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幸せはすぐそこに…???

少し前からフォローしている人が

不幸気質(不幸でいることが好き)な人は「幸福の基準」が高すぎるんじゃない?
自分は外食で少しおまけをつけてもらっただけで「とってもハッピー!」
ってなるのに。

とつぶやいていました。

朝っぱらからモヤモヤがどうにもならないので、考察していきます。

そもそも、乱暴な言い方をすると不幸気質の人は幸せを知りません。
「幸せってなに?そんなのあるわけないでしょ?」からスタート。
自分が幸せであるという体感、
たとえ何もできなくても自分がここにいていい感覚、
根本的に自己肯定感が欠如していますから、
「おまけしてもらっただけでめっちゃハッピー!」
となる心理に対して理解が追い付かないんですね。

幸せを知らないので、極端にわかりやすい幸せ、
例えばお金持ちである、とか美人の恋人がいる、社会的地位がある
などを「これが幸せのサンプルなのかも」
と参考にします。

幸せというのは主観的なものであり、あくまでも
「自分が幸せ」と感じられるかどうかなのですが、
それの基準がないので他人を参考にするしかないんですね。

私がそこから抜け出すきっかけとなったのは

幼い頃から自分を育ててきた環境から距離をおく

でした


保育園のころから中学卒業までいじめを受け続けていた私は、
受験に失敗し、中学までの人間関係がなにも影響しない高校へと進むことになりました。

さらに高校の時に精神疾患と診断されたので大学にも行けず、
実家は経済的にある程度豊かだったので今までやってみたかったことを恐る恐るやりはじめ、
23歳で結婚して実家を出ます。

結婚して3年ほどたったある冬の日
「わたし、今まで生きててよかった」
という感覚を得ることができました。

その日は特別ななにかがあったわけではなかったのですが、
とにかく唐突にそれを実感、体感できたのです。


少し話がそれましたが、
そういう背景がある「不幸気質の人」というのは
自己肯定感が健全に育った人とはなかなか分かり合うのは難しいのだな、と。

その人たちは

どんなに幸せや愛や優しさを求めても裏切られ続けた

という絶望を知らないんですね。

犬に電気ショックを与え続け、
最終的には檻をあけてもでていかなくなる実験(とってもざっくり)をご存じでしょうか。
学習性無力感
というものです。


それが形成されている人とそうでない人では幸せの基準が全然違うんだなあというお話でした。

ちなみに私は、今もまだ戦っています。
3歩進んで二歩下がる、いや、3歩進んで4歩下がることも多いですが、
もう少しだけ、生きること、生き続けることに執着しようとおもいます。


あなたは、どうですか?
目の前の小さな幸せを幸せと思える人ですか?

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結月マリア

精神疾患もちの人妻6年生。田舎住み、職歴なし、資格も学歴もなし、それでも日々生きて、物思ふ。このノートに救いや華々しい話は特にないのかもしれませんが、それでもお気に召しましたら幸いであります。刀剣乱舞、艦これ、駅メモをプレイ中。オタクにつき取り扱い注意。
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