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高価なものを買い揃えはじめたとき、僕は歳をとったんだと気づいた

もうすぐ30歳になる

僕にとってはとてつもなく長かったように思えるし、とは言っても思い出せることもそれほど多くないから、案外短かったのかもしれない。

世間で30歳と言えばわりにしっかり大人のことを指す。地元に住む友人のほとんどはすでに家を買って子どもを育てているし、「それだけは絶対にないだろう」とたかをくくっていたにも関わらず、だらしのない妹がついにこの春結婚して実家を出ることになった。

僕はと言えば15歳くらいから考えていた「最悪のパターン」・・・地元の京阪電車で、これから葬式にでも行くのかというような顔をしてつり革を掴んでいるサラリーマン・・・になることは避けられたけど、普通に毎日出勤し、毎月給料をもらい、空いた時間にこうして文章を書いている。

20歳そこそこの頃と何も変わっていないじゃないかと言えばそうかもしれないけど、出不精の僕が自分から会いたいと思える友人が東京にはたくさんできたし、渋谷や新宿で道に迷って途方に暮れることもなくなった。

そして、ここ数年で明確に変わったことと言えば、高価なものを買い揃えはじめるようになったことだ。(服についてはこの場では割愛させてください。)

初めて何かを「好きだ」と明確に思えたのは音楽だった

僕は音楽が好きだ。それこそ小学生の頃から、親にねだってはいわゆる「短冊シングル」と呼ばれる8センチCDを買ってもらってはリビングにあるステレオコンポで繰り返し聴いていた。(はっきりと覚えているけれど、初めて買ってもらったCDはサザン・オールスターズの『波乗りジョニー』だった。)

中学生になり、ウォークマンを持つようになってからは、それこそ人と話している時以外ずっと耳から離さなかった。授業中に内ポケットから袖を伝って、耳にイヤホンをあててこっそり聴く音楽には自由と反抗の音がした。大学生になって自分で使えるお金が少し出てくると、部屋に良いスピーカーを置いたり、配線を整えたりしてそれなりにこだわっていた方だったと思う。

ある時、「良い音」というのを突き詰めていくにはきりがないことに気づいた。それと同時に、いい音楽というのは音響がどうであろうといい音楽であることに変わりはなく、同じように感動できるということにも気づいた。

それから20代のほとんどの期間、音楽を聴くには家電量販店で売っているオーディオテクニカの一番安いイヤホン(つまり、どこでも買えていつでも買い替えられるもの)、部屋で音楽を聴くのはMacBookに内蔵されたスピーカー。それだけで十分に満足できたし、むしろこれ以上の環境で音楽を聴く必要がないとすら思っていた。

そんな自分が去年から少しずつ、音楽プレイヤーをBOSEで揃え始めている。なぜBOSEなのかは理由があるようで特にない。いろんなメーカーのものを試していて、BOSEが一番聴かせどころをわかっているというか、どんな音楽でも過不足なく悪くない音を聴かせてくれるからだ。それは一言で自分の耳と「話が合う」と言ってもいいのかもしれない。

もっと良い音を出すプレーヤーなんかたくさんあると思うし、それは聴く音楽のジャンルによっても変わってくるだろう。僕はポップスもジャズもリズム&ブルースもなんでも聴くから、できるだけ幅広くこなしてくれる方がいい。ジャンルによってボーカルが全然聴こえないとか、ベースがもこもこしているとかがあると困るので。

そしてBOSEの価格帯と言えば最高級ではないにせよ、これまで買っていたものと比べると0がひとつ多い、高価なものだった。

1000円ちょっとの安いイヤホンで聴く、音の割れたギターロック

お金をかけ始めた理由ははっきりしている。音楽を聴いても感動しなくなってきたからだ。

10代の頃、20代の前半にあって、感動させられる音楽というのは常に身近なところにあった(もちろん、聴くに耐えない音楽もあったけど)。その頃はよくロックを聴いていて、安いイヤホンで音量を上げると少し音が割れる。だからこそ、というものでないかもしれないけれど、1000円ちょっとの安いイヤホンで聴く音の割れたギターロックにはなんとも言えない艶やかさがあった。ミッシェルガンエレファントやブランキー・ジェット・シティー、フィッシュマンズ、洋楽だとキュアーやレディオヘッド、シガーロス...。

でも、もうそこまでの感性は自分から失われてしまったんだ、とある時気づいた。どれだけいろんな曲を聴いても、以前はまるで恋のように焦がれたあの曲を聴き返しても、もう心を震わされることはなくなってしまった。若さがあったからこそ良いと思える音楽もあったのかもしれないけれど、その時になんとなく、良い音で聴くことが自分にはもう必要なんだと悟ったのかもしれない。

BOSEの製品を買ったのはちょうど10年ぶりだったと思う。最初にスピーカーを買って、次にワイヤレスイヤホンを買った。どちらもコードレスのものを選んだのは、コードのわずらわしさが自分の感覚を阻んでしまうような気がしたからだ。

買い替えたばかりのスピーカーで昔好きだった曲を流した。買い替えたばかりのイヤホンで今流行りの曲を聴きながら電車に揺られた。もしくは数年前に聴いて、いまいち心の動かなかった好きなアーティストの新曲を聴いた。

それはどれも、僕の心を大きく揺さぶってくれる音楽だったと、あらためて気づくことができた。

音楽を聴く時だけは、あの頃に戻れるように

大人になると自然と高価なものを買うようになってしまうのは、もしかするとこういう理由なのかもしれない。

たった一曲の音楽で世界が変わるような気がしたあの日に戻るように、もしくは鋭く尖っていたあの頃の感性を取り戻したいと願い、もしくはすがりたいと祈り、そのために自分が好きだったことにお金を惜しまなくなっていく。

そして、もうすぐ30歳になる。10代を過ごした頃よりも、楽しいこともワクワクすることもずっと増えたし、あの頃に戻りたいとは微塵も思わない。(これは本当に)

「大人になる」ということがこんなに楽しいことだったとはその頃思ってもみなかった!それでも、そういう鬱屈とした日々からしか得られなかった衝動や感動も、確かに僕の心の中に存在した。それらが少しずつ削れ落ちていき、しまいには致命的な部分が失われてしまったとしても、僕はこれからもたまに振り返ってはその落し物を探す作業を決してやめるわけにはいかない。

それを忘れてしまわないように、ここに書き記しておきたいと思う。

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