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A先生とパーマン


ふたりの藤子不二雄先生

わたしは物心ついた頃から、藤子不二雄先生の作品が大好きです。最初はアニメから入りましたが、お小遣いをもらうたびに、てんとう虫コミックス藤子不二雄ランドをコツコツと買い集め、気がつけば相当な原作マニアになっていました。買った本を大切にとっておくというようなコレクションとしてではなく、文字通りボロボロになるまで読み倒したものです。

藤子先生は、ご存じの方も多いと思いますが、ふたりおられます。かつては合作していて、「二人で一人」をキャッチフレーズとする漫画家として活躍されていましたが、実際に合作した作品数は少なく、かなり早い段階から、大半の作品は別々に執筆されていました。1987年(※)に、名実ともにコンビを解消し、以降はそれぞれ以下のペンネームを名乗っておられました。

(※) コンビ解消年は、おふたりが出版関係者に「ごあいさつ」を送付した1987年12月を基準として記述しています。

  • 藤子・F・不二雄先生(1933~1996)
    本名:藤本弘先生
    代表作「ドラえもん」「キテレツ大百科」「パーマン」「エスパー魔美」「チンプイ」「21エモン」「T・Pぼん」など多数

  • 藤子不二雄A先生(1934~2022)
    本名:安孫子素雄先生 ※ペンネームの正しい表記は「A」を丸囲み
    代表作「怪物くん」「忍者ハットリくん」「笑ゥせぇるすまん」「プロゴルファー猿」「まんが道」「魔太郎がくる!!」など多数

「合作」と「共著」

おふたりがコンビを解消した後に、どの作品がどちらの著作物であるかを整理されて、その際に「合作」だと判断された作品は「共著」の扱いとなっています。具体的には「オバケのQ太郎」「チンタラ神ちゃん」「仙べえ」「UTOPIA 最後の世界大戦」「天使の玉ちゃん」「海の王子」などが、「藤子・F・不二雄大全集」では「共著」とされています。

ちなみに「仙べえ」は、見た目はほとんどA作品ですが、ストーリーと背景をF先生が担当しているため、「共著」扱いとなっています。この作品は、「藤子・F・不二雄大全集」で初めて読んだのですが、F先生の世界観をA先生が描くという夢のコラボレーションに、新鮮な感動を覚えたものです。

ところで、藤子作品を研究する際に注意が必要なのは、「共著」扱いというのは、あくまで著作権管理上の話であって、「共著」ではないから「合作」ではない、と一概に言い切れない点です。

おふたりの「合作」には様々な形態があり、F先生の単独作品とされている作品であっても、実はA先生が一部キャラクターを担当していたり、その逆もあります。(A先生の単独作品「きえる快速車」「わかとの」など)

今回取り上げる「パーマン」は、F先生の単独作品とされていますが、メインキャラクターの多くをA先生が担当されています。(1966~68年に連載された作品のみ。1983~86年の新作はすべてF先生による作画)

「パーマン」におけるA先生の作画

パーマン」の連載は、小学館の学年別学習雑誌「小学三年生」と「小学四年生」で、1966年12月号から開始されました。時期は「オバケのQ太郎」と入れ替わる形でのスタートで、A先生は雑誌「少年」で「忍者ハットリくん」、「少年画報」で「怪物くん」などを連載されていた頃です。

A先生が「パーマン」で担当されたキャラクターは、パーマン2号(ブービー)、カバ夫サブスーパーマン(新作におけるバードマン)などです。これらのキャラクターは、1983~86年に連載された新作「パーマン」では、すべてF先生が描かれています。

F先生とA先生の絵は、結構タッチに違いがあります。それぞれの単独作品を読むと、これはF先生、これはA先生と、少なくとも藤子ファンであれば容易に見分けることができます

ところが不思議なことに、F先生の単独作品にA先生の絵があっても、逆にA先生の単独作品にF先生の絵があっても、全く違和感を受けないのです。

あまりにも自然に溶け込んでいるので、意識して見なければ、たとえば「パーマン」はF先生の単独作品なので「すべてF先生が作画している」というような、誤った先入観を持ってしまうことすらあります。

小学館 藤子・F・不二雄大全集「パーマン」第1巻 P.68

たとえば「オバケのQ太郎」(1964~66年「週刊少年サンデー」連載版)は、メイン以外の人間キャラクター(よっちゃん、ハカセ、ゴジラなど)を石ノ森章太郎先生が描かれていますが、誰が見ても明らかに「藤子不二雄じゃない人が描いた絵」とわかります。

本来のタッチは異なるのに、同じコマに同居していても違和感を受けない絵という点が、長年「藤子不二雄」というユニットを成立させてきた要因かもしれません。コンビ解消前に、それぞれの作画や作風の独自性を見抜いていた人もおられますが、一般の読者に対しては「二人で一人の漫画家」というキャッチフレーズを信じ込ませることに成功していたと言えるでしょう。

最後の合作?「忍者ハットリくん」との共演

1984年、映画ドラえもん「のび太の魔界大冒険」の併映として「忍者ハットリくん+パーマン 超能力ウォーズ」が公開されました。さらに翌年には、映画ドラえもん「のび太の宇宙小戦争」の併映として「忍者ハットリくん+パーマン 忍者怪獣ジッポウVSミラクル卵」が公開されています。

これらの作品には「映画原作」として描かれた漫画作品があり、いずれも、てんとう虫コミックス「忍者ハットリくん」第13巻に収録されていましたが、現在は絶版状態となっていて、映画作品も、かつてはVHSが販売されていたものの、DVDなどの発売や配信はされていません(2023年現在)。

封印作品状態となっている原因は、明らかに権利関係だろうと推測されますが、この作品に登場する「パーマン」のキャラクターは、すべてA先生の手で描かれていて、F先生の手は入っていないのです。

もっとも、この作品の執筆当時に、現在の「藤子プロ」は存在しておらず、F先生も「藤子スタジオ」に所属していましたから、F先生側の作品に携わるスタッフ(アシスタント)の協力を得ていた可能性はあります。

小学館 てんとう虫コミックス「忍者ハットリくん」第13巻 P.182

わたしは、最初にこの作品を読んだとき(かなり幼い頃)、ふつうにパーマンたちはF先生が描いていると思い込んでいました。当時すでにコンビは解消されていたので、これが最後の合作なのかなと思ってもいました。

よく見れば、F先生のタッチではないことはわかるのですが、マスクをかぶっていることもあり、ほとんど違和感がありません。パーマン2号は、前述の通り、もともとA先生が描いていたキャラクターです。

それでも、A先生がパーマン2号を描いていた時期から、15年以上も経過しています。さらに1983年からは、F先生が新作の「パーマン」(新原作)を描いているので、A先生も新原作に寄せた描き方をしています。

そういう視点から見ても面白い作品です。内容は明らかにA先生単独の作品なので、パーマンが登場している点に関しては (C) 藤子プロ と表記するなどして、なんとか再発売してほしいと願っています。

ドラえもん」にも、ズバリ「怪物くんぼうし」というひみつ道具が登場しますし、「なんでも空港」には、F先生が描いたと思われる怪物くんも登場しています。これらも全集に問題なく収録されていますので……

A先生=パーマン?

A先生と「パーマン」の関わりでは、2007~15年まで「ジャンプスクエア」で長期連載されていたコミックエッセイ「PARマンの情熱的な日々」があります。「PARマン」とは、ゴルフの規定打数という意味の「パー」などを、「パーマンの作者」という意味と掛けておられるようです。

A先生がご自身を「パーマン」と自称した作品を発表したのは、これが最初ではなく、古くは1978~80年に「ビッグコミック」で「パーマンの日々」というエッセイを連載されていました。

コンビ解消後、「パーマン」はF先生の単独作品扱いとなったこともあり、近年の作品では「PARマン」と表現を変えていましたが、ご自身で一部キャラクターの作画を手掛けておられたこともあり、「パーマン」という作品には思い入れもあったのかな、とわたしは思っています。

おわりに

今回は、F先生の作品「パーマン」に、A先生はどのように関わっておられたかという話を中心に、記事を書いてみました。

藤子作品は、現在ではあれはF作品あれはA作品というように、きっちりと分けられていますが、実際にはそう単純に割り切れない作品も多いのです。事実「パーマン」はF先生の単独作品と分類されているものの、確かにストーリーや構成などはF先生が担当されているにせよ、A先生が作画面で関わった範囲も決して少なくはないのです。

このnoteでは、「二人で一人」の漫画家として膨大な作品群を漫画史に遺した藤子不二雄先生の足跡について、今後も書いていきたいと思っています。マニアックな話題になるかもしれませんが、よろしくお願いいたします。


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