見出し画像

ルミナスダイアリーシリーズ回顧録:黎明期

●本稿はCAMPFIREにて実施中のクラウドファンディング「10周年記念、新主人公と共に『ルミナスダイアリーシリーズ2』を始めよう!」のプロジェクト企画に伴う投稿です。
ルミナスダイアリーシリーズは2020年10月4日に10周年を迎え、それを期に新たなスタートを切ります。
新たな主人公を迎えるためのクラウドファンディングへ是非ご支援頂けると幸いです。

画像10

https://camp-fire.jp/projects/278423/

10周年の今、ルミナスダイアリーシリーズを振り返る

画像1

2010年、まだルミナスタジオという名義では活動しておらず、動画投稿も殆どがゲームプレイモノだった頃の話。
この年の夏コミでは、以前から付き合いのあったコミュニティに属していた、なかさん(チーズ酵母・現在VTuberの海月アワノをリリース)とのコラボ作品として、現ルミナスダイアリーシリーズ主人公のルミを題材にした作品が頒布された。
その作品は個人的に書いているスピリチュアルの異端を描く『Children’s Rhapsody “昔の話/今の話”』の一側面をフォーカスしたもので、これによりルミのキャラクターデザインが確立されたのだった。

画像2

その時の作品はしっかり飾っております。

ちょうどその頒布される現物を手にしようと、初めて一人で夏の東京へ出たときに閃いたのが、実写映像でビデオブログを作ることだった。
当時、動画制作はニコニコ動画にてファンタジーアースゼロのプレイムービーを主軸に作っていたが、その中に実写映像を使ったビデオブログに数回手を出していた。その手応えが悪くなかったのもあり、これを機に本格的に乗り出してみようと考えたのだ。
このアイデアをなかさんへ伝え、ルミの立ち絵制作をオファーを実施。これによりキャラクターを使ったビデオブログの下準備が整ったのだ。

当時のニコニコ動画では、ビデオブログのような動画はいくつか存在していた。しかも2Dキャラクターを使って、そのキャラをストーリーテラーとするものも少なくなかった。
だが『オリジナルのキャラクター』はそこには無かったのだ。
2010年のニコニコは、大体が結月ゆかり・弦巻マキ・初音ミク等のVOICEROID/VOCALOIDが席巻しており、Softalk(いわゆるゆっくりボイス)を使うにしても東方Projectのキャラクターを使用してストーリーテリングをするのが常識のレベルだった。
ゲーム動画では他作品のパロディを盛り込んだものを作り続けていたが、この時点よりも前から【完全オリジナル】という野望は大きくなるばかりであったのを覚えている。そのため、ニコニコでの有名キャラを利用してのビデオブログを作るという二番煎じをする気は無かった。
ただ当然ではあるが、既存の二次創作キャラクターを使えば簡単に視聴数を稼げる時代でもあった。楽な道を取るのか、それとも修羅の道を進むのか。自分にとっては自己表現を第一としたわけだ。

スクリーンショット 2020-05-18 16.28.46

ビデオブログを作るにしても、幾つかの壁が存在した。
それはボイスアクターとキャラクターで、後者は既に条件を満たしたがボイスは非常に悩ましいものだった。
Softalkを使うにしてもイメージ通りの声は出せない。ましてや当時でもVOICEROIDは既に声とキャラクターが一致しているため、結月ゆかりを採用したとしてもそれはルミではなく『結月ゆかり』になってしまう。視聴者にとっては外見と声の差に凄まじい違和感を感じることだろう。更にニコニコという文化の特性上、違うキャラクターにVOICEROIDを使っているだけでも散々批判される可能性が大いにあり得た。
結果、逆転の発想で『キャラクターボイスを使わない』決断を取った。
無理して違和感あるボイスを導入するぐらいなら、声を出さない方が良いだろうという判断だ。
ではどのように喋らせるか。それこそが『テキストボックス』を使うことだった。

スクリーンショット 2020-05-18 16.27.41

キャラクターを右下に配置し、その前後におよそ20〜25%程度のスペースを使ってテキストボックスを配置する。そうすれば画面構成はいわゆるビジュアルノベルゲーム風になり、ニコニコユーザーにも入りやすいものになるはずだろう。
リリース前後はおそらくそんな細かいことなどは考えていなかっただろうが、それは直感で分かったことなのかもしれない。だがその方針は結果的にニコニコ内の”ビデオブログにしては”優れた結果”をもたらし、オリジナルの作品として良い実績を残すことができたのだ。
まだYouTuberという単語すら登場していないこの時代に、新しいスタイルのビデオブログ作品がここから始まった。

なおルミナスダイアリーシリーズの始まりと同時期に、後に株式会社UUUM筆頭YouTuberの瀬戸弘司氏が動画投稿を始めていたのを知ったのはここから3年後のことであった。

ニコニコで100回以上続いた数少ないビデオブログ作品

スクリーンショット 2020-05-18 18.04.16

ルミナスダイアリーシリーズはニコニコ動画で連載され、なんと100週以上に及んで連載されていた。
類を見ないスタイルでありながら既存のキャラクターブランドを使わず、さらにはすべてがオリジナルのアセットを使い仕上げられていた。
これは当時の二次創作前提のニコニコ文化においては希少な存在であり、一定の視聴者を獲得することができた。

しかし、最初から北海道に密着する『ビデオブログ』として続けることを考えていたわけではない。実際ニコニコ時代はコンテンツを意識することはなく、単に自身の日記帳感覚で投稿を続けていた。それが急に『北海道観光』をメインコンテンツと位置づけしたのは、2011年に新たな登場人物としてミレーニアを迎え、初めて札幌周辺から飛び出し、登別温泉の散策を取り扱ったときのことであった。

スクリーンショット 2020-05-19 19.35.26

年始に衝動買いした、当時画期的な構造を持っていたソニーのミラーレス一眼NEX-5とキットレンズを手に、これまでほぼ全くといって良いほど観光というものに赴いたことが無かった自分が、初めて一人で、それも動画制作のために一泊二日の旅行に乗り出したのだ。
その結果は最高の一言に尽きるものだった。これまでオンラインゲームで余暇を過ごしていた自分が、ルミナスダイアリーシリーズを通して外へ繰り出す楽しさを知り、そしてその感想を兼ねて実写ビデオブログを作るわけだ。
これほど有意義な趣味は無い。今まで知らなかった北海道を隅々まで知ることができる上に自分の動画の知名度も上がっていく。自己承認プロセスにおいては最高なものだ。

スクリーンショット 2020-05-19 20.23.38

こうして北海道への興味が乗りに乗っていった結果ルミナスダイアリー第1週の公開から1年、ついに札幌から抜け出して斜里町は知床半島へと足を伸ばしていったのだった。

しかし、この時点ではまだ『ビデオクリエイター』を目指す意識は存在しなかった。何故なら、まだ自分には地下鉄車掌という仕事があったからだ。
だがこの次の年、非常勤である車掌職の最後の年度を迎えることにつれてルミナスダイアリーシリーズの存在について真剣に考えなくてはならない時期がやってくるのだ。

第100回にして大きくリニューアルした本作

2012年、前述の通り就いている電車の仕事が任期満了により更新されず退職を余儀なくされていたとき、ルミナスダイアリーシリーズは大きくリニューアルを行った。
キャラクターデザインをそのままに、そらのんさんがルミとミレーニアをリファインしたことで雰囲気を刷新、より本格的なビデオブログを意識して作品をブランディングすることに成功した。

スクリーンショット 2020-05-19 20.30.33

2011年の初リリースから使い始めたFinal Cut Pro Xの制作技術もより向上し、テキストボックスは簡単なアニメーションを取るようになった。
毎週ビデオブログを公開することで、知らず知らずの内に高度な動画編集ツールを自由に操ることができるようにもなっていた。このリニューアルを成功させたことで、自身の内に動画制作で生きていくのはどうかという考えが芽生えはじめていた。

この当時でも、ニコニコ動画では『自分の動画で金稼ぎなど穢らわしい』といった嫌儲思想が蔓延していた。動画やアセットは無償で提供されるものであり、動画の公開も無償でなければならない暗黙の了解が存在していたのだ。それに逸脱する人は例外なく叩かれ炎上していた
『ルミナスタジオ』を名乗り始めた自分もまた、そのニコニコの思想から逸脱することは無かった。が、その考えを大きく改めたのがYouTubeから来た一通のメールだった。
YouTubeの視聴者の需要もあるかと思い、過去のルミナスダイアリーシリーズを順次アップロードしていたのだが、全く気にもしていなかったチャンネル登録数は100人を超えており、十分な視聴数を得られていたのか収益化可能の案内が届いていたのだ。

冬コミでサークル参加を達成した後、恐らく当分北海道旅行はできなくなるだろうと見越して二度目の知床半島を収録しに行き、その間ビデオブログを投稿するプラットフォームの乗り換えについて真剣に考えていた。
今のニコニコ動画では、自分の動画は正当に評価されていない。他作品に乗っかって人気を集め続けるのが正義なのは正直違うと思う。
その疑問に回答を示したのがまさにYouTubeであり、自らを『YouTuber』や『動画連隊』と名乗り始めた人気投稿者たち、そして海外の動画投稿者たちの姿であった。
動画は作品であり、投稿することで広告収益を得るのは間違いじゃない。そう確信したことでニコニコ動画を段階的に卒業し、YouTubeという未知の世界へと足を踏み入れることになったのだ。

スクリーンショット 2020-05-19 20.33.03

そこに待っていたのは斬新なビデオブログスタイルによる更なる躍進と、任期満了により退職した後の境遇による極貧生活自身を真綿で首を締め続ける苦悩身内の白い目に耐え凌ぐ、まさに修羅のような道であったのだ。

次回、『ルミナスダイアリーシリーズ回顧録:極貧期

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?