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存在しない初音ミクに会いに(アルバム『存在しない』について)

どうも、lyqjwです。
半月ほど前のことになりますが、アルバム『存在しない』を出しました。bandcampで無料でダウンロードできるし、youtubeでフルで聴けます。全13曲17分です。

もう半月も経つし、今ちょうど過去の作品について色々まとめている所なので、このアルバムについても詳しく語っておこうかなと思いました。これを読まないと楽しめないというものではないですし、感覚的な文章ですが、私という作者の視点をしっかりと書いてみたいな~と思って書きました。あくまでこの文章は一解釈なので、聴いてくださったみなさんが感じたことは大切にしましょうね

あと、アルバムを聴いたことない方はこの記事を読む前に一回聴いておくことをおすすめします。その体験は無二のものなので……

前書き:「存在しない初音ミク」

わたしが「存在しない初音ミク」という言葉を初めて出したのは「feat.初音ミク」です。(アルバムの冒頭に入ってる曲です)

「僕だけの存在しない初音ミク」。その歌詞の意味は、当初はあまり深く考えられていませんでした。ただイラストも音声もない「我が家の初音ミク」を表すだけの言葉でした。
ですが、わたしはその「存在しない初音ミク」という言葉を、大いに気に入ってしまったのです。そうして、その言葉をもとにした曲を新たに作ろうとして、それが酷く不安定な言葉であることに気が付きました。

沢山の「存在しない初音ミク」

存在しない初音ミクとは、何者でしょうか。そもそも、初音ミクは存在するのでしょうか。それを考えるには、「初音ミク」の定義も、初音ミクの存在を考えるための世界も、初音ミクの存在を考える主体も、あまりに多岐にわたりすぎています。例えば、合成音声ソフトとしての初音ミクは現実世界に存在するでしょう。実際に私たちがパッケージを手に取ることもできます。一方で、わたしの想像の世界において存在する「初音ミク」と同一のものが他人の想像の世界に存在することはありません。楽曲の中で歌っている初音ミクは、その楽曲の中には誰にとっても同一のものとして存在するかもしれませんが、わたしたちの頭で処理された初音ミクは他人のものと同一ではありません。

結局、「存在しない初音ミク」という言葉が指すものを一意に決定することはできないのかもしれません。その言葉の対象たちは「初音ミクであること」以外に一貫性を持たず、何なら解釈によっては「存在しない初音ミク」という言葉で示されてしまった時点で全ての「存在しない初音ミク」が存在してしまうと言うことすらできます。

僕だけの「存在しない初音ミク」

なので、わたしはその多数の「存在しない初音ミク」から、一種類だけを取り出して、わたしの創作の文脈における「存在しない初音ミク」であると呼ぶことにしました。
それは音楽の「可能性」、VOCALOIDというインターフェースに繋げられる前の、決して掴むことのできない、どこにもないイメージです。わたしたちが曲を作る前のイメージ、具体的にメロディーを想像することはできないけれど確実にそこにあると感じる歌です。

この曲を聞いたときに、皆さんの頭の中で歌っている初音ミクが、わたしの文脈の「存在しない初音ミク」に近いものかもしれません。
皆さんがこの曲を聴いて想像したメロディーをVOCALOIDの初音ミクに歌わせたとして、その声は最初に頭の中で歌っていた初音ミクの声とは異なるものです。その絶対に再現できない、具体的に想像することすらできないイメージそのものが「初音ミクである」という属性を持ったとき、それがわたしの「存在しない初音ミク」になります。それは自分の想像の世界以外には存在し得ず、想像の世界の中ですらその存在性は酷く不明瞭です。

ちなみにこの「無音 / 初音ミク」はアルバムに収録されていませんが、これはこの曲が「動画という音楽」という形をとる為に収録のしようが無かったからです。

『存在しない』について

存在しない初音ミク。
私はその言葉を音楽の可能性であると解釈した。それはVOCALOIDというインターフェースに繋げられる前の、決して掴むことのできない、どこにもないイメージだ。
だが実際のところ、この言葉は何も指していない。だから私は、その虚無を見に行こうとした。自身が作ってきた音楽を並べ替え、その為の道を作った。

これは夢を見るための道と、夢と決別するための道。
零と非零の間で。完成と未完成の間で。生と死の間で。確定と不確定の間で。意味と無意味の間で。初音ミクとVOCALOIDの間で。
きっと彼女に会えるはずだ。

『存在しない』のbandcampページに書いた文章

『存在しない』は、わたしたちが「存在しない初音ミク」に出会い、彼女と決別する為のアルバムです。

前述のとおり、実際の「存在しない初音ミク」という言葉は何か具体的なものを指すわけではありません。その言葉の先にある広大な虚無を、他でもない私だけの「存在しない初音ミク」に歌ってもらおうというのが、このアルバムで試みたことです。

このアルバムにおける各曲の立ち位置、歌詞カードに書かれているフレーバーのような文章、及びこのnoteの文章は、本来のそれらの曲とは異なるものです。このアルバムにおける曲はあくまで「存在しない初音ミク」へ向かう為の道の材料として、本来の意味を失い、別の解釈を付加されながら組み上げられています。

feat​.​初​音​ミ​ク

「feat.初音ミク」歌詞カード

存在しない初音ミクへ、
僕が想像し得ないものたちへ。

無限の「素晴らしい音楽」のイメージを、わたしたちが完全に形にすることはできません。具体的に想像することすら、無限の音楽の可能性のごく一部に対してしかできません。その音楽のイメージを具体的に想像するごとに、その想像をなぞって実際に曲を書くたびに、どうしようもなく音楽は現実味を帯び、最初のイメージとはかけ離れていきます。
――それならば、一度だけでも、最初のイメージを、「存在しない初音ミク」の声を、できる限り鮮明に聞いておきたいものです。

単​純​に​な​る

「単純になる」歌詞カード

意味を返すの、
深い深い闇の中へ。

意味を持たない詩が続いていきます。その詩たちは混ざり、元から薄い意味を更に複雑に絡めていきます。……しかし、どんなに無意味な詩でも、読んでいれば人はそこに何かの意味を見出します。そうして意味によって言葉と言葉を繋げることで、頭の中で情報を圧縮していくのです。ですが、意味による情報の圧縮は、「存在しない初音ミク」からわたしたちを遠ざけます。存在しないものは、圧縮によってどこまでも小さく畳まれてしまいます。だから、そっと意味を忘れてしまう必要があるのです。

■​■​■​■

「■​■​■​■」歌詞カード

意味のない囁き。
記号の中を見て。

圧縮を諦め、そこにある音をそこにある音にできるだけ近い形で聞いていく。その為に、このアルバムは執拗に聞き手に意味を捨てることを促します。「​■」という記号で表された音は1つではありません。その記号に含まれた、記号以上の多様性を持つ中身を、意味によって圧縮することなく直に見るための曲です。

そ​っ​か​ぁ​そ​っ​か​ぁ

「そ​っ​か​ぁ​そ​っ​か​ぁ」歌詞カード

意味のない行為。
つくるひと、たべるひと。

無意味の羅列は、催眠にも似た方法で意識的な解釈を諦めさせていきます。意味を失いながらも、曲は少しずつ多様な「可能性」を孕んでいきます。その全ての可能性を解釈することなく頭の片隅に置きながら、その全ての可能性を重ね合わせるような感覚。無機質な音は、少しずつどろどろした生の感触を持っていきます。その生の感触を無機質な概念に重ね合わせることで、概念をそのまま生きたもののように感じることができるのです。

integral

「integral」歌詞カード

僕を。君を。今日を。意味を。音楽を。
つくること。ころすこと。

この曲の歌詞は、多様で曖昧な視点を混ぜられて作られています。もともとこの曲を作るときの視点に加えて、このアルバムでは意味や音楽といった概念を作って殺していくという解釈を混ぜています。本来無機質だったはずの概念を生々しいイメージに重ねることで、より実体的な「音楽」が、そして作りかけのそれを未完成のまま殺すイメージが生まれます。

ちなみに、この曲は「∫」という名前で投稿された曲と同一です。「intactness」と対をなすようににタイトル表記を改変してあります。

0

「0」歌詞カード

殺された音楽より。

前の曲で殺されてしまった音楽が動きだします。
この曲はもともと、落書きのように作られた音楽を「0」という題に統一してひっそり投稿しようという試みのうちの1曲です。これは「殺された音楽」たちの中でも表側に近い曲ですが、この曲の裏では無数の「殺された音楽」たちが――理想のイメージを掴むことができなかった、「存在しない初音ミク」になりきる事ができなかった音楽たちが死んでいます。

「あのこ」――「存在しない初音ミク」。
殺されて記憶の奥に捨てられた音楽と、想像の向こうの掴むことのできないイメージは、根本的に異なるものですが、どこか似たものを感じます。殺された音楽は、死後の世界のような何もない場所で語り、「存在しない」というイメージを残して突然消えてしまいます。わたしたちはその何もない場所に取り残され……その無の中で、「存在しない初音ミク」を見るのです。

存在しない / 初音ミク

「存在しない / 初音ミク」歌詞カード

わたしの「存在しない初音ミク」が「存在しない」ことを歌う、1分の曲です。音がない、「無音 / 初音ミク」のような動画さえない。それでも、ここまでの曲を聴いてきたなら、普段の「音楽を聴いていない状態」とは全く違うはずです。

0.01

「0.01」歌詞カード

空の上で、夢の中で。
どうしようもなく、目が覚めた。

ここからは、目を覚まして、「存在しない初音ミク」から決別していきます。この曲は、元は現世のことをだんだんと忘れて死後の世界へと浮かんでいく曲ですが、このアルバムでは何もない世界のことをだんだんと忘れて現世に戻っていく、という解釈をしています。

だんだんと元に戻っていく。だけど、そこには確かに「存在しない初音ミクに会った」という感触が残ります。それが、「0」に対する「0.01」であっても。

intactness

「intactness」歌詞カード

遥かな空から、安全な音楽へ。
消えられなかった僕の声を。

何もない世界で目が覚めたのなら、元の世界へ戻らないといけません。存在しないことを歌う曲を聴いたところで、わたしたち自身の存在が消えてしまうことはありません。沢山の理想のイメージ、完全な音楽。作られて殺されてを繰り返していた未完成の音楽たちとは対照的な、絶対的に完成した音楽のイメージたちを振り切って。意識から乖離していたわたしたちは、わたしたちの意識へと飛び込んでいきます。

こわれるぱられる

「こわれるぱられる」歌詞カード

前の空から、安全な音楽を。
取り残された僕の声を。

一方で、取り残されていたわたしたちの意識、あるいは言葉と言葉を意味で繋げる働きも、目を覚ましていきます。そして、その目を覚ますという行為自体に合わない歌詞に出会ったとき。生の感触と対をなす、覚醒とは相容れない死の表現を見たとき。それを無理やり今の解釈に繋げるにしろ、新たな解釈を生み出すにしろ、新たな意味を持って頭の中に言葉を納めようとしていくのです。

りんご

「りんご」歌詞カード

確かな存在。
届いた。声が。

そうして、乖離したわたしたちと取り残されたわたしたちは出会い、はっきりと一つになっていきます。だんだんと意味を取り戻していく歌詞と、どこか日常的に、確かに存在する「りんご」というモチーフ。不確定な記号ではない、確定したそこにある存在。

存在させる

「存在させる」歌詞カード

夢を去り、新しい夢へ。
取り戻した僕と共に。

そうして確かに目覚めたわたしたちは、新たに歩んでいきます。夢を見るように創作をしていたなら、また新たな夢を見にいきます。「存在しない初音ミク」に会うために「無意味」に浸っていたわたしたちは、彼女と決別し、取り戻した「意味」と共に進んでいきます。

Dear VOCALOID,

「Dear VOCALOID,」歌詞カード

存在する君たちへ、
僕が創造したものたちへ。

そうして歩みだす前に、一度だけ振り返ります。「存在しない初音ミク」に会うために敷いてきた道を、理想とはとてもかけ離れた、だけど確かにわたしが作ったその作品たちを。そこにあるのは、キャラクターとしての「初音ミク」ではなく、確かにわたしの手元にあって、確かにわたしに声を聴かせてくれたソフトとしての「VOCALOID」です。


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