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翻訳の勉強をやめたら生活が激変した

こんにちは。
大げさなタイトルをつけてしまいましたが、翻訳の仕事・学習をいっさいやめておよそ1週間が経ちました。この1週間は主に面接の準備をしたり、医療職に戻るための知識の整理をしたり、大好きなケンブリッジ教材の学習をすすめたりとストレスのない、今の自分に最低限必要なタスクをこなしていました。noteも頑張って更新していますね。笑 
置かれている状況は1週間前と何ら変わりないのですが、こんなに気持ちに余裕が生まれたのは何年ぶりだろう…という感じです。サボりがちだった夕方のウォーキングも継続できており、人間らしさを少し取り戻した気がします。久しぶりに行きたいお店や欲しいものをリストアップして一人でワクワクしています。経済的理由で意思決定の基準が大幅に制限されていたことに気が付きました。

もともと私にとっての翻訳者の魅力のひとつは、「勉強をしながら収入が得られる」ことだったのですが、実務をこなすにつれその勉強内容が私の望む方向からどんどん離れていっていることに気が付きました。
本来私が望んでいた勉強というのは、「(臨床経験を活かしたうえでの)医学」と「英語」の知識強化だったのですが、気付いたら「医学」は「薬学・治験」に置き換わり、「英語」は「翻訳業界のルール」に置き換わっていました。

学生のころからとにかくルールに縛られるのが嫌で、おそらく万年問題児リストの上位に乗るぐらいの素行を繰り返していた私が、なぜお世辞にも合理的とはいえない日本語のスタイルガイドや翻訳業界の常識に大人しく従えると思ったのでしょう。笑
いわゆる定訳といわれるような表現は実際の臨床現場では使われないものも多く、しまいにはこの業界(=非専門家)の勝手なこだわりと自己満足ではないかと思うようになってしまいました。もう思考が一度こうなってしまうと軌道修正はできません^^;

先日Twitterのトレンドから全く知らない方のツイートに辿り着いて、たまたま「ああ、これよ…!!」と思ったものがあります。


この方は大学院生をされているようなのですが、そもそも自身が論文を読み書きする人って、基礎英語力はあるんですよね(そのために院試で英語があるのだと思いますが)。私がもし院生だったら、このかたと同じように論文を読んでいたと思います。もしくはDeepLなんかで対訳表示をしておいて必要時に和文をちらっと確認するようにして効率化を図ると思います。もっというと、論文に限らずウェブ上のニュースや各種サイト、街中で出くわした英語なんかでも同じ方法をとると思います。

機械翻訳に関しては、その精度がまだ完全ではないことは以前の記事でも触れました。けれどアシストという前提条件で使えば、英→日に関してはすでに「MTやオンライン辞書で事足りる」フェーズに入っていると思うのです。おそらく、私ぐらいの英語力をもつ層がいちばん上手く使いこなせそうな気がします。笑

それで、要は何がいいたいかというと、今後産業翻訳の世界で生き残れる人は、日→英が英ネイティブに劣らないレベルでできる人や、マイナー言語↔マイナー言語の翻訳ができる人に限られるのではないかということです。テクノロジーの力を借りてもなんとかならない部分。当たり前ですが、それってかなりレベルの高い次元の話なんですよね。私みたいな英日専門でなおかつ英語力も専門知識も中途半端な人間にはとても手が出せない領域。ここからホンモノのプロのレベルにもっていくまであと何年かかるのか。それが達成できたとして、それに見合った報酬は得られるのか。


ここで少し私個人の話をすると、
最近よく見かけるようになった自動翻訳されたウェブサイトの日本語に出会したとき、「ああ、MT通したのね。まあMTだから多少ヘンな日本語でもしょうがないか。一応通じるし」で完結してしまいます。私がそう思うぐらいなので、おそらく同じように感じている人はそこそこ居るのではないかと思います。この状態が今後何年と続くとそのヘンな日本語もきっと見慣れたものになってしまうのでしょう。世の中の翻訳された文章が「通じればいい」ぐらいの無頓着加減になったとき、翻訳業界はどうなってしまっているのか、、、残念ながらもう歯止めはきかないと感じています。

ただ、そんな私でもひとつだけ気になってしょうがないのが、街中に溢れかえるオカシナ日本語英語です。主に案内板やポスター、お店の外装を指しています。英語ネイティブがそれを見る度に発狂したりバカにして笑っている現実は無視すべきでないし、むしろ恥じるべきだと思います。これらについてはきちんとお金をかけて意味の通じる英語にしないと笑い話では済まない事態も起こりかねません。残念ながら私は海外生活経験もなければ英語を専門に勉強してきたわけでもないので、文法ミスには気付けてもその細かなニュアンスの違いや違和感には気付けません。そういうところこそプロの翻訳者が出動する出番なのではないかと思います。
(1年ぐらい前に京都高島屋のドイヒーな英語が話題になりましたね)

ちなみに「発狂する英語ネイティブ」は以前の私のアメリカ人パートナーのことです。オカシな日本語英語を見かける度に「このクソ英語ガァァ!!」とキレていました。普段はとても温和な人なんですけどね。都内の街中で見かける英語に関して、彼基準での「違和感のない英語」はほとんどありませんでした…残念ながら。「ネイティブに一発確認してもらえば済む話なのに」とよく嘆いていました。ごもっともだと思います。

と、よく分からない方向に話が逸れてしまいましたが、もし来週の就職面接で「採用」をいただけたら、本格的にケンブリッジ英検の勉強をすすめていこうと思います。そして英語を「趣味」のポジションに留めます。私の今後の目標はCAE/CPEの取得です。これまであらゆる資格試験に手を出してきましたが、おそらくこれが人生最後の挑戦になると思います。それぐらい本気で、どれだけ時間がかかっても取りに行きたい試験なのです。

そして安定した収入があってこその自己研鑽であり、仕事と英語学習の境界が明瞭であるほうがかえって学習がはかどると、以前の医療職時代の生活スタイルを思い返してつくづく感じました。自分のやりたいことができない状況がどれだけストレスか、そして何を優先して何を妥協したらそのストレスを解消できるかについてようやく気付けたのでした。


本日はここまで。今回も地球温暖化に貢献できそうなぐらい思いのままあらゆる感情を吐き出してしまいました。
ここに書かかれている内容はすべて私個人の感想であるため異論は受け付けておりません。ご了承ください。

それでは皆さまよい週末を。


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