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地上を賛美するか、天上を賛美するか。フラメンコとバレエ。

以前の記事で、大聖堂について「重力を肯定するか、重力を否定するか」で2つのタイプがあるというお話をしました。

私は踊りにもそれにあたるものがあると考えていて、それは例えばフラメンコとバレエです。
フラメンコとバレエについては、

フラメンコ → 重力肯定(地上賛美)
バレエ → 重力否定(天上賛美)

というふうに感じられるのです。

フラメンコを観ていると、腰を落として大地を力強く踏みしめ、時にはわざわざ大地の存在を強調するかのように足を強く打ちつけてリズムを鳴らします。
フラメンコの踊りには、「ペソ」といって、ある程度以上の重みを感じさせる方が良いとされているのです。
それには技術的なもので重みを見せつける方法もありますが、そもそも実際に体型的に重みを感じさせるくらいの方が良い、という考え方もあります。

また、フラメンコでは唄が非常に重要ですが、歌われる内容も、お金が足りないことや愛が得られないこと、愛の裏切りなどの日々の生活苦について歌われることも多く、非常に俗世的です。
フラメンコというのは、社会的に迫害されてきたジプシー(ロマ)が作ったもので、迫害によって一部地域に押し込められていたロマたちが家族や親戚と集まって歌い踊ることで日々の生活苦に敢然と立ち向かう力を得ていた、とも言われていますから、そういった成り立ちが原因で、フラメンコはとても地上的、つまり人間的で、強い喜怒哀楽があり、人間だからこそ抱えてしまう様々な悪いことなどもまとめて全部認め、受け入れてくれるように感じられるのです。

反対にバレエは、重力を感じさせることをまるで「禁則」のように厳しく避ける傾向があります。
バレエでは踊る時にバタバタと足音をさせてしまうことは良くないことですし、できるだけ音をや重力を感じさせないように、跳躍の時には膝の動きも絡ませることで、その人間的な物理法則からできるだけ逃れるように教育されます。
バレエを踊る人たちにとっては、体重が増えすぎることも御法度です。
現代に直接続くバレエが発達する土台ができてきた頃に開発されたロマンティック・チュチュはふわふわで、まるで飛んでいるかのような軽さを演出します。
バレリーナたちはトウシューズを履くことで地上との接点を減らし、体重を消すことで、まるで天に伸びようとするかのようです。

現に、19世紀のロマンティック・バレエが流行していた頃は、ワイヤーなどを使ってバレリーナたちは比喩でなく本当の意味で空中を飛んだりもしていました。

19世紀の人気バレリーナ、カロリッタ・グリジ。
まるで空を飛んでいるかのような軽さ。
Grisi, Carlotta, 1819-1899 Ballet -- France -- 19th century

バレエが天上を好むのは無理もないことと思えます。
なぜならバレエに通常合わせられる音楽はクラシック音楽の系統に属する音楽で、クラシック音楽の起源はキリスト教の教会音楽に由来するところが大きいからです。

クラシック音楽にも喜怒哀楽は表現されます。
けれどもフラメンコではそれがたとえば「カルメン」とか言うような、個人の名前を持って表現されても違和感がないのですが、クラシック音楽ではもっと普遍的、つまり「人間なら誰でもこういった気持ちを持ったことがある」といったような形で、固有名詞無しで語られる気持ちのように思うのです。
(オペラについては違います)

つまり、クラシックが人間的なものを表現する時、クラシック世界では最終的にそれは天上に捧げられるために創造されているように感じられるのです。

ところで私はこれまでにクラシック音楽にもフラメンコ音楽にも関わりを持ってきましたが、どちらの音楽にもそれぞれ心を救われるような体験をしました。
でもその時の、心に感じられる「慰められ方」は全然違っていて、孤独を感じて静謐な気分になっている時はクラシックに、具体的に嫌なことやトラブルがあった時にはフラメンコに癒されてきました。
(実験をしてみましたが、逆の組み合わせだと全く効果がありませんでした)
これはその悩みが現世的なものなのか、それとも自己の存在について考え、いずれはもっと高みに登ることを目指すような抽象的なタイプのものなのかによってどちらの音楽が自分を癒してくれるのかが変化していたように思います。

天上賛美的なものか、地上賛美的なものか、一般的にはこんなジャンル分けはされませんが、そういった意味で私にとってはとても興味深いジャンル分け方法となっています。

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