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#100 自分の世界を持つこと、他人をジャッジしないこと

「〇〇人ってこうだよね」と言う発言がレイシズム(差別)と捉えられると知ってギョッとしました。なぜって、しょっちゅう聞くからです。
タイタニック号の沈没を元にした「沈没船ジョーク」というdark humorは有名だけど、あれをエスニックジョークとして片付けずに、人をジャッジする材料として拡大解釈してしまうのはまた話が違うということ。それに勿論当てはまらない人が大勢いるのも当然のことです。

でも「わたしだってしてしまっているかも?」と思ってちょっと後ろめたいような気持ちになりました。


息子のふとした発言に自分自身を見ることがあります。
きっと彼はわたしだけでなく、周囲にいる大人が言っていることをどんどん吸収しているんだなぁと責任も感じます。わたしの親世代がいわゆるジョークのつもりで口にする様なことも、現代社会では受け入れられないことが多いように思います。だから「それは大きな声で言わないでほしい」と思って受け流すこともしばしば。息子の前だと尚更です。現代を生きているまっさらな息子に、60代以上の日本から出たことのない大人たちの考え方をべたっと貼り付けるようなことをしないで!と言いたくなってしまう。

偉そうに言うわたし自身、海外に出た経験はほぼないのです。恥ずかしながら。
だけど、戦後日本が大きく経済成長した時代を日本の中だけで生きてきた人々の持っているあらゆるステレオタイプに違和感を感じていました。
特殊な日本という国が普通だと思い込んでいてはしんどい時代になっていることに薄々気がついていても、残り少ない人生を快適に生きることを目指す人たちに「意識を変えよう、考え方を変えよう」と言ったって難しいのも仕方がないことなのかもしれません。
でもそれらをこれからの時代を生きていく若者に押し付けるのは本当に違うと思います。(たとえ無自覚でもね)

人は長年、自分が信じてきたことや見てきたことが【唯一の真実】だと認識しがちです。余程それらが外的な力によって覆されるようなキッカケでもない限り、それは一生変わらないでしょう。各々の考え方はきっと、長年小さく積み上げて固めてきたものだろうから。

見方を変えれば、そうやって自分以外を遠ざけて「別物」のレッテルを貼ることで、自分を守ってきたのかもしれません。
決めつけたようなものの言い方をする人たちの言葉は、ちょっと極端すぎたり都合が良かったりする分、妙に小気味よく響くこともあります。だけどいつもそうやって「他をジャッジする」「レッテルを貼る」ことをし続けていたら知らない間に自分もジャッジされ、レッテルを貼られているのに気が付かないのでは?と思うのです。だって彼らはいつも自分が世界の中心だから

そのことに気がついてからわたし自身、人をジャッジするのを止める練習をしました。それでも時々「あの人はきっとわたしと違う世界の人だな」と線を引いてしまうこともあります。なぜだろうと思いながらも練習をしていて気がついたことに、「全てを受け入れなくてもいい、ただ存在を認めること」というのがありました。巷ではダイバーシティと一括りにされているけれど、「〇〇だからダメ」とか否定したり拒絶したりして自分が落ち着きたいだけなのかもしれないとも思いました。誰だって自分に自身たっぷりでは居れないのだし。自分の生きている小さな世界の他に、たくさんの小さな(あるいはもう少し大きな)世界が星の数ほどあるんだと思えたら、なんだ別にわたしはわたしでいいじゃない、とリラックスできるようになりました。

そうやって世界を観察していると、ジャッジメンタルって自分を他の誰かや何かと比べて「優れている/劣っている」とジャッジすることから始まっているのかもしれないと考えるようになりました。実験や画面の中で並列する2つの事象を比較することはできても、実際の現実で1人の人間同士を数直線上に並べてどちらがより優れているのか決める、なんて無意味なのについやってしまうんです。
それで疲れたり、落ち込んだりするから本当に厄介!

「わたしはこう思うけど、あなたはそう思うんだね」でいい。
誰もあなたに「いいね!」って言ってもらうために今日顔を洗って、洋服を選んでいるのでもないのだから。誰かの基準で測られる世界に自ら飛び込んでいくよりも、もっとフラットな目線で他人の世界を覗きに行って刺激をもらったり、発見したり、良いなと思う要素を掬い取ったりする方がずっと幸せです。

息子が生きる世界が、いろんな世界と衝突したり合体したり分裂したりしながらユニークに、自由に、守られているといいなぁと思いながら
わたし自身がのびのびと生きていけるように息子からたくさん学ぶ日々なのでした。


彼の思うスタイルで椅子を組み立てる


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気がつけばもう100記事になりました。
ちょっと驚いています。
うるさい頭の中をちょっと整理するのにどうかなぁと思って始めたnote、読んでくださる方がいることに震えると同時に、こそばゆいような、でもとっても嬉しい気持ちでいっぱいです。思っていることを(忘れないうちに)言葉にするって案外難しい。新鮮さを失って萎んだ記事も結構ありました。
書くうちにぼんやりあったものが確かなものに形を変えていく感覚、反対に、綴られた他の誰かの言葉を読むうちに受け取る新しい感覚。どちらもえも言われぬ自分の「好き」なのだなぁと今実感しています。この好きが続く間、書くという行動をし続けたいです。よかったら、お付き合いいただけたらこっそり照れます。

それでは今日も、良い1日を。


るる

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