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変えられるのは、今から未来

「自粛生活あるある」である、部屋の整理をしました。
主に、ずっと閉まったままだった「思いでたち」の整理。

そこで感じたことがあったので忘れないよう、残そうと思います。

10代から今まで沢山の '手紙' を貰いました。
その中には、沢山の「大好き。愛してる。」と私の普段の行動・内面のこと
それと「永遠」という言葉。

私がどんなメッセージを送ったのかは、私も覚えていないので誰にも分かりません。
その時の私も、似たような言葉を送ったのだろうと思います。

あるときから、「大好き。愛してる。」という言葉は、あまり気軽に使うものじゃないと思い、手紙でもLINEでも、ごく一部の人にしか言わなくなりました。
そして、「永遠」という言葉は、いつからか使わなくなり、信じることすらもしなくなりました。
それはただ、「なんとなくダメな気がする。」と思ったからでしょう。

「言葉や文章」は '凶器' にもなるけど、誰かを温かく包んでくれる '魔法' にもなります。
言葉は時に、考えて慎重に伝えなければなりません。
ですが、「愛や好き。大切。」だと思う気持ちの感情は、その一時だろうと考えず伝えていいのでは?最近考えるようになりました。(好きや愛が、'like'でも性別関係なく。)
相手から何かを感じとり、そう思ったのだから。
その一瞬だと分かっていても、伝えてもらった相手は嬉しいはずだから。

ただ、「永遠」は難しいなぁ。と思います。
人の気持ちは良くも悪くも、環境や日々の生活のなかで変わりますから。
その時は、心地よく感じていても別の世界を覗いたら、今までの「心地よさ」に違和感を感じることもあるでしょう。

ただ、その「違和感」は '嫌い' '好き' という感情ではない、それとはまた別の「違和感」だと思うのです。
昨日までなかった、ニキビや痣のようなものでしょうか…?

そう頭で理解していても、「永遠」を信じたくなることもあります。
そんなときは信じてみても良いと思います。私は、そんなとき迷わず信じます。
ただそうするときは、必ず「変化」があるということを心に置く。
そうすると何かあっても、自分自身を守ることができるから。
何にでも「変化」は付きものだと思っていたら、その「変化」も受け入れて信じることができるなぁ。と最近は思うようになりました。

言葉の温かさを思い出すと同時に、'凶器'であることも思い出します。
「若さ 無知ゆえ」 考えず言葉を発し、沢山の人を傷付けただろう。と反省しました。 ですが、「若さ も 無知」も言い訳にはなりません。小さな子どもだって、相手の気持ちを考えられますから。
「大事に至らなくて良かった。」では済まない。謝罪をしても癒えない傷を付けたことに変わりはありませんから。

今さら、このように発信したからといって、許されることではないことも分かっています。

ですが、最近ではSNSで素性もさらさず、誰とでも交流し言葉を交わすことができます。
そのため、平気で心ない言葉を伝えます。
発した相手は、「ストレス発散」のつもりかもしれませんが、受け取った相手はアナタと同じ「人間」です。
その相手が、「芸能人(スポーツ選手etc...)」だとすると、「有名なんだからしょうがない。だったら辞めればいい。」と言いますね。
そんな言葉を貰うために有名になったのではないし、それが嫌だからといって辞められるほど、簡単に夢見た人はいないと思います。

それを気にせずにいられたら、どれだけ楽か自分が良く分かっています。
気にすれば気にするほど、相手の思うツボだと。でも、上手く処理できる人ばかりではありません。
AIでもサイボーグでもない、感情を持った生き物ですから。

「綺麗事ばかり並べて、お前に何ができるんだ。今誰かを救えているのか?」と聞かれたら、答えはNOです。それこそ、私自身がよく理解しています。
大切なときに、救ってあげることも守ってあげることもできません。悲しくて悔しくて、脆いなと思います。
それでも、してあげられることはあります。
「愛 を 好き」だという気持ちを「あなたが、大切」という気持ちを、惜しみなく伝えること。言葉で伝えるのが難しいなら、抱きしめてあげること。
お金もかからず、誰にでもできることです。

正解も不正解もありませんが、よく知ってる人も知らない人も、付き合いが長い人も短い人も、その「誰かを」傷付ける権利は誰にもありません。

好きで応援するのは自由です。でも、それ以上でもそれ以下でもありません。
好きなら好きな間は、その気持ちを惜しみなく伝えましょう。
でも、その一線を越えることは時に許されないこと、越えたことによって相手を傷付けることを忘れてはいけません。

これは、自分自身にも伝えるため、残した文章です。

温かく優しい言葉で溢れたらいいなぁ。と綺麗事のようなことばかり思う日々です。