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泉のありかを知っている風

何人か、女性の話を聞く機会があった。
性別についての話は難しいのだけれど、それでも自由でない女の人が、この世にはたくさんいて、それぞれに自由になりたがっていた。
娘でいるのが辛い、母でいるのが辛い、女でいるのが、その役割を果たすことが辛いと言っていた。

自由になる前に、逃げなければならない人もいて、逃げても追われてしまう人もいる。
時代が移り変わっても・・・と考えていたら、ある詩を思い出した。

美智子上皇后様が、「降りつむ」という本の中で英訳されていた。
新川和江さんの詩『わたしを束ねないで』。

わたしを束ねないで
新川和江

わたしを束(たば)ねないで
あらせいとうの花のように
白い葱(ねぎ)のように
束ねないでください わたしは稲穂(いなほ)
秋 大地が胸を焦がす
見渡すかぎりの金色(こんじき)の稲穂

わたしを止めないで
標本箱の昆虫のように
高原からきた絵葉書のように
止めないでください わたしは羽撃(はばた)き
こやみなく空のひろさをかいさぐっている
目には見えないつばさの音

わたしを注(つ)がないで
日常性に薄められた牛乳のように
ぬるい酒のように
注がないでください わたしは海
夜 とほうもなく満ちてくる
苦い潮(うしお) ふちのない水

わたしを名付けないで
娘という名 妻という名
重々しい母という名でしつらえた座に
座りきりにさせないでください わたしは風
りんごの木と
泉のありかを知っている風

わたしを区切らないで
,(コンマ)や . (ピリオド)いくつかの段落
そしておしまいに「さようなら」があったりする手紙のようには
こまめにけりをつけないでください わたしは終りのない文章
川と同じに
はてしなく流れていく 拡がっていく 一行の詩


この中の、「泉のありかを知っている風」という表現が好きだ。


夢で、こんこんと湧く泉の夢をみたことがある。
泉の脇には、岩から流れ落ちる滝があった。
私は、その水辺で青い服を着ていて、読書をしていた。
そして、知らないうちにオオカミに囲まれてしまうという夢だった。
その時に助けに来てくれたのは、松明をもった少年で、火を見て驚いたオオカミは退散する。

夢の分析は絵画療法にも直結していて、自分なりに解釈をした。
何か一歩を踏み出さないとならない気がしたのだった。

生命力、才能、想像力などを表す泉。
泉のありかを知っているという風。
わたしは風。
素敵だな、と思う。



書くこと、描くことを続けていきたいと思います。