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ReoNa「メメント・モリ」(2000PVリクエスト企画③)

まえがき

筆が乗っているうちに2000PV記念の読者様リクエストをどんどん進めていきたいと思います。
今回は③ReoNaさんの「メメント・モリ」です。

曲紹介

作詞・作曲・編曲:毛蟹(LIVE LAB.)

2023年3月8日発売の2ndアルバム「HUMAN」に収録。
「絶望系アニソンシンガー」「ハロー、アンハッピー」を標榜し、アニソン界でも唯一無二の存在感を発揮するReoNaさん。
筆者も、ClariS目当てで参戦した昨年のSACRA MUSIC FES. 2022での「シャル・ウィ・ダンス?」のパフォーマンスで完全にやられました。
あのタップダンスかっこよすぎた・・・。

ちなみに、毛蟹さんは筆者の最推しClariSにも何曲か関わられています。
・「CheerS」「Fight!!」(編曲)
・「アリシア」(作詞・作曲)

歌詞

「メメント・モリ」という言葉の意味はご存じの方がほとんどだと思いますが、一応Wikipediaからの引用を載せておきます。

ラテン語で「自分がいつか必ず死ぬことを忘れるな」「人に訪れる死を忘ることなかれ」といった意味の警句。

https://ja.wikipedia.org/wiki/メメント・モリ

このアルバム「HUMAN」はオープニング曲「HUMAN」に始まり
・「ライフ・イズ・ビューティフォー」
・「生命線」
・「Alive」
・「VITA」
などなど、曲名でも歌詞でも「生と死」に度々言及します。
その文脈で言えば、この「メメント・モリ」はアルバム全体を体現する曲と位置付けても良いのかもしれません。

「いつか死ぬその時まで、何もやり残しが無いよう精一杯生きていきたい」
曲全体から感じた印象を一行でまとめるとしたら、こうでしょうか。
まあ、わざわざまとめなくてもメメント・モリという曲名だけで充分示されているテーマではあります。

そして、自分自身も「学校にも家の中にも居場所がなかった」というReoNaさんの人生観が強く反映されているようにも感じました。

「失恋して傷ついた心を代弁してくれる歌があって、自分を重ねながら聴いて泣いたり、カラオケで歌って泣いたり、そういう曲はあるのに、なんで絶望ソングってないんだろうって思いました。学校や友達関係、家の中でも傷ついて、孤独感を感じている人が多いし、私自身もそうでした。私も色々なことに向き合うことができなくて、学校にも家の中にも居場所がなかった。そんな身近な絶望に寄り添ってくれる絶望ソングがなんでないんだろうって思って。私にとってはそれがアニメやゲームのお歌でした。それで自分自身がお歌を紡ぐ側になった時に、絶望系アニソンシンガーになって、みなさんの心に寄り添うお歌を歌いたいと思いました」。

https://news.yahoo.co.jp/byline/tanakahisakatsu/20201011-00202383

というわけで、さっそく歌詞を読んでいきましょう。
※歌詞は歌ネット(https://www.uta-net.com/song/333853/)からの引用

1番イントロ

春の風、ただ待っている
花が散るのを待っている
種が飛ぶのを待っている
飛んで消えていくのを待っている

イントロで歌われる最初の4行の歌詞。
筆者には、この曲のテーマそのものなのではないかと思えました。
思いっきり自己流の解釈をすると、
「春は生と死が交錯する季節」(メメント・モリ)というイメージです。

春の風によって、生と死が同時に訪れる。
今まで咲いていた花は散り、
新しい命の種が風に乗って運ばれていく。

もし映像を付けるなら、
風に吹かれて散っていく桜の花びらと、
風に乗って飛んでいくたんぽぽの綿毛。
両者がそれぞれクローズアップされるような光景でしょうか。

自分の役目を終えて、命を散らしていくもの。
これから役目を果たすために、遠くに飛んでいくもの。

そのどちらもが、春の風を、飛んで消えていくのを待っている。
生と死が交錯する季節、それが春。

こんなイメージを筆者は感じました。
「メメント・モリ」に相応しいイントロですね。

1番Aメロ

どこへ行き どこへ逝く
何も知らず 生きている
耳、塞ぐ 知らんぷり
やがて土に還るもの

やがて土に還るなら
何も持たぬが吉だろう
飛んでいく種は
綺麗だな 綺麗だな

イントロ後のAメロでは「生」の象徴である種のその後が描かれます。
まず、筆者が勝手に感じたイメージをつらつら書いてみます。


「どこへ行き どこへ逝く」
風で運ばれた種は、どこへ向かい、そこでどのような最後を迎えるのか。
種自身は何も知らないまま、生きている。
※外国人であるリクエスト主向けに注釈すると、「逝く」は「死ぬ」「亡くなる」と同じ意味です。

むしろ知りたくない。
先のことを考えても、ただ不安が募るだけだ。
だから「耳、塞ぐ 知らんぷり」

だって、色々考えたところで結末は同じ。
命あるものには、必ず終わりが来る
「やがて土に還るもの」なのだから。

どうせ「やがて土に還るなら」、
命が終わるその時に、何も後悔を残したくない。
やれることは全部やった、何の悔いもない。
そう思って終わりたい。
そういう風に生きていたい。
ならば、「何も持たぬが吉だろう」

だから、飛んでいく種たちを不安な目で見つめる必要はない。
自分なりに精一杯生きていけることを祈るだけでいい。
そう思えたら「飛んでいく種は綺麗だな」って素直に感じられるはず。


読者の皆様はどう感じたでしょうか?
色々な解釈が可能だと思うので、コメント欄などに気軽に書いて頂けたら嬉しいです。

そして、筆者の解釈だとこの歌詞の主人公は飛んでいく種に自分を重ねているように思えます。

自分はこれからどこへ向かうのか。
そこに何が待っているのか。
どんな最後を迎えるのか。

不安になるけど、もう悩むのはやめよう。
考えたところで、最後には平等に死が訪れることは変わらないのだから。
なら、その日まで悔いなく精一杯生きてやろうじゃないか。

そんな心境で「飛んでいく種は綺麗だな 綺麗だな」と空を見つめたのではないでしょうか。

1番Bメロ

背負うには 重くて
投げるには 軽くて
不器用 言い訳
言葉は 苦手
流行りは ミニマル
口調は シニカル
斜めに 構える
怖いのは 生きてる
から

リクエスト主に「どう解釈するか気になる」と言われていたBメロ。

キーになるのは「背負うには重くて投げるには軽くて」をどう解釈するか。
おそらく「自分自身の悩み」のことなんだろうな、とは誰でも感じると思いますが、受け取り方に色々差がでそうですね。

もし「背負うには重くて投げるには重くて」だったら、単純に重すぎて自分一人では抱えきれないし、かといって諦めてどこかに投げ捨てることも、他の人にパスすることもできない、って意味に受け取れそうです。

でも、「背負うには重くて投げるには軽くて」なんですよね。
自分では背負えないくらい重いのに、投げようとすると軽すぎる。

これに関して、筆者は以下のように捉えてみました。
「他人から見たら何でもないような小さなことが、自分にとっては背負いきれないほどの大きな悩みになっている」

先ほどに引き続き、筆者の解釈を一旦書いてみます。


物を投げる時って、ある程度の重さが無いと上手く飛んでいきません。
たとえば、丸める前のティッシュとか、発泡スチロールの小さな破片みたいな軽いものは、全力で投げても全然飛んでくれない。

筆者の個人的な感覚ですが、人に悩みを相談する時も似ている気がします。

「大きな病気に掛かってしまった」
「愛する人が亡くなってしまった」
そんな客観的に「重たい」話題だったら、聴き手側もそれ相応に真剣に聴いてくれるだろうとある種安心して悩みを打ち明けられます。

でも、超個人的な、客観的に見たら「そんなことで?」って言われてしまいそうな「軽い」ことで真剣に悩んでいたとしたら。
それを打ち明けるのには、とてつもない勇気がいります。

もし、キョトンとした反応を返されたら?
「そんなことで悩んでるのあなただけだよ」って言われたら?
「みんな辛いのは同じだよ。甘えたい言い訳でしょ?」って思われたら?

自分自身でもそう思う。
なんで自分はこんな些細なことで悩んでいるんだろう。
他のみんなは普通に生きているのに、なんで自分だけこんなことで躓いているんだろう。
他の人が言う通り、甘えているだけなんじゃないか?

でも、そんな些細なことがとてつもなく苦しくて、自分一人では背負いきれないくらい重たくて。
でも、その苦しさの原因は客観的にみたら些細なことでしかなくて、誰かに相談するには軽すぎて。


こんな風に解釈してみましたが、どうですかね・・・。
筆者の個人的な感覚が多分に入っているので、これを正解と断言するつもりは欠片もありません。
ただ、自分が聴く分には筆者はこう解釈すると歌詞が自然に入ってきます。

付け加えると、「投げるには軽くて」は主人公の意地も入ってるようにも感じました。
こんな些細なこと、自分一人で解決したい。
こんなことで真剣に悩んでるなんて、人に知られたくない。

あぁ、筆者も覚えがある意地の張り方なのでブーメランみたいにグサグサ刺さります笑
そういう意地の張り方しても自分が辛くなるだけだし、絶対いつか抱えきれなくなるに決まってるんですけどね。
でも、そういう生き方を選んでしまうのがこの主人公なんでしょう。
(なんだろう、自分をディスってるような感覚になってきた・・・)

さて、一旦筆者の解釈に基づいて進めるとして。
そうすると次の「不器用 言い訳 言葉は苦手」の繋がりが良く感じます。
この主人公はとても不器用で、自分に言い訳ばかりしていて(もしくは、他人に上手い言い訳を言うことができなくて)、自分の正直な気持ちを伝えるのも多分下手で。
「言葉は苦手」なんですね。

全体的に、生き方が下手っぴなんでしょう。
そして、そんな自分自身が大嫌い。
エヴァンゲリオンの登場人物みたいですね。
筆者はとても共感できます()

「流行りはミニマル 口調はシニカル 斜めに構える」
"る"の韻を踏んでいるこのフレーズ、Bメロを「自分自身の説明」と捉えたら主人公の特徴なのでしょう。
ミニマリストで、ネガティブな考え方で、斜に構えて生きている。
いかにも拗らせてそうですね。
でも、この歌の主人公としてはむしろ自然です。

「流行りはミニマル」の別の解釈として、一応以下も考えてみました。
・世間は「無駄な物を捨てるのが正しい」って風潮だけど、拗らせている私はその「無駄」と切り捨てられそうなものこそが大切で捨てられない。ここでも世間とズレてしまう。

でも、Bメロ全体を「自分自身の説明」と捉えた方が自然な気がするので、こっちは可能性低いかなと思います。

そしてBメロの最後。
「怖いのは 生きてるから」

絶望と希望が入り混じっているようなフレーズです。
生きることは不安だらけ、上手く行かないことだらけで怖い。
でも、怖いと感じられるのも生きている証拠。
怖いと感じられるってことは、私はまだ生きてる。
心の奥底では「生きたい」って思えている。
だから、不安でも進もう。

そんなイメージを筆者は受け取りました。

1番サビ

いつまでも いつまでも
忘る事無かれ

どうしても どうしても
サヨナラは待ってる

溢れても 溢れても
零れて 掬って

空っぽな奥 真ん中
息をしてる

それでもまだ 真ん中
息をしてる

「いつまでも いつまでも 忘る事無かれ」
「どうしても どうしてもサヨナラは待ってる」
「メメント・モリ」という言葉を体現するようなサビです。

どんなに溢れても、零れた分を掬って、少しずつ前進すればいい。

空っぽだと思っていた自分の身体の奥、その真ん中。
まだ、心臓が動いている。
まだ、心が生きようとしている。
まだ、息をしているんだ。

サビだけで考えると他にも色々な解釈は出来そうですが、全体のストーリーと合わせて考えると上記のようなことを伝えたいのかな、と感じました。

絶望の先で、自分がまだ「生きたい」と思えていることに気付けた。
「空っぽな奥 真ん中 息をしてる」
「それでもまだ 真ん中 息をしてる」
そういう気付きなのではないでしょうか。

2番Aメロ

何も考えずいられたら
何も言わずいられたら
明日も 明後日も
どこかで回って行くなら
それでもいいか

あれ?小さな希望を見つけたと思ったのに、2番になったら急にネガティブに戻ってしまいました。
不安や悩みに支配されないように、何も考えずにいられたら。
不安や悩みを人に知られないよう、何も言わずにいられたら。
自分が我慢すれば、明日も明後日も世界や周囲が上手く回っていくなら。
それでもいいか。

自分のネガティブな解釈を頑張って理論武装するとしたら、
「中々自分の性格は変わらない」
「そうは言っても簡単には割り切れないよね」
「前向きになったり後ろ向きになったり、一進一退だ」
って感じでしょうか?

筆者的には共感できるというか、ネガティブな人間は本当にこういう一進一退の繰り返しなので、むしろリアリティを感じます。
ただ、本当にこんなエヴァンゲリオンのシンジくんみたいな一進一退をサラッと歌詞に入れ込んでくるのか?という所には多分に疑いが残ります笑

うーん、「『どこかで』回って行くなら」がちょっと引っ掛かります。
解釈次第では1番同様もうちょっとポジティブな意味を見出せそうなんですが・・・。

まとまってないポジティブ解釈を一応書くと、
「グルグル考えてしまったり素直に言えないことを自分のダメな所・コンプレックスと思っていたけど、その経験もどこかで自分の糧になって明日に繋がっていくとしたら、そんな自分も悪いことばかりじゃない。そんな自分も受け入れてあげよう」
みたいな解釈ができれば「1番を経て2番はちゃんと前向きになれてるね!」ってすんなり話が進むんですが、なーんか歌詞の言葉が上手く当てはまらないような気がして・・・。

曲調も1番の同じ部分よりちょっと暗めになっている気もするので、もしかしたら本当に一進一退の「一退」の方なのかもしれませんが、1番よりポジティブになれている方が色々自然なのは間違いないですし。

良いアイデアがあればコメント欄などでご意見頂けたら嬉しいです。
読解力の高い皆様、どうかポジティブな解釈を見つけて下さい。(丸投げ)

2番Bメロ

背負うには 重くて
投げるには 軽くて
無様で 無残で
見苦しく 見える
それでも 藻掻いて
怖いけど 生きてる

流行りは ミニマル
口調は シニカル
斜めの答えでも 生きてる
生きてる
から

1番とほぼ同じですが、2番の方がやや前向きになっています。
「無様で無残で 見苦しく見える」
「それでも藻掻いて 怖いけど生きてる」

前向きな変化が特に伝わるのは「斜めの答えでも生きてる」ですね。
1番の同じ部分は「斜めに構える」で自分の素直になれなさをネガティブに捉えていたのに、2番は「斜めの答えでも生きてる」って肯定できてます。

真っすぐな、正面からの正攻法な答えじゃなくてもいい。
自分なりの斜めの答えだけど、それでも生きれてる。
なら、それも正解じゃない?

主人公がそんな風にちょっと前向きになれてる気配がします。

Cメロ~ラスサビ

いつまでも いつまでも
忘る事無かれ

どうしても どうしても
サヨナラは待ってる

溢れても 溢れても
零れて 掬って

空っぽな奥 真ん中
息をしてる

それでもまだ 真ん中
息をしてる

いつまでも
いつまでも
空っぽでもいい 生きてく
息をしてく

春の風、ただ待っている
優しい終わりを 想っている

「いつまでも空っぽでもいい 生きてく 息をしてく」に明らかな心境の変化が出ていますね。

自分が空っぽな人間であることが嫌だった。
そんな自分が嫌いだった。

でも、空っぽなままでもいいんだ。
空っぽなまま生きていい。息をしていけばいい。

少しだけ、自分で自分を受け入れられたんじゃないでしょうか。

そして、曲の最後はイントロと同じメロディーで、歌詞もイントロ部分へのアンサーになっています。
「春の風、ただ待っている
 優しい終わりを 想っている」

これも筆者の個人的な感覚ですが、これは「前向きになれてハッピー!」という心境ではないと思います。
悩みに悩んだ末に、「結局いつか死ぬのは変わらないんだから、それまで精一杯みっともなくても藻掻いてあがいて生きていくしかないんだ」というある種悟りの境地になった。
そんな気持ちではないでしょうか。

「春の風、ただ待っている 優しい終わりを想っている」は、自分が死ぬ瞬間に想いを馳せているように筆者には感じました。
いつか、生と死が交錯する春の風で、自分が終わる時もやってくる。
その時が、優しい終わりだったらいいな。
良い人生だった、精一杯生きた。
そう思えて終われたらいいな。
それが、ささやかだけど私にとってのハッピーエンドなのかもしれない。

これもまた、「絶望を受け入れたことで見えた微かな希望」なのではないでしょうか。
絶望から逃げよう、抜け出そうとすればするほど深みに嵌っていった。
でも、絶望を避けられない運命だと受け止めたら、その先に小さな希望の光が見えることもある。

だから、嫌いな自分を自分自身で受け止めてあげよう。
空っぽなままでも、生きていこう。

それが、「ハロー、アンハッピー」を掲げるReoNaさんが伝えたかった「メメント・モリ」なのではないでしょうか。

あとがき

というわけで、リクエスト第3弾ReoNaさんの「メメント・モリ」いかがだったでしょうか?

・・・いや、自分で書いといてアレですが長いって・・・。
久々に7,000文字越えましたよ。Clear Sky後編以来じゃないですか?

書いてみて思ったのは、ReoNaさんの曲と自分は結構波長が合いそうです。
注:当然ながら、オタクの勝手な片想いです

なんかどんどん文字が湧いてきちゃって、夕飯食べないままもうすぐ22時でお腹ペコペコですよ。
おかしいな、19時くらいには終わってるつもりだったのに・・・。

あと、この記事書くためにアルバム「HUMAN」2周+メメント・モリも10回くらい再生したんですが、かなり気に入りました。
まあ冒頭にも書いた通り、昨年のSACRA MUSIC FES. で既にやられてたので当然なんですけどね。
正直、聴くとハマりそうだったのでちょっと遠ざけてたところあった()

降参です。
HUMANを引っ提げたReoNaさんのツアー、申し込もうと思います。

というわけで、リクエスト第3弾は以上となります。
あと2曲、4月中に頑張りたいと思います。

では、以上です。

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