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選んだのか、選ばされたのか〜親になること、ならないこと〜

auスマートパスプレミアムの恩恵を今更ながら存分に受け取り、新しい雑誌を読みあさっている。若い頃には定期的に購読しているファッション誌があったけれど、最近では洋服と同じくらい雑誌も買わない。

そのうちの1つに女性の生き方として、「子を持たない人生」といった特集があった。インタビューに答えている人は全員女性で、テーマの関係上、同年代の方が多かった。
やはり若い時にいくら「子供は作らない」と決めていても、その先の人生何が起こるかわからないから「決断」とまではいかないからだろう。

女性には「子を持つこと」の境界線がある。妊娠も出産も生理があれば可能というわけではない。年齢が上がればそれだけ可能性が低くなり、妊娠したとしても問題なく出産に至るのにも徐々にハードルが高くなる(妊娠を選ばなくても子供を持つ手段は別にあるけれど)。

私は子供を持たない人生を歩んでいくだろう。

ただインタビューに答えている人のように、はっきりと「決断しました」という瞬間があったわけではない。結婚はしているのでパートナーはいるけれど、「2人で生きて行こう」とはっきりと将来設計を立てたわけでもない。

いつの間にかそういう年齢に差し掛かっていて、結果的にそうなっている、に過ぎない。

若い頃は、結婚すれば子供を持つだろうとごく普通に考えていた。特別子供が好きなわけではなかったけれど、格別嫌いではない。自分の子供ならばそれなりに愛情が注げるだろうから大丈夫だろう、くらいに気楽に考えていた。

一方で「何が何でも子供!」と強い気持ちを抱いていたわけではない。だからだろうか、結局子供を持つという選択肢がほぼ消滅する年齢まで、気づいたら来ていた。

時折思う。

もしかしてパートナーは本当は子供が欲しかったのではないか。もしかしてパートナーのご両親は切に望んでいて、私が妻であることの不満が多少なりともあるのではないのか。

見事に自分の気持ち以外のことで悶々している。はて、じゃあ自分の気持ちはどうだろう。そう思えば「子供のいる人生も確かに豊かだろうけれど、これはこれでいいのかな」くらいだ。大それた決断も覚悟も全くない。

それならそれでいい。

くらいの緩い気持ちだ。

もちろん自分の両親は孫の顔が見たかったかもしなれい。ただありがたいことに、私は近しい誰からも子供についてせっつかれたことはない。私のことをあまりよく知らない遠い人からは子供を持たないことについて「わがまま」とか「早いうちがいいのよ」とか説教じみた言葉をもらったことはあるけれど、今となっては言った人の顔を思い出せないくらい記憶の奥の方に沈んでいる。

記事を読んで、パートナーとじっくり向き合ったり、持たない人生としてきちんと考え直したり、ああ人生の節目節目でちゃんと確認をしている人の生き方はこういうものか、と感心した。

私は、決断から逃げただけかもしれない。はっきりさせるには自分の中でまだ迷う部分があり、きちっと固める前にリミットが来ていた、そんな感じで今ここにいる。

どちらにしても、自分の人生は一筋しかないわけで、もしかしてパラレルワールドが存在しているかもしれないけれど、今これを書いている「私」は記憶にある過去を生きて来てここにいる。

今でも、子供のいる人生はどんなだったかな、と全く考えないわけではない。

積極的に「これを選んできました」とまだまだ言えない私だけれど、そんな心とともにまた、今後も「私」で生きていくだけだ。

一度パートナーに酔った勢いで、「結局子供できなかったけど」と聞いてみたことがあった。それまでそれとなくは話題にはしていたけれど、一度きちんと聞きたいと、お酒の力を借りた。
「どっちでも良かった、別に今のままでいい」という返事が返って来たと記憶している。こちらもまたゆるくて、ああ私のパートナーらしいな、と思った。

ワインを飲んでいい気分になって、ちょこっと真面目なことを話す、その距離感でこれまで来た。これからもそんなふうだろう。


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