医療体制拡充せよ論者が見落としている点

感染者が急増した途端に行動を自制しなかった自分達の責任を棚に上げて,医療側に責任をなすりつけようとする行為は昨年以来何度となく見かけたコロナの風物詩になりつつあり,こちらも「またか」という感覚になってくるが,よく観察していると「医療体制を強制的に拡充せよ」と狂人のように叫んでいる論者(ex.木村盛世,橋下徹)は往々にして「コロナは若者には風邪である」論とセットで自説を開陳していることが多い.つまり「風邪なので現状よりも感染拡大を許容する」という立場とセットで発信している論者がほとんどである.

はっきり言っておくと,「感染拡大を許容する」ということは平時でも医療にアクセスしにくかったり,感染防御が難しいような障害者を始めとする「社会的弱者」を差別して見放すという行為と同義だ.その罪深さと,自らが差別主義者であるということを自覚してなお,「感染拡大を許容するのが正しい道だ」と信ずる者は堂々とそういう主張をすればいいと思う.差別主義者と後ろ指を差されたくなければくれぐれもこのような主張はしないことだ.

ちなみに私は社会とはどのような規模であっても本質的に差別を内包するものであり,完全に差別なき社会など永遠にありえず,最終的には差別は程度問題であるという考えの人間なので,彼らが差別主義的な考え方であること自体が問題であるとは思っていない.何人も最も恥づべきことは(「差別」批判をしている人文学者や活動家であっても)自らが行っている主張の直接的あるいは間接的な隠れた差別性に無自覚でいることだと考えている.

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話はずれたが,感染拡大を許容することの問題点をいくつか挙げておこう.ちなみに私は開業医ではないことだけは記しておく.

●感染拡大で開業医にどんどんコロナ患者を診させれば,都市部の狭いクリニック内では動線分離が難しくなり,開業医に通院している一般患者を感染の危険にさらすことになる.またスタッフが感染して診療制限が発生すれば(ワクチンの効能は100%ではないことを忘れるべからず),かかりつけ患者は薬を切らせてしまったり,必要な診察をしてもらえなくなる.それについてどう考えているのか?

●実際のところ往診は移動や防護服の着脱などに時間がかかり,開業医がコロナ患者を往診するのは全く効率的とは言えない.結局開業医が過労死するほど頑張ってもせいぜいフォローできるのは5人~10人程度ではないか.すでに自宅待機が東京だけで2万人も発生している中で,どこまで意味があるのだろうか.焼け石に水でしかない.

●実際のところ発熱外来やワクチン業務,追加の感染対策などで,今年上半期の医療の業務量は平時を大きく上回っており,自身が体力的に厳しくなっている高齢開業医がそれだけのオーバーワーク状態で何日も働けるとは思えない.数日なら頑張れても,数週間から数ヶ月も持続できる見込みがない.日中だけの仕事だから家庭と両立可能だとクリニックに集まっている多くの看護師を始めとするスタッフも大半がついてこれないだろう.高度にシステム化された現代医療は医師だけで回っているわけではない.医師だけが頑張れば何とかなるだろうと考えている段階でその見識の甘さに驚かされる.

●5類引き下げなどで感染拡大を許容すれば,医療機関が厳重な対策をしていても,医療介護従事者の家族の感染が増えて,本人がワクチンを打っていたとしても濃厚接触者として出勤停止にせざるを得ない.それだけでも医療逼迫は十分に起こりうる.かといって濃厚接触者の待機をやめれば,同居家族からうつされた職員が発症して,身体的な問題でワクチンを打てなかった弱い立場の患者や利用者を危険に晒すことになる.

●そもそも感染拡大を許容することは病気で苦しむ患者を増やすということ.医者として積極的にそれを主張するのはどうなのか?(要するに木村盛世の頭の中は医者ではなく行政官でしかないということに視聴者は気づくべきだと思う.何度も言うように木村盛世は伝統的厚労省史観の代弁者だ)自粛が害を及ぼすといっても,それは必ずしも全員が強制的にやらされているとは限らない.多くの市民にとってはコロナ感染することも(身体的かつ社会的に)やはり怖いことであり,医療体制が整えられようが感染自体が怖いから自ら自粛しているだけだという人もかなり多い.自粛にフラストレーションを感じている人は多いが,一方で自粛をやめろと叫んでいるのは,一部の声のでかい人間にしかすぎないということだ.

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結局のところ,コロナ治療を開業医に頼るようでは限界があるということだ.確かに長尾クリニック(CT完備で常勤医が多数おり病院に近い)やファストドクターのように一部の大規模で活動的な開業医は保健所に変わってコロナ患者の対応ができるだろうが,大部分の開業医には日常診療と並行して対症療法以上のコロナ治療を行うのは難しいだろうと私は感じる.

また昨年と違って医療現場はマンパワーが急には増えない中で平常医療とコロナ診療を両方とも回さなければならない状況になっているというところが,大きな負担になっている.昨年春は患者が激減して暇を持て余し,経営危機に陥ったクリニックも多かったが,高齢者がワクチン接種を終えた現在,彼らは普通に病院に来るし,医療需要は一部の科を除いて平常に戻りつつある.

限りある資源をコロナ診療に振り分けるためには,感染拡大すれば速やかに高齢者に受診や入院,手術を我慢をしてもらうということが必要不可欠だ.しかし,シルバー民主主義の日本では危機的な状況になってもはや通常医療の制限やむなしという雰囲気が生まれないと,政治的な覚悟を持って高齢者医療制限の音頭を取ろうとする人がいないから,いつもコロナ診療の拡充は後手後手になって,崩壊寸前または崩壊してしまうのだ.

結局の所は医療提供体制の問題は,自粛の問題同様に「若者vs高齢者」の世代間争いに帰結する.医療者に責任をなすりつけるな.怒りは高齢者や少子高齢化を放置した政府に向けるべきだ,と私は言いたい.



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