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愛の源泉

夫I氏の母は、5人きょうだいの4番目、3女であった。私が夫I氏と結婚した時にはすでに亡くなっていたので会ったことがない。
先日、長女である伯母と、4女である叔母が、次女である大阪在住の伯母を訪ねた帰りに東京に寄ってくれたので、一緒に中野の居酒屋へ行った。彼女たちに会うのは私は二度目である。

4女叔母は70歳だが、余裕で60歳にみえる。いまも現役で仕事をしていて、17時に帰宅すると発砲酒の缶を開けて飲みながら料理をする。21時に就寝するまでに毎日350mlを4缶ほど開けるそうだ。独立した息子たちが遊びにくれば、それが深夜まで続き、「発泡酒なのにおふくろが一番酒代が高い」と言われるほど、飲み続けられるらしい。

長女伯母は80歳だが、こちらもとても元気で、なんと老人ホームの慰問に行っているそうだ。思わず聞き返してしまった。慰問に行く側。かるたをしたり、話を聴いたり、とても喜ばれるので、自分はボケずに済んでいるという。冒頭の画像は、伯母がくれた、手作りティッシュケース。こういう小物をつくったり、家で料理教室をやったり、アクティブに楽しんでいる様子。

彼らはとても慈しみあっている。
昔話にも愛があふれている。長女伯母が16歳で住み込みで働いていたころ、小学生の3女義母と4女叔母が、手をつないで給料日に給料を預かりにきたという光景を語る。「私は私で小遣いもらえたから、全然苦じゃなかったのよ」と長女伯母は語る。16歳で家族の暮らしを支えていた少女。毎月長姉を訪ねて、お金を預かって帰る小さな姉妹。転んだりしないか、お金を落としたり、悪い人に盗られたりしないか、過去のことなのに聞いてるこちらがドキドキした。

どこかにしまわれていたのか、伯母たちは3女義母が夫I氏を出産した際の母子手帳を持ってきてくれた。ページを開くと、母18歳、父23歳とある。その若さにぐっとくる。
4女叔母が16歳の時に夫I氏が生まれたことになる。4女叔母は、とにかく赤ちゃんであったI氏のことが「可愛くて、可愛くて、とにかく離れたくなかったのよ」と語る。当時の彼女の勤め先であるパン屋さんに、しょっちゅう連れていっていたそうだ。
夫I氏の古い記憶でも、パン屋の店先に座って、いろんなおばちゃんに構われていたのを覚えているそうだ。

長女伯母の家にはI氏より年上の従兄がおり、夫I氏はしょちゅう泊まりに行っていたそうだ。自分は弟と2人兄弟だったI氏にとって、従兄はアイドルだった。そんな話の途中で、突然夫I氏が伯母と叔母に言った。

「俺は殴られて育ったけど、赤ちゃんとか子どもとか大好きで、今この人(私)と結婚して娘たちのことも愛していて、こんなに自分から愛があふれてくるのは、おばさんたちからたくさん愛情を注いでもらったからだと思う。ありがとう、本当に感謝してる」

それを聞いていて本当にそうなんだろうなと思う。その場になんの矛盾も偽りもなかった。だから、世の中には時々、不適切な養育環境が起きてしまうとしても、それは、周りに、どんどんどんどん愛情を注いでくれる人がほかにいてくれたら、その子どもは、自分の愛情関係を築くことができるんじゃないかと私は信じている。夫I氏は自身が暴力を受けるだけでなく、両親の間や、身近なところでも暴力を日常的に見聞きして育っている。しかし彼は言う。「おかげで俺は、手だけはあげるまいという人間になれた」

「虐待の連鎖」と言われるけれど、それを断ち切るには、本人の意志だけでは大変な場合もあると思う。でも、I氏には、支流からふんだんに注ぎ込む愛情があったのだ。この話は、この実在の身近な人々は、私の大きな希望になっている。自身の子育ては終わりかけているけど、(そして愛情をじゅうぶんに注げていたかは不安だけど)この先、出会う子どもや若者、もしかするともっと大人でも、私のささやかな愛が誰かの未来に役立つかもしれない。同様に私の娘たちもまた、不足していた愛情を、別のルートで手に入れていくのであろう。

かぞく、親戚、友人、先生、同僚、上司…
人が、幼少期に一番身近な人から得られなかった愛や承認や尊重があったとしても、出会う人の中に、それを与えてくれる人がいる。自分が与える側になることもあるし、私も与えられてきた。親だけがそれを与えられるわけではないって、もっと宣伝してもいいんじゃないかな。それは親の価値を下げることではなくて、親にも子にも、周囲で見守る人にも、嬉しい情報なんじゃないかな。

あなたの愛の源泉はどこからきている感じがしますか。

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