アンチリベラルの共通点?

鋭い視点にいつも感銘を受けている白饅頭氏のnote記事へのコメントも兼ねたエントリです.有料記事なんですが一部勝手にネタばらしさせてください.

この有料記事では呉座先生事件に関係して,倉本圭造氏のnote記事へのコメントが書いてあったわけですが,倉本氏の記事内で紹介されているオードリー・タン氏の知恵に関する記事は私も実はすでに読んでいて感銘を受けていました.

基本的に倉本氏と同意見です.いくら考え方が「ただしく」ても,エリートや知識人ではなく,大勢の一般の人々や古い考えの人々がついて来れて納得できる環境整備を丁寧に行わなければ理念の実現などありえない.ビジネス界よりも遥かに古い旧態依然の仕組みや考え方にいろいろ悩まされて,昨今の「アップデート」を加速しようとする動きの間で板挟みにあっている人間としてそう強く思います.

ただいつものアンチ「リベラル」運動はともかく,ここで取り上げたいのは「白饅頭氏がこのような言論にこだわるのは阪神大震災の経験者だからではないか」という倉本氏の指摘に書かれてあった以下の部分です.

本当に「自分たちが住んでいる地区」だけで、ワンブロック全部丸焼けになったり高速道路が横倒しになったりする反面、また道路一歩向こうでは震災の晩にもう電気が回復してほとんど普通の生活ができている層がいたりする。~中略~「劇的な現象」と「あまりにも日常」が紙一重に同時に存在することのショック・・・が深い影響を持っている気がしているんですね。「普段はいい人そうに見えていた人の本当にいやらしい部分」とか「感じ悪そうな人の意外に頼りになる部分」みたいなのも沢山見ることになったしね。そういう「文明社会の裂け目」みたいなものにぶつかることで、~中略~「お題目」と「普通の人の生活心情」とをなんとか必死に繋ごうとする「かなり過剰な語り」のスタイルに繋がっているところがあるというか。

それに対して白饅頭氏はもしそのような経験をしたことがあるとすれば,震災時ではなく,震災後の特に長田区界隈の街や人々の変化においてであると指摘した上で,以下のように呼応しています.

私はいま、多くの人がやんわりと身をゆだねている「善人がわかりやすく善人であり、悪人がわかりやすく悪人である」という物語に叛(そむ)くような言論活動をしている。それが、生まれも育ちもやんごとなく、学識経験も豊かな高学歴で、まわりも同じように「人権感覚」が洗練された人に囲まれている、もちろん「文明社会の裂け目」など、その存在を認知したこともまったくない人にとっては、堪えがたい不快感と嫌悪感を与えてしまうようだ。彼らの激しい「拒絶反応」は、すでにご覧のとおりである。

(いずれも太字はこちらで引きました)

私も実は白饅頭氏と近い年齢で阪神大震災を経験していますが,幸い神戸ではなく大阪に住んでいたため,それほど壮絶な体験は経験していません.貧困とエレガントさが交叉する神戸の真の姿に気づいたのもつい最近のことです.「苦労なんかしていないように見える」なんてこともよく言われました.しかし人生の中では「自分の目で現場を見る」ことをモットーにしていたせいか「善人がわかりやすく善人であり、悪人がわかりやすく悪人である」という考えがいかにデタラメか,ということを何度となく見て経験してきたつもりではあります.

倉本氏の記事にあった残りの女性お二人のことはよく分かりませんが,おそらく白饅頭氏界隈にたむろする,今のリベラルを憂える我々のようなアンチ「リベラル」派の人々はキラキラとした「綺麗事」を信じてはいない,それが共通点のような気がしています.



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