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友だちは変わっていい

友だちって、作ろうと思うとうまくできないのかもしれない。
あなたに友だちはいますか。
そもそも友だちってなんだろう。
知り合いはいるけど友だちがいない、なんて言葉を目にする事がある。

私は、たくさんの人と仲良くできるタイプではなかった。数人の気の合う人とぐぐっと深くつきあうのが好きだった。そう気づいたのは大人になってからだったけど。

10代は変化が激しい時期で、身体も変化するし、好きなもの、興味があるものも移り変わる。その度に、親しい人は変わっていい。
当時はそう思えてなかったのでなんだか以前の友だちに罪悪感を持ったりしたけど、無理して合わせる必要はないんだよ。だからといって、切り捨てる必要もない。例えば「あ~、最近なんか、そのバンドにときめかなくなったかも」とかって正直に自分の気持ちや感想を言えばいい。
相手は一瞬びっくりしたり、がっかりするかもしれないし、「自分も実はそうなんだ」って話をしてくれるかもしれない。

友だちは変わっていい。
そして、嘘はつかない方がいい。

私が中学2年生になったころ、1年からの友だちと急に話がしにくくなったことがある。私の家の状況が、どんどん悪くなっていった時期。明るくて健やかな友人たちの笑顔や話題に、全然ついていけなくなった。まぶしい。溶ける。
私の頭を占めているのは、昨日の両親の口論であったり、経営が傾いた父の会社宛の鳴りやまない電話だったり。
そんなときに話すようになったのは、小さな家出を手伝ってくれた、それまでクラスでちょっと嫌われていた子だったりした。ああ、人って、話してみないとわかんないんだな。
でも、家出がすぐにばれて呼び戻され、親が離婚することになり、生活が新しい形になることで、その子ともつきあいがなくなった。私は、その子を利用したのだと、今となっては思う。

同じ学区内で引っ越しをして、母子家庭での生活が始まった後、私がなんとなく気持ちを許せたのは、何か複雑な事情なありそうな子ばかりだった。「うちのお母さん、夜中になると出かけていくんだ」
そんな打ち明け話を聞きながら、「自分にどうしようもない環境の中で暮らしてるのは私だけじゃない」という安心感を感じていた。だからお互いのちょっと処理しきれない気持ちを共有した後は、TVや受験や普段クラスでみんなが話してるような話題になるんだけど、圧倒的な安心感があった。

「〇子のお父さんは、ベルトで叩くんだって。金具のほうで。怖くない?」
そんな噂を聞いたら、その噂をする子でなく、〇子とならわかりあえそうだ、と思ったのだった。実際、〇子とは、その後高校、卒業後、と付き合いが続いた。

今思うと、無意識にやってたことなんだけど、私は自分の気持ちをわかってもらえる人を探していたんだ。ほかほかと温かい安全なおうちで暮らしてる人に、私の気持ちなんかわからないだろう、と決めて、何か辛いことを抱えている人とつながろうとしていた。それだけ、痛みを共有したかったんだなあ、抱えきれずに、でも持たされた荷物。誰かに持ってほしいわけではなく(まぶしい友人にそれを話すと、荷物を押し付けるような気がしていた)、荷物を運ぶのお互い大変だよなあ、と少しだけ分かち合って、またその荷物を背負ってそれぞれの場所へ帰る。それでも、同じ荷物が軽くなるんだよね。

そんな感じで、友だちは、何度か刷新された。興味の変化、環境の変化によって。
繰り返すけど、友だちは、変わっていい。そして、嘘はつかないほうがいい。

大人になっても、何度か友だちは変わった。嘘をつかなければ旧い友だちも大事にすることができると知った。罪悪感から嘘をつくと、結果、相手を大事にできなくなる。

10代という、自分や、もしかしたら環境も、変化する時期に、友だちが変わるのは、自然なことだよ。同じように、友だちがなんだか遠くなることもあるけど、特に何かあなたが悪かったということでもないかもしれないよ。

※タイトル写真は、永福町まんじゅうと福島銘菓ままどぉる。どちらも、私が40を過ぎてから友だちになった人たちからもらって、嬉しかったので撮ったもの。


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