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ニューヨーカーになりたかった女がついにニューヨークに行った話①

久々すぎるnoteの更新。もうあまり利用するつもりは無かったが、今回のニューヨーク旅行で感じたことを数年後の自分のために留めておきたくなったので筆を執ることにした。(Facebookだとお堅すぎてしまうのだ)

タイトルにも触れた通り、この度9月8日~16日まで、私が所属するゼミの海外フィールドワークとして7泊9日のニューヨーク研修へ行ってきた。
私のゼミは演劇の研究を専門としているため、本番ブロードウェイの舞台に触れて勉強してこよう!という目的である。


「私ニューヨーカーになりたいんですけど、ニューヨークでバリバリ働くにはどうしたらいいですかね?」

これは、高校2年生の時に、国連で働く日本人女性の方に特別授業をして頂いた際、私が全校生徒の前でしたクソみたいな質問である。あの頃の私は「ニューヨーカーになりたい!」が口癖だった。都会をこよなく愛していて、またドラマgleeの影響を大きく受けていた私には、ニューヨークはあまりにも大きすぎる憧れだったのだ。つまりはよくありがちなアメリカのティーネイジャーかぶれ的なアレである。怖い。だから、高校の友人なんかは「ニューヨーク=おすぅ」というイメージを持ってる人が少なくないはずだ。

しかし大学に入学して、周りの英語ガチ勢を目の当たりにした瞬間、「ニューヨーカーになるのは無理だ、なんて安直なことを考えていたんだ私は」と秒速でニューヨーカーになることを諦めた(日本の都会が一番なのではという結論に至った)。それでもやはりニューヨークへの憧れはずっと心の中に持っていて、働きたいとか、住みたいとは思わなくなったが、死ぬまでに絶対に行きたい場所であり続けた。NYスタイルのカフェでバイトを始めたり、自分が振付したナンバーのテーマが「70's NY」だったりしたことからもそれは顕著に表れているだろう。

そんな私に舞い込んだ、NYフィールドワーク研修のお知らせ。ついに来た、天国への階段。神のお導き。(というかその研修目当てでこのゼミに入ったと言っても過言ではない。)
海外初渡航、そして小6ぶりの飛行機、無いに等しい英語力...乗っけから不安要素たっぷりの旅がスタートする。

《9月7日出国》

当日の朝、グーグル先生を最大限に活用し必死にパッキングを終えた私は空港へと向かった。所持金はなんと三万円(外貨両替のお姉さんにびっくりされた)(カード任せだった)。「NYはWi-Fiが日本より普及しているから、あちらこちらにフリーの飛んでるし、わざわざ借りなくてもいいよ~」との口コミもあったが、ネットが無いと生きていけないオタク(常に情報収集が必要なのだ)のためWi-Fiをレンタルし、いざ出国ゲートへ。
ゲートをくぐった瞬間「免税店でけーーーー!!!!!」と思わず叫んだ。私にとって、空港の免税店は神話上の空間だったのだ。興奮気味に免税店を回っていたらあっという間に搭乗時間になった。(pm.17:00)

飛行機に乗り込む足が進むにつれ増す不安。実は私は飛行機にトラウマがあった。あの気圧の変化がどうも苦手で、子供の頃は乗るたびに頭が割れそうになるほど耳の激痛に苦しめられていたのである。だから今回の渡航で飛行機というのは結構な心配事項であった。
さらに追い討ちをかけるように、座席の両隣は知らない人。(左は日本人男性で右は中国人女性)トイレ行けないじゃん!!と絶望的になる。
とどめを刺したのは搭乗員が全員英語で接客してきたことだ。まだ日本出てないのにもう外国仕様?!心の準備できてない!あとシステムわからないのに英語もわからない!ゼミの子まわりにいない!と1人でテンパっていた。あの瞬間の絶望感は今思い出しても計り知れない。

必死に周りを見渡し空気を読みつつ最初の一時間を乗り越え、やっと余裕が出てきたわたしはドリンクサービスのビールを飲みながら映画を楽しみ始めた。機内の中でも自分の空間作り上げる自分に尊敬である。ちなみにビールは一番搾りやプレモルなど幾らか種類があって実に優秀であった。サービスなんだから有り難く受け取らなくては精神発揮。
あと驚いたのは、「やたら食べ物が出てくる」ことである。かの有名な「beef or chicken?」のディナーを筆頭に、軽食のサンドイッチやらスナックやら朝ご飯の焼きそばやらジュースやら...結構提供してくれるのね、と感心。味も噂より悪くなかった(しかし後にこれは行きの飛行機限定だったことに気づく...)。

ついに、アメリカの地へ到着。(pm.17:00)

ずっと座っていたせいで尾てい骨が崩壊寸前になるも、ついに上陸した異国の地に興奮する私。「日本を出た時お昼だったのに、アメリカ着いても昼!!昼なげー!これが時差かー!!」と、『時差』というものを初めて実感する。まるで時空を超えたみたいだ。タイムスリップといっても過言ではない。何度も言うように、初めての海外である、なんでもかんでも新鮮なのだ。

JFK空港から、バスに揺られること小一時間...

ようこそ、夢のニューヨークへ!!!(pm.20:00)

まさに「トンネルを抜けると、そこは雪国」現象。気づくとそこは煌めくネオンたちをたくさん詰め込んだ宝箱の中であった。右を見ても左を見ても前方を見てもネオン・ネオン・ネオン。道を走るのは黄色いタクシー。颯爽と歩くニューヨーカーたち。ネオンの点滅は実にリズミカルで、まるでオーケストラが交響曲を奏でているかのようであった。そんな夢のような光景に言葉を失った。もうこの景色だけで航空券分の価値があるのではないかと本気で思った、まだバスも降りていないのに。そのくらい、ニューヨークの街並みは一瞬で私の心を鷲掴みにしたのである。

バスを降り、初めてニューヨークの景色を吸う。「やばい、どうしよう私本当にニューヨークにいるっぽい!!どうしよう!!」と大興奮。
しかし私はとんでもないことに気づいてしまう。ニューヨーク、暑い。てっきり9月は日本より涼しいものだと思っていた、というかガイドブックにもそう書いてあった。バカな私はガイドブックというアナログ媒体だけに頼り切って天気予報を調べることを怠ってしまったために、持ってきた服は秋冬物ばかり。そこに友人のとどめのお告げ。「明後日くらいまで日中30度くらいだって~!」...終わった。早くも出鼻をくじかれる私であった。

今度はバスでホテルへ向かう。私たちが泊まったホテルは『YMCA West Side』という、一泊9000円弱のもので、バストイレ共同だったり2人部屋は2段ベッド(しかも激狭い)だったりとあまりクオリティの高いものではなかった。売店とジムがあることが唯一の救いだったかもしれない。
私の部屋は9階だったのだが、どうやらこの9階がホテルの中で一番のハズレ階だったようで、とにかくバストイレが汚かった。トイレが3つ、その奥にシャワーが3つあるのだが、床は汚い上にトイレのカギはほとんど壊れており、おまけに3つの内どれか1つはいつも詰まっている。シャワーの仕切りはまさかのカーテンであり、とても水回り潔癖症の私には使えたもんじゃなかった。このシャワーを使うなら自害...と思った私は毎日ジムのシャワーを使うことを決意。
ジムのシャワーは非常に快適で、綺麗な上に脱衣所も広く、サウナもミストルームもあれば、ドライヤーまでついている。雲泥の差だ。ジムの営業時間は朝5時~夜10時半で、帰宅の時間には間に合わないため早朝に入らざるを得なかったが、もとより朝シャン派の私には問題なかった。そのおかげで毎朝6時半には起きて活動を始めるという超健康的なルーティーンができたためオールオッケーである。

先に「2人部屋は2段ベッドで激狭い」と述べたが、私の場合は例外であった。ゼミ生の人数が奇数のため、先生が私(なぜ私だったのかは謎)に1人部屋を割り当てたのである。数日間以上人と寝食を共にすることが苦痛である私にとってはこの上ないラッキー案件だ。しかもこの1人部屋、激広い。2段ベッドが1段になるのだから当たり前だと思うかもしれないが、そもそもの部屋の面積が激広い。角部屋だからだろうか、ならばここを2人部屋にすればよかったのでは...「狭すぎて2人分のスーツケースを広げられない!!」と嘆いていた他の部屋の子たちに申し訳ないと思いつつ、豪快にスーツケースを広げていた私であった。
しかし、だだっ広い空間に、病院みたいなベッドと鏡台とテレビがあるだけの部屋はやはりどこか寂しさがあった。というか怖い。一人じゃん。そんな不気味さを抱えたまま寝たからか、はたまた疲れていたからか、初日の夜に金縛りにあってしまった。日本でもたまになるが、まさかニューヨークに来て金縛りにかかるとは思わなかった。しかもその時に見た夢が黒人男性が部屋に無理やり入ってきて私の首を絞める、という海外なら起こりかねないな...という内容のものだったため、死ぬほど怖かった。なんなら幽霊より怖い。いきなりどんな夢見てんだよ、と嘆きたくなる。
そんなことがあって、なかなか寝付けないまま朝を迎えた。その時間5時半である。初老か。

ドタバタの初日、終了。

何もかもが分からなくて、いちいちテンパっていたため尋常じゃないくらい疲れた、感動と興奮と戸惑いの1日目。


勢いで書き連ねていったらただの紀行文になってしまった。まさか初日だけでこんな分量になるとは...もっと要約して書けよと言いたい。帰国まで書ききれるか、そもそも第2章に続くのか、自分でもわからないが、忘れないうちになるべく書き残しておきたい所存である。


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