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走り書き日記 2022/05

作中作、劇中劇、睡眠内睡眠、そして遊歩内遊歩へ。とくに理由なく日記を書き始めてみることにする。

2022年5月15日の日記

まさにそのとき、マカベーアは胃に深い気持ち悪さを感じて、吐きそうにさえなった。自分の体でないもの、光を発する何かを吐き出したかった。千の鋭角を持つ星を。

クラリッサ・リスペクトル『星の時』
(2022年5月18日の日記で引用)

抜き差しならぬ記憶の亡霊を突き抜けて、カンバス、銀幕、あるいは紙葉のもとに透きとおった建築がふたたびきずかれ、その透徹の空間には燃え立つような曲芸師が、あるいは首をかしげた半透明のあなたが居住している。野放図でタフな空想のもとで、《カードの家(5枚)》のヴァニタスは微熱をおびてわずかにひるがえる。そうであるならばきっと、この作品はもう少しばかり小さいほうがよかった。

河野咲子「硝子絵画の居住者たち——ゲルハルト・リヒター《カードの家(5枚)》にて」
ユリイカ2022年6月号 特集=ゲルハルト・リヒター

私的に守り抜くつもりの愛が結局は(リンク切れした)関係性へ取り込まれていくことを知りながら、それでもぼくたちは愛さずにはおられない。抵抗はいつもむなしい。そんなつもりではなかった、そんなつもりでは——サヒヤンデ劇場のひだまりで、(瞳の代わりに)あのほそい指先がひかりに浸潤されるのをもっとちゃんと見ておくべきだった。

「with dogs——ぼくたちは森を何度でも訪れる。都市から、海の底から、杣道を通って。」
河野咲子&ひるめり

影ながく曳く人をわが父と識るにせあかしあが花こぼす頃

水原紫苑
(2022年5月19日の日記で引用)

2022年5月の日記を公開する。このときなんとなく思い立って書こうと決めた日記がすでに1年以上続き、いまでは20万字くらいの分量になっている。


2022/05/31

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