶に刻まれ、トップオブトップだと今もなお思っている。

最初に訪れたのは表参道の店だったけれど、そこから東京各所、果ては地方にまでフランチャイズは広がった。お店のロゴやメニューについて、基本的なものはあっただろうけれど、行く店ごとに独自のコンセプトがあるなど(店頭に生の魚を置いて好きな調理法で出します、と言う店もあった)、それを回るのも楽しかった。
ただ、今ではもう残っている店はないのではないか。地方にまで広がったら有り難みも薄れ、徐々に行かなくなってしまった。広がる速度も早かったけれど撤退もそれなりのスピードだったように思う。カフェブームが落ち着き、ひと頃ほどの熱狂が薄れてしまったのも一因かもしれない。newsDELIのような、お店独自のカフェコンセプトというものが大方出揃って、ネタ切れになったような感もあった。

そのほか細々と好きだった、憧れだったカフェ

憧れ、と言えば原宿にあった「royal」も行った時には感動した。ただこちらも行ったすぐあとにビルの取り壊しにより閉店。同じ方が別の店をと言う噂も聞いた気がしたけれど、結局忘れてしまった。

そして下北沢にある「テラピン」。シモキタという立地ですでにワクワクするが、当時憧れだった(今でも憧れているが)ファイヤーキングのカップでコーヒーが飲めるということで、カフェ本に掲載された、壁に取り付けられた棚にずらりと並ぶカップの写真に想いを馳せ、いつか行きたいと願っていた。念願かなってお店に行った時には感動で打ち震えた記憶がある。
当時アンティークに多少興味が湧いていた私は、古道具などを見て周りたい時にはシモキタにちょくちょく行っていた。今はもう手元にはないが、シモキタ界隈の古道具屋でちゃぶ台を購入した記憶もある。周辺の雰囲気込みでシモキタのカフェは憧れでもあったのだ。

ファイヤーキングと言えば、代々木上原にある「ファイヤーキングカフェ」も外せない。こちらはまだ現役なので、過去形にはできないけれど、これも初めて行った時には震えた。あの憧れのファイヤーキングで食事ができる!とわざわざ食器は何で出てくるか、細かく確認した後でオーダーした(ファイヤーキングでないメニューもある)。

こちらはアジア料理が中心で、もりもりに盛られたパクチーを前に四苦八苦した記憶も、今となっては思い出深い。

代々木上原は按田餃子もあるし、カフェでなくとも行ってみたいご飯屋さんがいくつかある。熱い地域だ。

今もカフェは大好きだし、東京のみならず他の地域でも、チェックはしているが、まだ行けていないカフェはまだまだある。ただあの頃のように、時代のトレンドを牽引しようという熱くて大きな流れは今はもう感じられない。

どちらかと言えば、ブームの仕掛け人はSNSを駆使した一般の人々で、アプリを使えば誰もが雑誌の一ページのような写真を作り上げられる。
そうなると雑誌やテレビが仕掛けるブームは、断然ラーメンや餃子と行ったB級グルメの方に軍配が上がる。

カフェというものはもともと移ろいやすくて、カフェ特集の本を大事に仕舞い込んでいても、いざ行こうとしたら閉店していたというのは定番のあるある。思えば、常に新しい情報が流れては消えるSNSと、一番相性が良いかもしれない。

先日、地元の気になっていたカフェの季節限定メニューを食べに行った。このご時世になって特に「思い立った時に、行ける時に行っておけ」と改めて思う。

戻りたい過去など1分前もない私だけれど、どうしても戻す、と言われたらデザカンの前、引き返したあの時に戻って「今しかないよ、並ぼうよ」って言うだろうと思う。
思ったほど良くなくても、想像以上に感動しても、どちらにせよ、深く記憶に残っただろう。








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