当たり前のことを言葉にして話す意味。
先日、ある著名なデザイナーの方にお話を伺う機会があった。
デザインの仕事につくことになったきっかけや背景、素材や手法への探究心、メンバーへの畏敬の気持ち。時々言葉に詰まる男性が不器用そうに、でも明らかに心を込めて話されていて、終わる頃にはその場にいる全員がすっかり彼のファンになっていた。
もちろん、その人自身が魅力的であることは大前提だけど、それを聞いていて僕は、これは大なり小なり、仕事をするどんな人にも当てはまることなのかもしれない。
だからこそ共感したというのもあるし、怠らずそれを言葉にした彼は素晴らしいと思う。
どんな製品やコンテンツにも物語がある。それこそ、人の数と同じだけ。でも、それを言葉にする人は100人いても1人いるかくらいだろう。
僕たちはもっと、いろんなことを表明するべきだ。
どういう思いで、誰を笑顔にしたくて、どういう場所で、どういう素材で、どういう人と、どういうものを作っているのか。
それを出来上がったコピーではなく「不完全な人の言葉」で話すことに価値がある。
写真を綺麗に加工したり、レイアウトしたり、フォントを選んだり。きれいなものをきれいに見せる手段が増えるほど、その背景にある加工されていない泥臭い背景や物語を求める人は増えていく。
きっと作り手にとってはあまりに当たり前で見落としがちな話ほど、多くの人の心を打つのだろう。
当たり前のことを言葉にして話す意味。それは、ひとつの仕事が納品されることがどれだけ当たり前のことじゃないかを広く知らせることだろうと思う。
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