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10月のふりかえり|表現者には難しい時代で、同時に、役割がハッキリした時代を生きていると思う

写真上:前田聡子
先月の遠野滞在のつづきから。今月はなんでだか長い。

10月◯日

「インタビューのワークショップ」の中で、参加メンバーと〝物語〟の話になる。本人は「前にこういうことがあったから、いま自分はこうで」といった因果関係で自分を語りがちだけど、そんなことはなくて、実はすべて〝たまたま〟なんじゃない? 

きき手も過去・現在・未来の流れで人を理解しがちだ。一貫性や、同じ一つの物語を生きているという認識は安心感を与える。けど、人が生きていることのわけのわからなさや、無意味さを、物語に回収してしまうのはもったいないんじゃないか。

「きく」ことに切実さのある人の割合が高く、こんな話まで交わし合えて楽しい。ワークショップは本当にメンバー次第だ。


10月◯日

明け方嫌な夢をみて、くすんだ気持ちでおきる。自分が無意識に感じている惨めさを、夢は遠慮なく体験させる。

ワークショップの最中でまだ遠野にいる。薪割りを見守っていた清水敬示さんが「人生はひと握り」だとつぶやく。
清水さんはいま70代の後半。スキーでマッキンレーを滑り降り、パオロ・ソレリの「アーコサンティ」に参画し、大手ハウスメーカーで腕をふるって、数年前からクイーンズメドウの施設管理を担っている。ここでの滞在の質は、彼の細やかさに由るところが大きい。

いろんな場所へ行き、たくさんの人と出会って、いろんな情景を見た。それでも、ふりかえってみると本当にそんな感じなんだろう。人生がひと握りなら、今日一日はなんだ。


10月◯日

同じ時期に神山ですごした若い友人たちと、東京で茶飲み話。一人はその後デンマークのフォルケホイスコーレで学び直し、帰国してまだ1週間経っていないという。

フォルケホイスコーレは、宗教革命後のデンマークで、グルトンヴィ(1783-1872)という当時の国民的詩人が提唱した民間の教育機関。彼が34のときに書いた『生のための学校(School for Life)』が発端にあたるという。190年前か。
当初は地方農民の社会参画に貢献したフォルケホイスコーレが、役割をすこしづつ変えながら、いまも大人の学び直しの場として機能し、国民に支持されていて、他の国の若者の受け皿にもなっているのはすごいことだなと思う。

「生きた言葉」による「対話」で、異なった者同士が互いに啓発し合い、自己の生の使命を自覚してゆく場所が「学校」であるべき。

日本グルトンヴィ協会 サイトより

フォルケホイスコーレのような場所がないので、たくさんの日本人が用を足しにデンマークまで行っている印象がある。「ほんとそう」と彼女。


10月◯日

イスラエルとパレスチナの紛争が激化する。
ウイグルやチベットでも弾圧はつづいているはず。暴力は、人間を暴力で思いどおりにできることを人間に教える。とくにそれを受ける側に。
この背後で起きているのはなに? なにが差し迫っているのか。


10月◯日

三ツ木紀英さんの対話型鑑賞講座の聴講で東京都美術館へ。彼女の講座はよく練られている。たぶん毎回すこしづつ改良を重ねているんだろう。端々に鮮度と情熱が感じられて楽しい。ライブ感がある。

右が三ツ木さん。左は講座を支える、とびらスタッフの越川さん

社会に投げかける、ひとかたまりのプロジェクトをやりたい気持ちが浮かんできている。「センソリウム」や「サウンドバム」、本でいえば『自分の仕事をつくる』や、最近だと「大埜地の集合住宅」か。1年前と比べると、本当に元気になったなあ。


10月◯日

大阪の駅ビルで食べた鰻がひどくて、翌朝までダメージが残る。身体に入れるものはよく選ばないと。
調理が下手でも、一所懸命つくられたものを食べる方が自分は元気になる。張り合いが出るというか。その逆。


10月◯日

穂高養生園で3つのワークショップが始まる。まず「非構成的エンカウンターグループ」から。以前は橋本久仁彦さんをファシリテーターに招き、7泊8日でひらいていた。「これは自分にはできない」と思っていたけど、今年「できるかも」と思った瞬間があって、3泊4日からはじめてみることにした。

イギリスに「C2C(Coast to Coast)」と呼ばれるロングトレイルがある。西側の海沿いにある St. Bees という村から、東側の海沿いにある Robin Hood’s Bay という村まで、歩いてイギリスを横断する約2週間の歩経路。いつか歩きたい。
非構成的エンカウンターグループは自分にとってこれに近くて、飛行機や車でなく自分の脚で、めいめいが自分の言葉を語ることで世界を横断する。

語ることを可能にするのは「きく」ことなので、ファシリテーターの仕事はそこに集約される。

休憩中の一場面

参加したある友人の数年前の出来事がずっと気がかりだったが、本人の語りで解かれ、話しながら居所を変えてゆく姿が見れて嬉しかった。あと、初日と最終日で声の質が違っていた男性の様子も忘れがたい。声にはその人の現在性がそのままあらわれる。


10月◯日

非構成的エンカウンターグループが終わり、次のワークショップをひかえた端境日。養生園に泊まりに来た今村くん(後述)と、オーナーの福田俊作さんの家に遊びに行く。

福田さんは変わらず元気。夏前に取り組んだ急斜面の道づくりが、大変だったけど楽しかったようで、「見に行ってよ」と強くすすめられる。行った。ようやるわ…。手づくりの大規模土木作業。


10月◯日

大阪の graf shop で、リビングワールドの砂時計「In this time」の在庫が数点発見されて(私たちもgrafも在庫管理がなっていなかったということ)、店頭で販売が始まっている。嬉しい。

graf のInstagramより


10月◯日

養生園で滞在中。二つめは「インタビューのワークショップ」。数えると38回目。

今回は、ある雑誌で岸政彦さんが詳述していた「親の生活史のきき方」をコピー配布し、そこを登り口に始める形。岸さんとお会いしたことはないが、記事に書かれていることは一つひとつ納得がいく。

「相手が漕ぐ舟に一緒に乗ってゆく」
「積極的に能動的になる」

『壮快』2022年10月号

といった勘所は、インタビューのワークショップで共有してきた「引き出さない」「ただ懸命についてゆく」きき方と隣接している。

ワークショップのペアワークで話し手として語っていると、15分程度の短い時間の中でも、自分の居所が変わってゆく様子がハッキリわかって面白かった。〝はなす〟ことの作用というか。
グループが奇数名だと、自分もプログラムに入って一緒に体験できるのがいい。

この頃、夢の中で宇宙からの侵略にあう。ただ受け身でしかいられないのが辛かった。また別の日は映画館に行って、チケットに印刷された「Z列」という無い座席指定に困る。夢は本当に脈絡がないし、オチもない。


10月◯日

3つ目は非公開のリトリートで、「どうしよう?」という相談から始まるエンカウンターよりさらに非構成的な4日間。それを7名とすごす。
〝目的のない生命体〟(©フェンス)という表現で合っていると思う。

流れの中で、読み終わった(けど荷物の中にある)本の貸し借りが始まり、手にとった『街と山のあいだに』(若葉晃子さん)の文体がよかった。

 山登りをはじめて早二十五年以上経つ。
 山を始めたばかりの頃は登山雑誌の編集部に在籍していて、仕事で山に登っていたし、いわゆる名山といわれる山にばかり登っていたが、最近は、一日中歩いていても誰にも会わないような山に好んで登るようになった。
 そういう山で、小さな山頂の倒木に座って、回りの木々の梢が風に鳴る音を聞いていると、深い安らぎを覚える。

「はじめに」より

自分はこの2週間の滞在中に、同い年の友人がくれた『ジャズ・カントリー』を読み終えた。文学のおくりもの。読みながら『ホエール・トーク』や『豚の死なない日』を思い出す。ヤングアダルト文学の名作。ヒリヒリとしていて、とてもいい。
また読み返したときには、滞在したこの部屋の空気を思い出すと思う。

すべてを終えて、福田さんと隣村の「フォレストシューメーカー」へ。

松下さんたちからソールの貼り替えを頼んでおいた靴を受け取り、さらに北の小谷村へ。
写真家のサッコと再会。ゆっくり話せるように、まわりの仲間たちがうまく時間をつくってくれた。翌朝は大網集落を散歩。

サッコの「いい写真を撮りたいスタジオ」(©ウチダゴウ)

9月中旬に陸前高田で始まったワークショップ&出張群はようやく終了。
ちょうど塩田ルカくんが上田のルヴァンに研修に来ていたので、立ち寄って語り合い、まかないの昼食をご馳走になってから東京に戻る。


10月◯日

いま滋賀にいるトム・ヴィンセントと西荻窪の「驢馬とオレンジ」で話し込む。硬派な印象のおばさんが切り盛りしているカフェ。メニューにも接客にも媚びたところがなく、フツーで心地いい。等身大ってことか。

別の席で中学生(たぶん)の女の子3人組が集っていた。彼女たちはすこしオシャレをして、すこし背伸びしている感じで可愛らしい。それも等身大といえば等身大か。


10月◯日

日本仕事百貨の合宿。ひさしぶりに高尾山にも登った。彼らも1年前と見えている景色が違うだろうな。

百貨とは別の一般論で、「現場視点」はやっかいだなあと思う。なにかあると、すぐマインドが「経営者はわかっていない」グリッドに吸着したり。
企業以外でもそう。東日本大震災の災害支援活動でバックエンドの仕事を手伝っていて、沿岸部の小さな拠点を訪ねたときに体験した「本部はわかっていない」攻撃(言葉と態度の暴力。おもに嫌味)にはなかなかのものがあった。

現場で求められる仕事の強度は、その場にいない人の想像を常に越えると思う。
でも彼らもマネージメントや経営層の苦労は知らないし、なにより「上の連中はわかっていない」マインドが、この社会の同質化傾向とつながっているとは考えないんだろうか。
別の言い方をするとディフェンシブな当事者意識。それを越えようと養老孟司さんは『バカの壁』を書き、砂田砂鉄さんは『父ではありませんが』を書いたのでは? どちらもまだ読んでいないので想像ですが。

この話は12月の「どう?就活」二日目のテーマ、〝会社ってなに?〟につながる。


10月◯日

フードハブ・プロジェクトまわりのデザインを一手に引き受けてきた石橋剛さんと、桑沢デザイン研究所の講義。彼は同校の卒業生。

フードハブ関連の仕事から一度離れるようだ。家付き大工というか、クリエイティブな用務員(重要)が失われるわけで、他人事ながら心配。


10月◯日

10月長いな…。前出の今村龍之さんのウェブサイトが公開された。彼はパーソナルトレーナー的な仕事をしている人で(筋トレではない)、私もこの一年ほど月に1〜2回身体をみて運動のサポートをしてもらっている。

サイトの制作とデザインは丹波篠山で猟師をしている佐田祥毅さん。イラストは青木隼人さん。
私は今村さんのインタビューを担当して、トップページにそのショート版が載っている。(1,100字)

https://responsive-body.jp/interview/ (ロングバージョン 6,000字)

彼の「Responsive body」について、詳しくはTwitterに書こうと思う。>書いた!(2024-1-5)


10月◯日

清宮陵一さんが企画・制作した「隅田川回向」というコンサートを聴きに、両国の東京都慰霊堂へ。UAと寺尾紗穂さんのステージング。寺尾さんには、文庫版『ひとの居場所をつくる』に解説文を寄せていただいたが、実はまだ直接お会いしていない。客席で歌と演奏を聴く。

寺尾さんは歌っているというより、泣いている感じだった。泣き声に歌詞とピアノが付いているような切々とした気持ちが伝わってくる。ガザで子どもたちが殺されている。表現者には難しい時代で、同時に、役割がハッキリした時代を生きていると思う。


10月◯日

最近会う頻度の高いアソブロックの団さんと、南新宿のUDS(都市デザインシステム)を訪ねる。代表の黒田哲二さんは、15年前に沖縄のホテル開発をご一緒した当時の担当者。たとえばこんなことを形にしようとしていた。

ネイチャー オブ トゥデイ
https://livingworld.net/works/nature-of-today/

開発はリーマンショックの煽りで頓挫したが、彼との関係はつづいていて面白い。

夢の中で、行ったことがない国の言葉のわからない駅のホームに。行く先も戻るところもわからないまま、ホームを出てゆく列車を見送った。


10月◯日

昨年からかかわってきたある会社の働き方関連の仕事で、EX(Employee Experience)の改革を進める部署の方々に、島根で「コミュニティ・ナーシング」の実践を重ねてきた矢田明子さんを紹介する。

前日に聴いた COTEN RADIO の矢田さんゲスト回が、とても面白かった。

2017年に友廣裕一さんの案内で雲南市を訪ねたときは、まだ「コミュニティ・ナース」という言葉が使われていた。
それは一部のナース(看護師)の「病院の外で生きている人々」への視野を広げたと思う。「予防医学」という追い風もあった。でも、ただでさえ多忙を極める看護師の職域拡張は可能なのか? 訪問介護や診療に回収されてゆく? と考えながら見上げていた。

7年ぶりに話をきくと矢田さんたちの前線はみごとに変わっていて、地域の郵便局の人々(窓口も配達も)や、たとえばパチンコ店の従業員など、地域の生活者と接点を持つ多種多様な人が「コミュニティ・ナーシング」の研修を修了し、知覚神経や運動神経のように機能しながら地域社会の血行をよくしてゆく仕組みづくりが進んでいた。
それで「ナース」でなく「ナーシング」という、職能より行為に軸足をおく言葉づかいに移ったんだな。矢田さんは「そこは振り切った!」と言う。

あと看護学校で使われている教科書の一つ『地域・在宅看護の実践』の第6版に執筆依頼があり、看護教育、ひいては医療界から取り組みを認められたのも大きいと話していた。
……こんなふうについいろいろ書いてしまう。矢田さんには「すべての人をやる気にさせる」(©工藤瑞穂)働きがある。存在の振動値が高くて、すぐ伝染する。

頭と心が温まった状態で羽田のZAPPへ。久しぶりの Cornelius のライブをみて帰宅。長い10月が終わった。


こうしてすこし前の事々を書いていると(いま1月3日)、1ヶ月間の出来事もほんのひと握りで、かつ二度とない。のに、いずれ片っ端から忘れてゆくんだなと思う。痴呆の話でなくこれまでに体験したことの大半がそうだから。
自分の灯りは車のヘッドライトと違って、提灯のように、いま立っている足元のまわりだけぼんやりと照らしている。まあそれでいいか!