猫は、私の猫だとは思っていない

画像1 ロッシーニの猫の二重唱は"Miaw"が繰り返される。バレエ「眠りの森の美女」の猫。ソーゲのバレエ音楽「猫」。ダリウス・ミヨーの家族のミューズOp245「猫」。猫は音楽のミューズだとも言われる。動きが優雅であり、コケティッシュでもあり、みていて飽きない。ついつい、気持ちが乗らないとツンとしている猫のペースに合わせてしまう。ご機嫌伺いをするのは、私だ。
画像2 「ねこと音楽」という文章には、こう書かれていた。"アンリ・ソーゲのねこ、コディは、主人が演奏をはじめるや、床を転げまわったと言います。それがドビュッシーの曲であれば、お気に入りの音楽をもっとよく聴こうとするかのように、ピアノの上に飛び乗って耳を傾けたとか。" 確かに、猫の感性は研ぎ澄まされている、と思う瞬間がある。私の猫の、綺麗な緑色の目でじっと見つめられるのが好きである。私の猫。でも、猫は私の猫だとは思っていない。自由を愛していて、束縛されるのが嫌いである。

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