自己紹介と経歴

はじめまして!!!
りん と申します。現在、20代後半の女です。

医学部再受験を志し、このたび合格できましたのでnoteを始めてみました。
情報の発信と記録が目的です。
あと、書くことも好きなのでどこかで何か書きたいと思ったのもあります。
ブログ感覚でいろいろと書いていこうと思います。(続くか分からないけど)

再受験の間、私は予備校等に行かずほぼ宅浪という形でした。
そのため、知りたかった情報や悩んだことも本当にたくさんありました。
みんなどういうふうにやっているんだろう、なんで再受験しているんだろう、どういうところを受けるんだろう…などなど、身の回りに医療者も再受験経験者もいなかったので、不安でした。
再受験や医学部を目指す方々は、それぞれ環境も経歴も様々だと思います。
が、1つのサンプルとして何か少しでも参考になることがあれば、独りで受験勉強をしていた自分のような方々に少しでも役に立てることがあればと思い、この度noteを始めました。
へぇこんな人もいるんだなァと読んでいただけたら幸いです。

初めてなので、今回は私の自己紹介として簡単な経歴や医学部再受験に至った経緯などを書きます。
(先日断捨離をしていたら、センター開示等が出てきたので、過去の成績や再受験時の成績の推移も載せた詳しいver.も今後書いていこうかなと思っています。)

大学進学に至るまで

小さい頃から医師という職業に憧れがありました。
そのまま自然と、医学部を目指すことに。
しかし、小学生の頃から算数が一番の苦手科目で、理系全般が全く出来ず。
当時は、医学部を目指していると言うのも恥ずかしいと思うくらいの成績でした。
結局、1年間の浪人もさせてもらいましたが、医学部は諦めました。

一方で、中学生の頃から英語は大好きで、得意科目でした。
2浪はできないという思いと、英語を伸ばしたいという思いで、英語・国語・数学の3科目で早稲田大学国際教養学部を受験し、合格。
私はもう医師になれないんだなと思うともちろん悲しさや悔しさもありましたが、1年間の浪人中に周りの優秀さに圧倒され、私には医学部はもう無理だろうという諦めも強くなっていたので、早稲田に進学させてもらいました。

ちなみに、中学生の時はバレー部に入りました。
が、たぶん向いてなくて全然上達しませんでした。
数ヶ月たってもサーブが入らず、部内で浮き始めたので辞めて帰宅部に。笑
高校ではラクロスをやっていました。

大学〜社会人時代

大学在学中は充実した4年間を過ごしました。

サークルは、さだまさし研究会に入りました。
(小学生の頃に「風に立つライオン」や「雨宿り」を聴いて好きになりました。)
が、色々慌ただしくしていて(あと会員の方々が本当にガチだったので気遅れして)、ほとんど参加せず。
教職課程を履修したり、留学に行ったり、バイトもかけもちしたり、旅行したり、さだまさしのコンサートに行ったり…
わりと忙しくしていました。

留学はイタリアへ行きました。
特に何かを専門に学んだわけではありませんが、さだまさしの『関白宣言』の歌詞の英訳を見せながらみんなに聴かせるという謎のプレゼンをしたりしていました。
そのため、イタリアと一部欧州諸国には、大学の講義中、日本人にさだまさしを聴かされた方々がいるはずです。
これは恐らく本邦で私しかしてない経験だと思うので誇らしく思っています。笑
(他にもいたらすみません)(どんな講義だったかは忘れた)
あとは、やたら納豆が恋しくなって大豆から納豆を作ってみたりしていました。

3年生になると周りと同じように就活をし、とある小売業の会社に就職。
新卒で入社した後は、店舗で販売員として働いていました。
この頃、大学の同級生と結婚もしました。

入社した会社は、大学で学んだことを活かしたいと思って選んだところでした。
興味のある好きな業界ではありましたが、入社して1年を過ぎた頃から、本当にこれでいいのだろうか?と、キャリアや自分の人生について悩み始めました。

再受験を決意

そんな時、2020年4月に緊急事態宣言が発令され、店舗が休業に。
接客業というのは、世間が休みの時が書き入れ時で、なかなかまとまった休みが取れない業種です。
入社して約3年たってから、ほとんど初めての長期休みでした。
ゆっくりと時間をとって、自分がこれからどうしていきたいのか、どのような人生にしたいのか、改めて考えてみました。

そこで出てきた答えが、もう一度医学部に挑戦してみたい、というものでした。

いや、今の会社を辞めたいだけでは…?と、根性なしの自分を信用していない猜疑心もあり、再受験に専念するのは危険であると冷静に判断。
しばらくは仕事を続けながら勉強をし、継続できたら本気であると認めて受験に専念するのもアリ!と許可をくだしました。(自分から自分へ)


仕事しながらの受験勉強

2020年6月に勉強を開始。
ちょうどこのころ、再受験用のTwitterアカウントも開設しました。
緊急事態宣言も明け、店舗は再開していたので、仕事の前後や休憩時間、通勤時間を使って勉強していました。

このころ意識していたのは、とりあえず勉強を継続すること。
医師になりたい思いも強くありましたが、過去に一度諦めた経験があるので、本当にできるのか自信がありませんでした。
〇〇大学に行きたいという明確な目標は持たず、とにかく毎日少しでも勉強することを目標にしていました。
まずは理系科目をどうにかしなければという思いで、数学・化学(+たまに生物)を中心に始めました。
本当に忘れていたので(というかそもそも現役浪人時代も身についてなかった)基礎から復習していきました。
それでも仕事がある日は1日8時間以上はお店で立ちっぱなしだったので疲労感もあり、できても2〜3時間くらいだったと思います。(記録しておけばよかった)

2020年秋、再受験を決めてから初めて、河合塾の第3回全統記述模試を受験。
12月頃、模試の結果が返ってきました。
この時の成績、最近見返して本当におもしろかったんですけど。
半年弱受験勉強した結果、英語はノー勉で偏差値67で喜んでいましたが、理系科目は偏差値40台でした。やば。
(今度、詳細を書く方に載せようと思います。)

ただただ英語が引き上げてくれただけの総合偏差値を見て、「3年くらいあればいけるんじゃない!?」とナメた発言をし、松岡修造も驚くであろうポジティブさをもって勉強を続けたのでした。

(※今現在、偏差値が低い状態から医学部等を目指している方を馬鹿にしているなどということでは決してございません。自分の当時の成績と、その後も危機感を持たず、あまりにも楽観的であった姿勢を反省し揶揄しています。)

正社員を辞めて受験勉強

2021年2月。
色々あって、もう辞めよーっと思い、正社員を退職。

3月からは、大学時代にアルバイトしていた塾で再び塾講師をしながら受験勉強をしていくことに。
塾では、中学受験の算数と中高生の英語を指導していました。
ちなみに誰にも再受験のことは話していませんでした。
オンラインでの指導も始め、週3くらいでバイトをしながら、あとは家事と勉強をするという生活になりました。
バイトがある日も、生徒たちの学校が終わってからの授業になるので、夕方から長くても4時間くらいの拘束時間でした。
(春期講習や夏期講習はもう少し長めに働きました。)

合格まで2〜3年位はチャレンジしたいなと思っており、2023年まで受験をしてみて、ダメだったらもう一度今後について考え直そうと思っていました。
そのため、2022年の受験まではとにかく理系科目の克服に専念することに。
夏頃までは、数学と化学に専念し、生物は夏くらいからちゃんと始めました。

半年ほど独りで勉強をしていましたが、だんだんと限界を感じてきました。
分からないところが出てきても、すぐに解決できないストレス、
自分に甘いので計画通りに進まず、モチベーションが下がってしまう、
そもそも正解が分からずこの計画、この教材でいいのか、という悩み
正社員辞めちゃったけどこんなリスキーな選択をして大丈夫かという不安…
悩みや疑問や不安が尽きず、独りで家にこもってずっとやっていると本当にストレスが溜まってきてしまいました。

個別指導の塾でも探すか…?と悩んでいたとき、ちょうどTwitterで再受験に成功されて家庭教師の生徒を募集している医学生の方のツイートを見かけました。
同じく文系学部の大学出身の女性ということで、とにかく成功された方のお話だけでもうかがいたいという思いからDMを送り、指導をお願いすることに。

ありがたいご縁のおかげで、9月からは週1回2時間、オンラインで質問対応を中心にみていただきました。
私は昔から、かなりメンタルが不安定になりやすいタイプだと思っています。
浪人中も、メンブレして魔が差し、風呂に持ち込んだ化学の一問一答集を湯船にブクブクと沈めた経験があります。
(本って意外と空気を含んでいて、なかなか空気の泡が途切れないんですね。その後も乾かして使ったし反省してます。)
再受験期を振り返ってみると、宅浪で誰とも受験を共有しなかったことでさらに悪化していたかなと思うのですが、家庭教師の方には、再受験を経験されているので色々と相談しやすく、精神面もかなり支えていただきとても感謝しています。
オンラインで週1回、話せるだけでもだいぶ楽になりました。
ずっと独りで宅浪という形だったら、特に冬以降から直前期にかけては大変だっただろうなと思います。

受験期と結果

そんなこんなで、冬を迎え年も明けて2022年。
仕事を辞めて勉強に専念し始めてから1年くらいなので、来年の練習にもなるし、とりあえず試しに受験してみようとダメ元で私立複数校に出願。
合格したい気持ちはもちろんありましたが、とにかく本当に自信がなく、もしかしたらワンチャンあるかもしれない、という感じでした…。

試験中は、意外と戦えていて驚いたと同時に嬉しかったです。
1年前はどこからどう手をつけたらいいのか分からなかったような問題に、ペンを走らせることができていることに自分のことながら感動しました。
加えて、現役の時も1浪の時も医学部を目指してはいたものの受験はしなかったので、「医学部を受験しているんだなぁ、医学部の問題解けてるじゃん…」というのをひしひしと感じ、それもまた嬉しかったです。
(あとは全然関係ないですが、試験の行き帰りに予備校の方々がチョコレートやアイマスクを配っているのをみてびっくりしました。笑)

結果、一次試験で案の定ことごとく落ちました。
覚悟はしていても、不合格ばかり見ると落ち込みますね…。

最終的には、一次試験合格が2校。
うち1校は2次でほぼ不合格よりの補欠、もう1校は正規合格をいただきました。


そして、今に至ります。

とにかくメンタルが不安定になりやすく、迷走していたこともあった再受験生活でしたが、夫の理解と支え、家族の励まし、そして家庭教師の方のご指導には本当に本当に感謝しています。

これまでの経緯について書いてみましたが、思ったより長くなりました…。
(話し始めると長くなるタイプ)

成績の推移や使った参考書、何をどのように進めていったか、といったことも今後、書こうかと考えています。
が、結果的に幸運にも合格できたので良かったといえば良かったですが、振り返ると反省点も多く、決して誇れるような再受験生活ではなかったとも思います。
こういう人が再受験したんだ、こういう人でも合格できるんだ、とあくまで一例として見ていただけると幸いです。

ここまで長文になりましたが、読んでいただきありがとうございました。
感想や再受験に関するご相談など、良かったらTwitterのDMからでもお気軽にご連絡ください!

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