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わたしの家族のこと


父方の祖母と私たちの家族(父、母、5つ下の弟)は同居でした。

私が6歳の時、保育園の年長組の年の12月に引っ越しをしました。
それまでは父親が立てた平屋の小さな一軒家に4人で暮らしていました。


祖母は見栄っ張りな人でした。
朝ごみ捨て場に行くにもバッチリお化粧をしていくような人。


祖母に褒められた経験は、私にはありません。
かと言って意地悪されていた、とまでは言えないのですが。


母と祖母はかなり折り合いが悪かった。
俗に言う「ヨメトメ戦争」が私の家でも勃発。
小学3年生の時には双方の愚痴は私に集約されていました。
父は別に冷たい人間ではないですが、典型的な昭和の頑固親父スタイルを貫いていたので

「男は外で稼いで一家を支える、嫁などの女衆は家の中のことをやる」

というスタンス。
テレビ局のディレクターをしていた父はとても忙しく、家を省みる時間はあまり取れていなかったようにおもいます。


私が小学校5、6年生の時に戦争はピークに。

なんども怒鳴り合って喧嘩をし、母、もしくは祖母
「もうこんな家にはいられない!」
と家出をする。

一晩と絶たずにすぐに帰ってきてましたが。


そんな家庭事情の中、私は大変「良い子」に育ちました。

いえ、それが、私の生存戦略だったのだと、今なら分かります。
わがままなんて言えません。

お母さんもおばあちゃんもお父さんも忙しくて大変だ、
だから私もしっかりしなくちゃ。

幼い私は「小さな大人」として家族の中にいました。



そして、その頃から

「今わたしの目の前で繰り広げられる家族の会話や行動が、現実なのか曖昧だ。仲良しの家族を演じ続けている。家族ごっこのようだ。これは本当の私の家族ではない」


と感じるようになりました。

乖離の傾向はこの頃からあったのでしょう。



その影響は今でも色濃くわたしに影を落としています。



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結月マリア

精神疾患もちの人妻6年生。田舎住み、職歴なし、資格も学歴もなし、それでも日々生きて、物思ふ。このノートに救いや華々しい話は特にないのかもしれませんが、それでもお気に召しましたら幸いであります。刀剣乱舞、艦これ、駅メモをプレイ中。オタクにつき取り扱い注意。
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