最初のひとりになれないのなら、最後のひとりになりたい。
高校生の頃、誰かの誕生日の0時ちょうどにお祝いのメールを送るのが仲間内での恒例だった。
それが何人から来たとか、お気に入りのあの子から来たとかいうのが一種のステータスにもなっていた。
内容はシンプルな一言だったり、この1年であった出来事に対する感謝の気持ちだったり、人によってさまざま。
年に一度自分と相手との関係性を言葉にして確かめあうような、そんな意味を持っていた。
その日は、当時付き合っていた彼女の親友が誕生日を迎える前日だった。
「明日〇〇ちゃんの誕生日やな」
「そうやで、もうメールも作りはじめてるし」
件名にRe:が数えきれないほど並んだメールで僕たちは会話をしていた。
手の込んだメールを作るのは驚くほど時間がかかる。文面をデコレーションしたり、日付のいれた写真を用意したり。
こういうイベントごとが好きな彼女は、きっとかなりの大作を用意していたのだろう。
僕は彼女の作品づくりを邪魔してしまわないように、少し早めにメールを切り上げることにした。
そして次の日、僕たちはいつも通りメールを交わしていた。
「〇〇ちゃん、メール喜んでくれた?」
「ううん、まだ送ってへんねん」
意外な返事に少し戸惑った。何かメールが送れないようなことがあったのだろうか。
「0時ちょうどは他の人からもたくさん送られてくるやろうから、今日の23時59分に送ることした。私は最後のひとりになりたかったから。」
「私は最後のひとりだけど、最後まで残るひとりになりたいから。」
それを聞いた時は、友達の多い親友に対する彼女の意地っ張りな一言だと思っていたけど、昨日このやりとりをふと思い出した僕は、彼女の親友に対する正直な気持ちが表現された良い言葉だったなあと思い返していた。
誰かにとっての「最初のひとり」になるのは簡単なことじゃない。
それは順番もあるし、運もある。いくら好きだからといっても、年をとって関わる人が増えるほどむずかしくなっていく。
当時から10年が経った。
周囲から信用されている人は誰もが助けたいと思ってるし、そうゆう人にはあらゆる方向から気持ちやお金、物事が集まりやすい時代になっている。
その中で最初に先に手を差し伸べられる人でありたいと思うけど、それができなかったのであれば。
自分が信用している人、大切な人にとってせめて「最後まで残るひとり」でありたいと、僕もそう思う。
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