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私が10代を生き延びたのは

「もうどうでもいいかな」そんなことをしょっちゅう思っていたし、「自分を大切にする」なんてことはまったくピンときてなくて、悪いことも危ないことも、やってみたりした。もったいなくも怖くもなく。
幸いにしていま大人として無事に生活できているのは、ひとつには運が良かったというのがある。悪いことも危ないことも、ハマるほどでなく、続けなかった。その短いあいだにたまたま事故にも事件にも巻き込まれなかった。(だから巻き込まれてしまった人たちのことを他人ごとでなく感じる)

先日、新宿の夜景をみててふと思い出した。
10代の私を生き延びさせたのは「家を出る」「まちを出る」ことへの希望だった。中学の時に実際に家出をしてみたけれどすぐに連れ戻されて、今出てもどうにもならないことを思い知った。私は無力な子どもなのだ。
高校の音楽室の窓から見える新幹線に心を乗せて、あと2年、あと1年でここを出るのだと心待ちにした。
晴れて満期・高校卒業と同時に私は公務員として就職し自活をスタートした。上京の準備資金はごくわずかだったので、引っ越し代、布団代、すこしの洋服代で消えた。洗濯機も冷蔵庫も、ルームシェアする友人の実家が買ってくれたものを一緒に使わせてもらった。私は無力ではなくなった。

いま考えても、10代で無茶をし過ぎなくて本当に良かった。自暴自棄に至らずまだ見ぬ都会での生活に希望をつなぎ、できることを探し、得られる援助を受けながら、着実に一歩ずつ進めることができた。ムカついたり落ち込んだりしながらも、未来を信じることができてよかった。

20代には20代の葛藤をたくさん経験したけれども、早い時期に自分の生活を始めたあのスタートが、私を支える自信になっていた。私に起こる問題は、私がなんとかできると思えていたのだ。事実、30代、40代も、その流れで、困難な状況を、多くの助けを借りながら打破してこれた。それはあの10代の溜めと、実行できた自分への信頼感がベースとなり、それを補強する形で生きてこれた。

10代の私、生きててくれてありがとう。
未来を信じてくれてありがとう。50歳の私より。

これを読んでいる10代のあなたが、未来のあなた自身をを支えることができるって知ってくれたら嬉しい。

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