自己啓発というジャンルはニューソートという思想に通じるという話


ポジティブ思想の由来は元々異端宗教だった

「宗教の話か〜」と思って避けてしまうかもしれませんが、そういうあなたも「自己啓発本」はたくさん読んできたのではないでしょうか。

有名なデール・カーネギーの「人を動かす」、ナポレオン・ヒルの「思考は現実化する」を中心に、「引き寄せの法則」や「成功者の自伝」など読んだことがない方のほうが少ないかもしれません。

あのビル・ゲイツもウォーレン・バフェット、スティーブ・ジョブズも影響を受けているので、ビジネスマンが誰しも通る道と言えるかもしれません。

お急ぎの方のために、結論から言うと「自己啓発はニューソートというキリスト教の一派の解釈が、産業革命以降、米国の経済社会の発展とともに自己啓発本という形で拡大解釈されて爆発的に支持を得ていった」という話です。

日本人には宗教という概念があまりない割に敏感に宗教を感じ取る能力があります。「自己啓発本をなんだか宗教臭いな」と思っていた人は正解です。

だって元々は宗教から生まれているわけですからね。

禁欲主義的な教義の息抜きとして爆発的に広まった

キリスト教といえばもともと禁欲的です。

特にプロテスタントは堕落したカトリックに対抗するように生まれたカルヴァン主義では、真面目に働く人間だけが天国に行けるというわけです。

でも別にこれはキリスト教に限らない。ユダヤ教もイスラム教も日本人からしてみても厳しい戒律を課しているように感じるのではないでしょうか。

話はキリスト教に戻りますが、真面目に働くことをよしとする思想は、労働者にとっても、そして資本家にとっても都合が良かった。

でも、人間はいつまでも辛い労働に染まり切ることはできないですよね。

それに今のように最低賃金制度も労働基準法もありませんでしたから、資本家が好きなだけ労働者を働かせてお金を儲けていました。

しかし、やはり思うわけです。「資本家ばかりおかしいな」と。

すると拝金主義的な風潮を批判する勢力というものが現れ始め、禁欲主義へのアンチテーゼとして、多くの人の厳しい戒律への解毒剤として「ニューソート」の思想が広がったのです。

宇宙と神と霊と人間はすべての一部という思想

ニューソートの思想を端的に説明するならば、「神は霊的な存在で、宇宙のすべてを満たしており、 人間もモノもその一部である」ということです。

これだけ読めば明らかに宗教の匂いがしますが、なぜここから自己啓発本へとつながっていくのでしょうか。

ものすごく単純に説明するとこうなります。

人間∈宇宙 (人間は宇宙に含まれる)
つまり、人間が働きかければ宇宙は動かせる
思考を持って宇宙に働きかければ思考が現実化する

というわけです。それがナポレオン・ヒルの「思考は現実化する」という本になっています。日本語で出版されている多くの引き寄せの法則系書籍はすべてここが源流です。

この本への書評は最低限にするとして「思考しなければ現実化することはない」というところは正しいと思います。

つまり「思考」が重要だという意味においては正しいのではないかと思いますが、その結果的に幸せをもたらすのかは自分にしかわからない。

自分にとって「正しい思考」をして「正しい努力」をすれば「正しい結果がついてくる可能性が高い」。逆に他人にとって正しくても自分にとってどうかはわかりませんよね。

例えば誰かが「外国人と結婚したい」と思ったとします。

それを当人が「これは私にとって正しい」と思わなければ行動にも移せないので、現実化することは当然ないですが、それを知ったあなたが「いいなぁ」と思ったとしても、本当に自分にとって大切なのかはわかりません。

結構ありがちなのはその価値基準を他人から与えられたまま、
「願えば叶う」と思って邁進してしまう人です。

あくまで、自分にとっての幸せを実現するための思考ができれば、当然結果が付いてきますよね。努力もまたついてくる。決してそれ以上のことは言っていないようにも思います。

アメリカ人の思想とマッチする自己啓発思想

どんなことも「自分の思考」がスタートとなるとは思いますが、現実化するかどうかはやはり本人の努力次第ということになります。

「結局、本人次第じゃないか。」

そう思われた方も多いかもしれません。実際、自己啓発本の多くはそういう内容という意味において首尾一貫しています。

つまり、徹底したポジティブ思想と自己責任論が一貫しているのです。

実はこのことは「なぜアメリカでこの思想がものすごく人気を博したのか」という問いに答えるヒントとなります。

「人間の生涯というのは神とか運命によって左右されるもので はなく、自分の考え次第で自由に変えられるし、そうである以上、勝者として素晴らしい人生を送るのも、敗残者としての人生を送るのもすべては当人 の責任である」という自己啓発思想特有の考え方は、「ポジティヴ志向」と「自 己責任」という二つの側面において、アメリカ人の一般的な精神志向によく 合っていたのだ。」p.74-75

ポジティブ思想と自分で変えられるとする自己責任論はアメリカ人に合っていました。彼らが信仰するプロテスタントの考え方とはまったくもって相反するものとして逆に広まったのです。

しかし、結果的にはこれが米国の強さを生み出したのではないかとも思います。

確かに自分を律すること、コツコツ労働することを奨励するプロテスタント思想は歴史的にアメリカ人に強く根付いています。

一方でニューソート的思想は「現世の生き方は自分で変えられる」「思えば叶う」という理想的な思想です。

新大陸で夢を実現してきた開拓民時代から、既存のヨーロッパ的社会システムへのアンチテーゼとして生きてきたアメリカ人の生き方は、苦難の歴史も多かったでしょう。

一方で自分の足で切り開いてきたという意識もあり、このプロテスタントとニューソートの思想は反対のことを言っているようですがうまく対立せずに、それぞれ受け入れられるところが合ったはずです。

これは米国の強さである資本主義経済にとっても新陳代謝を加速させ、新しい世界を切り開く起業家や投資家の居場所を作り出す「イノベーション」という文脈において大きな影響を与えたと思うのです。

ここまで言うと言い過ぎでしょうかね(笑)

日本の自己啓発はアメリカ化するのか?

日本にも自己啓発本の類はたくさん出版されていますよね。

東洋思想との相性という点においても、特に日本においては特定の神ではなく万物皆同源とする思想は、仏教や新道との相性も良いと指摘されています。

最近流行りの「マインドフルネス」も自己啓発の一種ではありますが、これはビジネス系の自己啓発本というより、生き方としての心の平安を実現するための考え方です。

アドラーの「嫌われる勇気」やスティーブン・コヴィー「7つの習慣」、中村正直の「自助論」、福沢諭吉の「学問のすすめ」など日本で爆発的に人気を得た自己啓発本もありますが、米国で受け入れられたものとはすこしだけ違っているようにも思います。

その意味では日本の自己啓発は米国のニューソート思想を受けたものの直輸入や焼き直しだけではなく、明治以降の近代化にむけた意識改革としての意味合いも合ったのかもしれません。

自己啓発本というと人気な割にあまり詳細に背景まで踏み込んだ研究がありませんが、この尾崎俊介の「アメリカにおける「自己啓発本」の系譜」という論文は大変貴重な研究です。
https://aue.repo.nii.ac.jp/index.php?action=pages_view_main&active_action=repository_action_common_download&item_id=2957&item_no=1&attribute_id=15&file_no=1&page_id=13&block_id=21

閉塞的に感じることがあるときこそ、アンチテーゼとしての自己啓発が人気になります。新しい時代の自己啓発本とはどうあるべきか。僕もちょっと考えてみたいと思います。

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