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「未来の自分のプロフィール」を考えてみる。


SNSでたまたま見かけたアカウントのプロフィールの最後に「私はまだ何者でもないけれど、いつかこのプロフィール通りの人になれますように。」と書かれていた。

「自分がどういう人間で、どんなことに興味があって、そしてどうありたいのか」

今や多くの人がなにかしらのSNSに参加している中で、自分のアカウントを持つ時にしなければいけないのが「プロフィールを設定すること」だ。

一言ですませてしまう人もいれば、できる限りたくさんの情報を詰め込む人、面白おかしく書く人、プロフィールからはその人の人柄が見えてくる。

自分のことを文章で簡潔に表現することは、思っているよりもずっと難しいもの。そして、これまでの自分は公に書くことに値する人生を歩んでこれたのだろうかと、振り返っては少し不安になるかもしれない。


「自分のプロフィールを考える」という行為をSNSが生まれる前からやっていた人というのはそれほど多くなかったんじゃないだろうか。

人生をひとつの組織の中で決まった人としか関わることがないのであれば、わざわざ自分のプロフィールを考える必要もない。

不特定多数が参加する世界で、予想もできないような出会いが生まれる今の時代だからこそ、人は自分と向き合い、一字一句に気をつかいながらSNSのプロフィールを考えるんだろう。


今の若い世代の人たちが、幼いうちから「自分」を言語化することと向き合いながら生きることができるというのは、実はインターネットの隠れたメリットなんだと思う。

極論を言ってしまえば、「ある肩書きを自分のプロフィールに書きたいから、それに向かって努力する」ということも考えられると思うし、まだ何者でもない彼女は「未来にこうありたい自分」を言語化できている時点で、他の多くのライバルよりもリードできているだろう。


自分が今やるべきことというのは、いつも「未来にこうありたい自分」からの逆算で決まる。

未来のことを考えず「今」を生きることはドラマチックではあるけれど、そうしてなにかを成すには人生はあまりに短い。だから、僕たちは未来に向かって生きるべきだ。

自分が題材の小説があるとすれば、その最後のページにはなんと書いてあるだろうか。未来の自分のプロフィール、僕も書いてみようと思う。


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