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ももた、出奔す

ご安心ください。
すでに、ももたは帰宅しています。

8月は私は思いがけずの長い入院をしていました。
1週間のつもりで入院したら、1ヶ月になってしまいました。
途中は、SNSに流れる人さまの家族である猫さまや犬さまや鳥さまや馬さまの画像に慰められておりました。
なにしろ、家族から送られてくる猫たちの写真は、背中から写したものばかりになりがちで。
腹のもふもふ、背中のすべすべ、頬のふかふか、尻尾のするりん。
考えると寂しくなるので、何も考えぬようにして、ただただしのいだ1ヶ月でした。

1ヶ月もしたら、猫たちには忘れられそう。
案の定、目があうと逃げ出す子。無視して去っていく子。撫でろと挨拶する子。
猫によって反応はそれぞれ。
その中でももたは、最初は逃げ出したものの、酸素ボンベを置いてからは近寄ってきて、甘える様子を見せてくれました。
心の友よ!我が息子よ!!

その晩、冷房を聞かせた部屋のなかで夏蒲団の中にもぐりこみ、しばらくすると足元の綿毛布の上に丸まって過ごしました。
添い寝猫らしい本領発揮です。
小さな温もりがそこにあるだけで、どれだけ心が慰められることでしょう。
足先で触れてみると、四本の足の裏をすべて押し付けてきて、そのまま爪を立ててきました。
それはちょっと痛いって!
ももたさんの甘えっぷりに嬉しいけれども、ちょっと後悔

添い寝猫のいるくつろいだ夜を過ごすことができて、やっと安心して寝ることができた次の日、まさか、ももたが出奔するとは思わなかったのです。
夜になって、母が玄関を開けたその隙に、するりとももたは外に出てしまったようだったのです。
ようだというのは、鈴もつけておらず、黒っぽい毛並みをしているため、夜陰に紛れたことに気づいていなかったのです。
いない、と本格的に気づいたのは、翌朝のことでした。

このパターン。
ももたが事故に遭って一年。
目は見えづらい。鼻は利かない。
外出しておらず、やっと足裏の肉球がぷにぷにの柔らかい状態になったのに。
元気いっぱいで外にも慣れていて、障害がない状態であれば、まだしも。

不安でたまらなくなりながら、動物愛護センターの収容猫情報を検索してみました。
数日前に数件。写真が載っていない猫たちは、いずれも事故に遭ったのか、収容日に亡くなっていました。
少なくとも、今回は、ももたの情報はない。
ついでに、警察の落とし物の検索もかけてみましたが、該当するような情報はない。
ならば、次は近所を探してみましょう。

退院した翌日、まだ慣れない酸素ボンベをキャリーで引っ張りながら、家の周りを探しに出かけました。
一番、小さな区画を回るだけなら10分もかからないぐらい。
まだ歩ける。あと少し。あともう少し。
隣の区画へ。近所の公園へ。神社のあるほうへ。
もも。ももた。
小さな声で呼びながら、近所をぐるぐると歩き回りました。

ふと、電話が鳴りました。
淡い期待をしながら出ると、心配した親からでした。
気づくと、一時間も経っていたんです。
そりゃあ息も切れるし、もうろうとして、判断能力が下がっていたわけです。
帰るのも歩かなければいけないわけで。
猫の気配がどこにもないような、夏の名残の暑い、暑い日でした。

そうなると、寝るどころじゃありません。
添い寝猫が心配で心配で。
先代猫が飛び出したときには、冬場でも窓を開けたままにして、耳を傾けていたものですが、今の自分はとても弱っています。
ももたのことも心配ですが、肺炎そのものと、1ヵ月の入院を経て、私はとても弱っていました。
しなければならないことは次々と思い浮かぶものの、できることはあまり少なく、焦るやら落ち込むやら。
服薬の効果もあって、ぎりぎりと追い立てられるような気分で、ももたを探したいのに探しに行けない。
自分がいくつもに引き裂かれていくようで、本当につらい数日間でした。

ところが。
3日目だったかな。
裏口にいつものきょとんとした顔で、ももたは帰ってきました。
いったい、なんだったんでしょうね。

そして、今のももたさんは、とても甘えん坊です。
お前、どーした!?とびっくりするぐらいの甘えん坊です。
幼子のように人間の姿を常に探してついて回るので、おちおち、トイレに行くこともできません。
置いて起きようとしたら爪をかけて手で押しとどめるし。
こっそりと離れると、大声で叫びながら家の中を歩き回ります。
よっぽど心細い思いをしたのかなぁ。

一番のお気に入りは、人間に四つの足の裏で触れながら寝ること。
ついでに蹴とばすのも、爪を立てるのもやめなさいって。
どちらが添い寝がかりかわかりませんが、今日も、我が家は平和です。



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